第4話:聖女の失墜、泥に塗れるプライド
王都の広場は、怒号と腐った野菜の臭いに包まれていた。
数日前まで、ここは「聖女リリアン」を称える賛美歌が流れていた場所だ。しかし今、そこに集まっているのは、結界が解けたことで魔物に家畜を殺され、家族を失い、絶望に駆られた平民たちの群れだった。
「聖女様を出せ! 奇跡でこの惨状をどうにかしろ!」
「俺たちの税金で贅沢をしていたんだろう! 仕事をしやがれ!」
王宮のバルコニーに、引きずり出されるようにして現れたのは、かつての「輝き」を失ったリリアンだった。
彼女の髪はボサボサに乾き、高価なドレスはサイズが合わなくなったかのように惨めに浮いている。彼女を支えていた魔導具――エリザベートが密かに提供していた「美貌とカリスマを維持するアーティファクト」が機能を停止した副作用は、想像以上に残酷だった。
「ひっ……、来ないで! 汚らわしい平民どもが!」
リリアンが思わず口走ったその言葉が、火に油を注いだ。
民衆の中から石が投げられ、彼女の足元で砕ける。
「殿下……ジュリアン様、助けて! 私を、私を守ってくださいまし!」
リリアンは必死に背後のジュリアンに縋り付いた。
かつてなら、「私の愛しい小鳥よ」と甘く囁き、剣を抜いて彼女を守ったであろう王太子。
だが、今のジュリアンの瞳に宿っているのは、愛などではなく、どす黒い「保身」の念だった。
「……離せ、この疫病神が」
ジュリアンは、リリアンの手を冷たく振り払った。
その勢いで、彼女はバルコニーの冷たい石畳に這いつくばる。
「ジュリアン、様……?」
「貴様が『自分には奇跡の力がある』と嘘をついたから、私はエリザベートを追放したのだ! 貴様の虚言のせいで、我が国は破滅の危機に瀕している! すべて、すべて貴様のせいだ!」
それは、あまりにも見苦しい責任転嫁だった。
昨夜まで彼女の腰を抱き、エリザベートを「冷酷な女」と罵っていた男の言葉とは思えない。
だが、これがジュリアンという男の本質なのだ。自分を愛してくれる「最強の盾」を自ら叩き割り、雨風を凌げなくなると、今度は隣にいた「飾り物」を盾にして投げ捨てようとしている。
「あらあら……。見苦しいったらありゃしませんわね」
その光景を、はるか遠く帝国の宮廷から「遠見の鏡」越しに眺めていたエリザベートは、楽しげに喉を鳴らした。
帝国のサロン。エリザベートは、皇帝カエルスが自ら淹れた最高級の茶を楽しんでいる。
カエルスは、鏡の中に映る惨めな男女を一瞥し、鼻で笑った。
「愛などという不確かなものを基盤にするからそうなる。エリザベート、貴公ならあの場でどう動く?」
「私でしたら、そもそもあのような『泥船』には乗りませんわ。……ですが、そうね。もしあの場に立ち会っていたら、せめて『掃除』くらいは手伝って差し上げましたかしら」
エリザベートが指先を動かす。
鏡の中では、ついに暴徒化した民衆が王宮の門を突破しようとしていた。
騎士たちは、給料の支払い(これもエリザベートの資産だった)が滞っていることに不満を抱き、戦意を喪失している。
「ジュリアン様、嘘よ! あんなに私を愛していると言ったじゃない! 二人でエリザベートを追い出して、幸せになろうって……!」
「黙れ! 衛兵、この女を捕らえろ! 『聖女を騙った大罪人』として、地下牢へぶち込め! 民衆への見せしめにするのだ!」
ジュリアンの非情な命令に、リリアンの絶叫が響き渡る。
かつてエリザベートに向けられたはずの「断罪」の言葉が、今度はリリアンに、それも最も信頼していたはずの男から突きつけられたのだ。
「いいえ、ジュリアン様。地下牢では甘すぎますわ」
鏡の向こうから、エリザベートが静かに囁く。
彼女は手元の書類――王国から買い取った『債権リスト』をカエルスに手渡した。
「陛下。このリストにある通り、王室の借金の担保として、私は既に『王宮の庭園』と『離宮』の所有権を得ています。……本日をもって、そこを『帝国の直轄領』として封鎖させていただきますわね」
「許可しよう。……追い詰められたネズミが、どこまで共食いをするか見物だな」
数日後。
リリアンは地下牢へ引きずられていき、ジュリアンは自室に引きこもって震えていた。
だが、彼らはまだ気づいていない。
エリザベートが仕掛けた本当の絶望は、これからだということに。
王宮から魔法の灯りが消え、代わりに入ってきたのは、帝国の「徴税官」という名の死神たちだった。
エリザベートは、優雅に立ち上がると、窓の外に広がる帝国の豊かな街並みに目を向けた。
「さて。次は、あの無能な王太子が、自分の指輪一つでパンがいくつ買えるのかを学ぶ番ですわ」
彼女の微笑みは、朝日を浴びてどこまでも気高く、そして冷酷だった。
リリアンの失墜、そしてジュリアンの醜い裏切り……。
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次回、第5話『再会は、跪きの中で』。
ついにエリザベートが、変わり果てたジュリアンの前に「支配者」として再臨します。
お楽しみに。




