第5話:再会は、跪きの中で
かつて「白亜の真珠」と謳われたヴァリエール王宮は、いまや見る影もなく荒廃していた。
結界が消えたことで、魔導具による自動清掃も、温度調節も、照明もすべてが停止した。廊下には埃が積もり、窓からは冷たい風が吹き込み、高価な絨毯は泥靴で汚されている。
その王宮の正門前に、一台の馬車が停まった。
漆黒の車体に、金細工で施されたアルカディア帝国の双頭鷲の紋章。
随伴する帝国騎士団の鎧は、朝日を浴びて眩いばかりに輝き、この死に体の王国に圧倒的な「力」の差を見せつけていた。
「……来た。来たぞ、エリザベートが!」
正門で待ち構えていた王太子ジュリアンは、縋るような思いでその馬車を見つめた。
彼の顔はこけ、目の下には酷い隈がある。昨夜も、借金取り同然の帝国徴税官たちに追い回され、一睡もできなかったのだ。
「いいか、彼女が降りてきたら、まずは丁重に迎える。……その後、私の愛を説けば、あいつも少しは態度を軟化させるはずだ。もとは私の婚約者なのだからな」
傍らに立つ側近たちに、ジュリアンは自分に言い聞かせるように呟いた。
彼はまだ信じていたのだ。エリザベートがこれほどまでに王国を追い詰めるのは、自分への「愛」が裏返った結果であり、跪いて謝れば許されるはずだと。
やがて、馬車の扉が開かれた。
銀の髪をなびかせ、最高級の深紅のドレスを纏ったエリザベートが、セレーネの手に引かれて優雅に降り立つ。
「――お久しぶりですわね、ジュリアン様。いえ、『前』王太子殿下かしら?」
その声は、かつて王宮で聞いたどの音楽よりも美しく、そして冬の刃のように冷たかった。
「エリザベート! ああ、よく戻ってきてくれた! すまなかった、私が間違っていた。リリアンのような偽者に惑わされ、君という真実の愛を見失っていたんだ!」
ジュリアンはなりふり構わず駆け寄り、エリザベートの足元に膝を突いた。
かつて彼女を「冷酷な女」と罵り、大衆の前で断罪した男の、あまりにも無残な変わり果てた姿。
周囲にいたかつてのクラスメイトたちも、今や空腹と恐怖に耐えかね、救世主を見るような目でエリザベートを注視している。
だが、エリザベートはジュリアンに触れられることを拒むように、一歩静かに身を引いた。
「あら。その汚れた手で、私のドレスに触れないでくださる? この生地、あなたの国の年間予算でも買えないほど高価なものですのよ」
「……え?」
「それに、勘違いなさらないで。私はあなたに『謝罪』を求めてここへ来たのではありませんわ」
エリザベートは扇を広げ、口元を隠して優雅に笑った。
その背後から、セレーネが一通の分厚い書類を取り出し、無造作にジュリアンの前に放り投げた。
「これは……?」
「『物件引渡要求書』ですわ。本日午前零時をもって、あなたたちが今立っているこの王宮、および周辺の離宮、庭園のすべては、我がローゼンベルク公爵家――そして出資者であるアルカディア帝国の『所有物』となりました」
「何を……! ここは我がヴァリエール家の、王族の住処だぞ!」
「いいえ。担保に入れられたのはあなたたちですわ、ジュリアン様。昨夜、国王陛下が『全債務の履行不能』を認め、この土地を譲渡する書類に署名なさいました。……つまり、あなた方は今、私の私有地に『不法侵入』している不審者ですの」
ジュリアンの顔から、一気に血の気が引いていく。
謝れば済む。愛を語れば戻ってくる。そんな甘い幻想は、法と経済という冷徹な現実によって、粉々に打ち砕かれた。
「ああ、そうだわ。地下牢にいるリリアン様にも、私から素敵なプレゼントを用意いたしましたの」
エリザベートは、まるで今日の天気を語るような軽やかさで続けた。
「彼女が愛用していたあの『偽の聖具』。あれ、実は強力な呪いの触媒でもありましたの。使い続ければ使うほど、本人の生命力を吸い取り、醜い姿へと変える……。あら、私、教えませんでしたかしら? 『タダほど高いものはない』という、商人の基本を」
「き、貴様……最初から、これを狙っていたのか……!」
ジュリアンが絶望と怒りに震えながら、彼女を見上げる。
エリザベートは、冷たい紫水晶の瞳で、虫ケラを見るように彼を見下ろした。
「準備はすべて整いましたわ、と言いましたでしょう? ……セレーネ、衛兵たちを。この敷地内に残っている『ゴミ』を、一掃なさい」
「御意、お嬢様」
帝国騎士団が、一斉に剣を抜く。その鋭い金属音が、王宮の庭に響き渡った。
「待て! エリザベート、頼む! 行く場所がないんだ! 私たちはこれからどうすれば……!」
縋り付くジュリアンを、帝国の騎士が容赦なく引き剥がす。
エリザベートは一度も振り返ることなく、王宮の正門を、自らの「所有物」として堂々とくぐり抜けた。
「どうすればいいか、ですって? あら、簡単ですわ」
立ち止まり、肩越しに微笑む彼女の姿は、まさに勝利の女神そのものだった。
「――お死になさいな。私という『価値』を捨てたその瞬間に、あなた方の人生は既に終わっていたのですから」
王宮の門が、重厚な音を立てて閉ざされた。
後に残されたのは、泥にまみれて泣き叫ぶ元王太子と、滅びゆく国の亡霊たちだけだった。
これぞ「完封」。
何もかもを失ったジュリアンの叫びが、読者の皆様の耳にも心地よく響いたことでしょう。
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次回、第6話『泥水を啜る王子、黄金を食む令嬢』。
本当の地獄は、まだ始まったばかりですわ。




