第3話:覇王の出迎えと、終わりの始まり
アルカディア帝国の国境。そこには、数千の精鋭騎士団が整然と陣を敷いていた。
彼らが守るのは領土ではない。ただ一人の、亡命してきた令嬢である。
馬車の扉が開かれ、エリザベートが大地に足を下ろす。
そこには、一人の男が立っていた。
漆黒の外套を羽織り、夜の闇よりも深い黒髪に、全てを見透かすような黄金の瞳を持つ男――アルカディア帝国皇帝、カエルス・アルカディア。
冷酷非情、覇道を行く若き皇帝。
彼が自ら国境まで足を運ぶなど、帝国の歴史上、一度もなかったことだ。
「……よく来た、エリザベート。我が帝国は、貴公のような『叡智』を心待ちにしていた」
カエルスがその大きな手を差し出す。エリザベートは、不遜なほどに美しい微笑を浮かべ、その手に指先を添えた。
「歓迎に感謝いたしますわ、カエルス陛下。……私が持ち込んだ『手土産』は、お気に召していただけたかしら?」
「ああ。隣国の物流地図、精霊契約の脆弱性、そして――空になった王室の金庫の鍵か。最高の贈り物だ」
二人の会話を、帝国側の将軍たちが戦慄しながら聞いていた。
彼らは理解したのだ。この令嬢は、単に逃げてきたのではない。隣国という巨大な獲物を、料理しやすいように「解体」して持ってきたのだと。
「さて、あちらの国はどうなっているかしら?」
エリザベートが振り返る。
国境の向こう側、かつての故国――ヴァリエール王国では、厚い暗雲が立ち込め、結界を失った王都から黒い煙が上がっていた。
その頃、ヴァリエール王宮の謁見の間。
そこには、昨日までの華やかさは微塵もなく、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されていた。
「陛下! 隣国のアルカディア帝国が、我が国との全交易の停止を宣言いたしました!」
「北部の領主たちが、結界の消失を理由に徴税の拒否を始めております!」
「リリアン様の聖女の力が……偽物だという噂が広まり、平民たちが暴徒化して門を叩いております!」
次々と飛び込む悲報に、国王は玉座で頭を抱えていた。
その足元には、頬を赤く腫らした王太子ジュリアンが跪いている。国王に殴り飛ばされたのだ。
「……ジュリアン、貴様、何ということをしてくれたのだ。エリザベート公爵令嬢がどれほどの重荷を背負っていたか、一度でも考えたことがあるのか!」
「し、しかし父上! 彼女は我が儘で、リリアンを虐めて……!」
「黙れ! その『虐め』の証拠とやらも、今朝調べ直させたら全て偽造だと判明した! 貴様が寵愛したその女……リリアンが裏で糸を引いていたのではないか!」
「そんな……リリアンに限って……」
ジュリアンが震える視線を傍らのリリアンに向ける。
しかし、そこにいたのは、もう彼が知る「清純な美少女」ではなかった。
「……嘘よ。私が悪いんじゃない。エリザベートが、全部あいつが持っていったのが悪いのよ!」
リリアンの顔は、魔力の枯渇によってひび割れた陶器のように生気を失い、目は血走っている。彼女を支えていた側近の騎士たちも、その異様な姿に引き気味に距離を取っていた。
その時、王宮の鐘が激しく打ち鳴らされた。
緊急事態を告げる鐘の音ではない。
帝国の使者が、最後通牒を届けに来たのだ。
『ヴァリエール王国に対し、未払いの債務、総額八億ガルドの即時返済を要求する。返済不能な場合、貴国の通商路および魔石鉱山の管理権は、全権委任を受けたエリザベート・フォン・ローゼンベルクに譲渡されるものとする』
謁見の間が、氷を打ったように静まり返った。
八億ガルド。それは、今の王国が十年かけても返せない天文学的な数字だ。
「……あ、あいつ、どこまで……」
ジュリアンが絶望に顔を歪める。
エリザベートは、自分を捨てた男を殺すことなど選ばなかった。
ただ、彼の守りたかった「王子の座」と「国」を、丸ごと買い取ってしまったのだ。
帝国の宮廷。
バルコニーで紅茶を楽しむエリザベートの隣に、カエルスが並び立つ。
「次はどうする? エリザベート。貴公が望むなら、明日にもあの無能な王太子の首を撥ねさせても良いが」
「あら、そんな野蛮なことは必要ありませんわ」
エリザベートは、扇子で口元を隠し、優雅に笑った。
「飢え、震え、自分たちが何を失ったのかを噛みしめながら、泥水を啜って生きる。……それが、私という『価値』を理解できなかった愚か者たちへの、一番の罰ですもの」
彼女の瞳には、一切の慈悲はなかった。
ただ、新しく手に入れた広大な「盤面」をどう支配するかという、至高の知性だけが輝いていた。
いよいよ、エリザベートによる「経済的・社会的抹殺」が本格始動いたしました。
奈落へ落ちていく王太子の姿に、少しでも「スカッとした!」と思っていただけましたら、
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次回、『聖女の失墜、泥に塗れるプライド』。
逃げ場のなくなったリリアンを待ち受ける運命をお楽しみに。




