不死の少女とプロフェッサー
ぼやけた視界のなかに多くの子供たちが倒れ伏している。
瞳に光は無く、肌はかさつき、細く呼吸だけをしながら辛うじて生きている。
ああ、またこの夢だ。幹耶は一部だけ脳が覚醒しているような、どこか遠い気持ちでそう思った。心や身体が弱るといつもこの夢を見る。いや、正確には記憶の再現と言ったほうが正しいだろうか。
思い出したくもない、だが実際には一時たりとも忘れられなかった忌まわしい記憶。
泥水を粗末な濾過機で濾したものと、わずかな塩だけの生活は七日目を迎えていた。おなかがすいた、と泣き叫んでいた子供も、もはや空っぽの腹を抱えてうずくまるのみだ。
このまま死んでしまうのだろうか、という予感は確実に現実に近づいていた。
そんなとき突如見知らぬ大人たち数人が朽ちた倉庫のような孤児院に現れ、子供たち数人を見繕い、まるで荷物でも扱う様に抱えて去って行った。突然の出来事に幹耶を含めた他の子供たちはただ茫然とその光景を眺めていた。
子供たちを守る立場のはずの大人たちも、ただ黙ってその様子を見守っている。 子供たちを積み込んだトラックが走り去り、視界から完全に消えると大人たちは何故か安心したように微笑んだ。その微笑みの意味を、幹耶はその時は理解できなかった。
その日の晩、久々にまともな食事が用意された。白い小麦パン、肉の入ったスープ、不純物のない清潔な水。幹耶たちは何も考えずにその食事を喜んで貪り食った。
それからいくら待とうが、あの時連れ去られた子供たちは帰ってこなかった。やがて幹耶は理解する。連れ去られた子供たちの運命を。大人たちの微笑みの意味を。そして自分たちはここで〝飼われて〟居るのだという事実を。そして――
幹耶にとっての〝世界〟は、既に終わっていたのだという事を。
「んん……。うん……?」
瞼の裏に光を感じ、幹耶は目を開ける。最初に見えたのは白い壁。それが天井だと気が付くまでにしばらくの時間を要した。
「(ここは……?)」
ぐらつく頭を押さえながら身体を起こす。全体的に白っぽい、一切の生活感のない部屋。微かに感じる消毒液の香り。どうやら病院の一室のようだと幹耶は思った。
「あら、おはよう。もう起きていたのね」
扉を開けて部屋へ入ってきた秋織真斗が、寝ぼけ眼の幹耶を見て声をかける。
「丸一日寝ていた割に調子は悪くなさそうね。手続きならもう済ませてあるわ。着替えはそこの椅子の上に用意してあるから、準備が終わったら出てきてね。外で待ってる」
「はぁ」全く血の廻らない頭を振って幹耶が答える。「解りました。すぐに用意します」
足の長いベットからずり落ちるように這い出て、幹耶は用意された黒い服に着替える。肩の傷が痛むので少々難儀した。着替えを終え、出口に向かって歩き出した所でその足が止まった。
さっきここに立って居たのは? 会話を交わした相手は? まさか。あの時、確かに……。
あわてて幹耶が病室の扉を開けると、そこには当然ように一人の少女が佇んでいた。
目の前に居るのは紛れもなく秋織真斗、その人だ。ただそれだけの事実が幹耶にはとても信じられなかった。首を刎ねられて生きて居られる人間は存在しない。ならばあの時、真斗は確実に死亡していたはずだ。それなのに今こうして目の前に存在している。
「……ゾンビ?」
「なんでよ違うわよ!」真斗は見た目相応の年齢のように頬を膨らませる。「って、そうか。まだ私のアーツを幹耶くんには説明してなかったわね」
「アーツ? それってどういう……」
「どうって、そのままよ。私のアーツは不死と再生の《不滅の蝋燭》だよ」
「不死……」幹耶が驚きに目を見開く。「本当に、実在していたんですね」
「あら意外な反応ね。もっと化け物でも見るような目を向けられると思っていたけれど」真斗がおどけるように両手を広げる。「本当にってなに? もしかして私、有名人?」
「アイランドにまつわる都市伝説の一つでしてね。いわく、あそこには胸を貫かれても、首を刎ねられても、全身を炎に包まれても死なない魔女がいる、と」
「はぁ。大体あっているわね。私以外のうわさも混じっているっぽいけれど……」広げていた腕を組んで真斗が言う。「ま、別に秘密にしているって訳ではないのだから良いのだけど。それより、伝説の魔女が目の前にいるっていうのに意外と冷静なのね?」
「さっき……。いや、もう昨日でしたっけ。あんな規格外の化け物を見た直後ですから」幹耶の脳裏に黒い獣の咆哮が蘇る。「もう大抵の事には驚かない自信がありますよ」
本当はそんな自信など全くない。内心ではかなり驚いていたが、動揺を悟られないように注意してそう答える。もしここで大げさに驚いて見せたり、異物を見るような視線を少しでも向けてしまえば少女はきっと傷つくだろう。慣れているから、と全く慣れていない風に呟いてうつむくのだ。理由は解らないが、そう思うだけの強い確信があった。
この世の生きとし生けるものは、一つの例外もなくいずれは全て死に絶える。それが摂理だ。しかし目の前の少女はその摂理から外れている。
異能中の異能、不死。
死の摂理から外れた存在。アンデット、ノーライフキング、ナイトウォーカー。呼び方は様々だが、数々の伝承に残されているように、死から遠ざかった存在を人々は古来より恐れ、軽蔑し、あるいは憧れ、崇拝し――、しかし総じて化け物と呼んだ。
異能の力を持つアンジュというだけで人々から嫌悪され、遠ざけられる。そのアンジュの中でも、死の摂理から外れた極めつけの異能を持つ少女は果たしていままでどのような扱いを受けてきたのだろう。そのことを思うと、幹耶はことさら驚いて見せるような真似はできなかった。それが歪んだ優しさだと解っていても。
「よぉ、お二人さん。楽しそうじゃないか」
真斗と幹耶が声のする方に視線を向けると、灰色の戦闘服を着込んだ長身の男性が立って居た。
「あら、シャルルンじゃーん。元気そうで何よりね」真斗が嬉しそうに微笑む。「どうしたの? 隊員のお見舞いって所かしら」
「まぁそんなところだ。昨日は世話になったみたいだな。デミの大半を引き付けてくれたそうじゃないか。おかげで全滅の憂き目は免れた。この礼は、いずれ必ず」
「何の事かしらね。私たちはただ東館の入り口で立ち話をしていただけよ」
「相変わらずだな」男性が形の良い顎を撫でながら笑う。「っと、そっちの君にも世話になったな。調査部隊の二十七番隊を任されているシャルムだ。よろしく」
差し出された手を幹耶は戸惑いながらも握り返し、同じように自己紹介を返した。
「シャルルンはね、元は清掃部隊に居たのよ。でもアーツが本部の思っていたより戦闘向きじゃないからって異動になってね。でも、今でも大切な友達だよ」
嬉しそうに真斗が言う。
「どんなアーツなのか、伺っても?」
「大したもんじゃないぞ。五秒未来視だ」
幹耶の言葉にシャルムが答える。
「未来視って、予知という事ですか」
「そそ。常に五秒先の未来を完全に予測できるって能力らしいよ」
幹耶は息を呑む。戦闘向きでない? とんでもない。
常に相手の先の先。さらにはその先を取れる五秒未来視。それがいかに強力な力なのか、近接戦闘を主とする幹耶には痛いほどに解る。
「人間相手なら負けは無ぇ。銃弾だって避けて見せるさ。でもな、それもタイマンで、相手が〝人間〟であればの話だ」シャルムが苦虫を噛み潰すような顔で言う。「清掃部隊の相手はいつのいつも規格外の化物だ。五秒先の五秒先も自分の死ぬ未来で一杯だった。それを紙一重で躱し続ける生活に、俺は耐えられなかったんだ」
そういうことか、と幹耶は納得した。
未来は一定ではない。その選択によって姿を如何様にも変えてみせる。シャルムの能力は、言ってみれば〝未来の選択〟だ。
シャルムの能力は確かに強力だが、それは相手が普通の人間であれば、だ。相手が規格外の化け物であるポリューションであるとすれば、直接戦う事よりも、一般市民を死の危険から遠ざける役割のほうが向いている。
そしてそれは一所に留まって防衛をする警備部隊よりも、自由に動き回れる調査部隊である方がその能力を如何なく発揮できるであろう。
直接戦う事より守ることを選んだ彼の選択は、とても正しい物に思えた。
「ところで真斗、例のショッピングモールに詰めていた施設警備隊に悪態をついたそうだな?」
「まぁね。だってああいう奴大嫌いなんだもの」真斗は大げさにため息をついて言う。「それに間違えたことは言っていないつもりよ。目的優先、人命軽視はいつもの事だし」
「まったく、損な性格だな。アンジュは元々嫌われ者だっていうのに、そんな事じゃ余計に勘違いされちまうぞ」
「割り切っているだけよ。嫌な奴のご機嫌をとるくらいなら、ピーマンをお腹いっぱい食べた方がまだましなのよ、私は」
「そういう所が損だって言っているんだがな……。まぁ良いさ」シャルムはそう言ってちらりと真斗の背後に目を向ける。「さっそく、腹いっぱい苦い思いをする事になりそうだな。悪いが俺は失礼するよ。またな」
そう言ってシャルムが立ち去ると、しばらくして真斗の背後から妙な粘度を持った声がした。
「いやぁ真斗ちゃーん。聞いたよぉ。人助けなんてしちゃんだってぇ? 実験動物のくせにぃ」
頭から泥水でもかけられたような顔をしながら、真斗が嫌々といった様子で振り返る。
「……プロフェッサー」
プロフェッサーと呼ばれた男はシャルムと同じように長身だったが、それ以外は何もかもが違っていた。ニヤニヤとしたいやらしい笑い方。薄汚れた白衣と目の下の深い隈が織りなす陰気な雰囲気。そのくせ、きっちりと撫でつけられた、艶のある髪が向かい合う者の神経を逆なでする。そして極めつけは、その絡むような喋り方だった。
「どーせさぁ、この街に居る奴らはみーんなただの実験動物なんだからさぁ、助ける必要なんてないんだよぉ。余計な事はしてないでさぁ、実験動物は実験動物らしくデータさえ寄越してくれれば、それで良いんだよぉ?」
「そんな言い方、よしてもらえますか?」
ほとんど睨みつけるようにして真斗が言葉を吐き捨てる。
「……あぁん? 生意気な口をきくもんじゃないよ実験動物風情がぁ」真斗の言葉に醜く顔を歪ませながら男が言う。「まったく、少しは立場をわきまえたらどうかねぇ? ちょっとばかり特殊なだけで、それ以外は何の価値もないんだからさぁ、おとなしく利用されてろよぉ」
男が下卑た笑い声をあげて真斗を見下ろす。そして不意にその視線を幹耶に向けた。
「あぁ、お前が新しい実験動物かなぁ?」幹耶の足の先から頭の頂点までに舐めるように男が視線を這わせる。「ふーん? そんなに強そうには見えないけどねぇ。それでよくあの地獄を生き残ったもんだぁ……」
「あ、ありがとう……ございま……す?」
異様な雰囲気に飲まれてしまっていた幹耶は、そんな間の抜けた言葉を返す。戸惑う幹耶を男は愉快そうに眺めていた。
「お前はいくらか素直そうだねぇ。良いよぉ、従順なほうが俺は好みだ。男に興味はないけどなぁ」
「……もういいですかね? 特に御用が無いようでしたら、これで失礼させていただきます」
耐え切れないと言った様子で真斗が言う。
「あぁ、好きにしろぉ。俺は新しい実験動物がどんな奴か、散歩がてらに見に来ただけだぁ。もう用事はすんだよぉ」
そう男が言い終わるのを待たずに、真斗は早足で歩きだした。幹耶はあわててその背中を追う。
「真斗さん。ちょっと真斗さん! 待ってくださいよ」追い付いた幹耶が真斗の肩に手をかける。「落ち着いてください。いったいどうしたって言うのですか」
「どうしたかですって!? そんなの……!」真斗は半ば幹耶に掴みかかるような勢いだったが、すぐにうつむき、怒りを払う様に頭を軽く振る。「……いや、ごめん。感情的になっても仕方ないわよね」
「あの人は一体何者ですか? 異質な雰囲気でしたが……」
「……あいつは。磯島はアンジュ研究とバベル研究の主任研究員よ。その頭脳は腹の立つことにとても優秀で、バベルの基礎設計にも携わったって話。でも性格は今見たとおりに、アンジュだけじゃなくてアイランドに住む人間全員をモルモットとしか見ていない最低の下衆野郎よ」
汚いものを吐き出すような表情で真斗が言い募る。
「確かに酷い物言いでしたし、性格も相当なものでしょうけれど……。そこまで嫌悪するほどなのですか?」
「いやまぁ」真斗は呻くように言葉を絞り出す。「さっき、アンジュ研究って言ったでしょ? 私の不死性はああいう研究者にとっては垂涎の品らしくてね。それはもう、色々されたわよ。色々、ね……。あぁ、もう。思い出すだけでストレスでもう一回死んじゃいそうよ」
「そ、れは……」
せっかくの休日なのに雨に降られた、とでもいうような軽い調子で真斗は苦笑いをして見せるが、その瞳の奥に揺らめく暗い炎に気が付いた幹耶は言葉を詰まらせた。
不死性の研究。死亡するとこの無い最高のサンプルに対してどのような実験が行われたのかなど幹耶には想像もつかないが、磯島というあの研究員に慈悲の心が欠片でも存在するとはとても思えなかった。
「ああ、胃がむかむかするわね。……そうだ。ねぇ幹耶くんちょっと付き合わない?」
「と……言いますと?」
「この上の五十五階にバベルを使った、ダイブコネクト・トレーニングっていうのができる場所があるんだけれど、お昼ご飯前に少しやってみない?」
「……肩に穴が開いたばかりですよ?」
「あら、アイランドの最先端医療を舐めちゃいけないわ。傷ならもう塞がっているわよ。まぁ人工筋肉が馴染むまで多少の痛みと違和感があるかもだけれど」
「なんていうかもう、なんでもありですね、この街」
幹耶は感心とも呆れともつかないため息をついた。
「なんでもありありよ」
いたずらっぽく真斗が笑う。
「って言うかこの上って……。ここ、病院じゃないんですか?」
「ここ? ここはアイランドの中心部〝モノリスタワー〟の中よ」
初めてアイランドに入った時に見た、あの異様なまでに巨大な黒い建造物を幹耶は思い出す。
「せっかくですから、初めてはもっと健康な状態で入りたかったですね……」
「ま、気持ちは解るけどね。この街の象徴だもの」苦笑いをして真斗は肩を竦める。「とりあえず行きましょう。トレーニングルームは早い者勝ちよ」
そう言って、真斗と幹耶はエレベーターに向かって歩き出した。




