漬けマグロ
金髪ヤンキーの言葉にえ、と首を傾げる。
「霊食を作れって……猫にあげたのをもう一回作れってことですか?」
「ああ。どうやって霊力を込めたのかどれぐらい霊力が入っていたのかを知りたい」
「はぁ」
当たり前だけど、私がなにか特別なことをして食事を作ったわけではない。いつも通りに作っただけだ。
霊力なんてものを入れたつもりはこれっぽっちもない。
だから、そんなことを言われても困るし、もう一度猫にあげたものを作れと言うのは物理的にも無理なのだ。
「すみません。同じものは作れないです」
「あ? なんでだ?」
「マグロなんですけど、もう漬けにしてしまって……」
「づけ?」
「はい。漬けマグロです」
そう。物理的に作れない理由。それはマグロをすでに調理してしまっているからだ。
『漬け』。
それはスーパーの特売の赤身のマグロをおいしくさせる魔法の調理法。刺身用の魚を醤油や特製のタレで漬けて、味をつけるもの。
私は醤油とみりんで作ったの甘めのタレが好きで、すでに猫にあげた以外のマグロは漬けてしまっていたのだ。
マグロの赤身に少しずつ醤油が染み、色がついていく。
みりんのアルコール分が生臭さを抑え、その甘味でマグロの味をしっかりと引き立ててくれる。
……食べたい。
今、この瞬間にもマグロはどんどんおいしくなっているはず。
それを思うと、おなかがぐぅと鳴った。
「なに、腹を鳴らしてんだよ。じゃあ、それでいいから見せてみろ」
「あ、はい」
猫とか霊力とかどうでもいい。一刻も早く食べたい。おいしい漬けマグロが食べたい。
金髪ヤンキーにマグロを見せて解決するのならば、さっさと見せて、ささっと夜ごはんにありつくのが一番だろう。
なので、私は特に反論もせず、金髪ヤンキーを連れ、ダイニングの向こう側。キッチンへと共に足を踏み入れた。
「結構きれいだな」
「そうですか? 今はいろいろと出てますけど」
一人暮らしにしてはそこそこ大き目なキッチン。
調理途中ということで調理台の上は散らかっていたのだけど、金髪ヤンキーにはきれいにみえたようだ。
「あ、これが漬けマグロです」
調理台の上にある金属のバット。
その中にはマグロがきれいに並び、タレに漬けこまれていた。
「うまそうだな……」
「おいしそう……」
金髪ヤンキーと私。揃って、思わず言葉をこぼしてしまう。
だって、目の前にはまさにおいしく出来上がりつつある漬けマグロがあるのだから……!
醤油とみりんで作った、少しとろみのあるタレに漬けられたマグロ。
その赤い身は私たち二人の言葉に応えるようにきらっと光った。
「せやろ? たったそれだけなのに霊力満タンやろ?」
金髪ヤンキーと二人、ごくりと喉を鳴らしていると、のんびりとした猫の声が響く。
そちらを向けば、対面式のカウンターの向こうからこちらを覗いていた。
どうやら、ダイニングテーブルの椅子に座っているようだ。
「あ、ああ。そうか、そうだったな。霊力な。ああ」
じっと漬けマグロを見ていた金髪ヤンキーが猫の言葉にハッとした。
そして、誤魔化すように言葉を続けた。
「このマグロ、既に霊力が満ちている」
「本当ですか? 私には全然わからないですけど……」
普通のマグロだけど。
普通においしそうな漬けマグロだけど。
「このマグロはスーパーで買ったのか?」
「はい。すぐそこのスーパー、スリースマイルです」
「そこなら俺も行く。あそこの鮮魚売り場に霊力の満ちたものなど見たことがない。だからやっぱりお前が霊力を持っているんだと思う」
「せやなぁ。スーパーでこんな霊力入りの魚を売ってくれるんなら、あやかしがわっさわっさと来るやろうしなぁ」
「ああ。こんな霊力マグロが売ってあったら、大混乱だろうな」
霊力マグロとは。
「で、この後、まだ調理するのか?」
「あ、はい。今日は丼ものにしようと思っていたので」
金髪ヤンキーの言葉に頷くと、金髪ヤンキーは冷蔵庫に背を預け、腕を組み、こちらをじとっと睨んだ。
「じゃあ、それを作れ」
金髪ヤンキーの命令。私はそれに大人しく従い、調理を始めることにした。
命令口調はどうなの? 文句も言わずに従っていいのかって?
いいよ! だっておなか空いてるから! 霊力なぞ知らん! 食べ物をよこせ!
「じゃあ残りの調理をしますね」
「あ? マグロを白飯に乗せるだけじゃないのか?」
「はい。今日のメニューは山掛けマグロ丼ですから」
金髪ヤンキーに答えながら、調理台の上にあった長芋を手に取る。
そう! 今日はマグロだけじゃなく、長芋も使うのだ!
――山掛けマグロ丼。
それはまさにファンタジー。
マグロのうまみに山掛けのとろっとした食感が加われば、ごはんがするするとおなかに入ってしまう。
どうしよう。想像だけでおいしい。仕事終わりのなんだかんだですっかり減ったおなかが早く食べさせろ! とぐぅぐぅ鳴る。
というわけで、急いで作るために、手早く、長芋に巻かれていたラップを取っていく。
これもスーパー、スリースマイルで買ってきたものだ。
そして、半分だけ皮を剥くと、おろし金ですりはじめる。
「……皮、残ってんぞ」
「これはわざとです。全部の皮を剥いてしまうとつるつる滑ってやりにくいので。皮のところを持つと滑らずにおろせるんですよ」
「へぇ」
「ほら、あっという間」
長芋は滑るのさえ気をつければ、簡単にすり下ろせる。
水分が多く、身も柔らかいからだ。
そうして、できたとろろに醤油をさっとかける。
それを見て、金髪ヤンキーが目をぱしぱしと瞬かせた。
「先に味付けすんのか?」
「まあ好みですけどね。普通のとろろごはんなら後でいくらでも混ぜられますけど、マグロが入ると混ぜるというよりはこう縦にすくって食べるみたいになるじゃないですか。それだと味がばらけてしまうので、今回は先に味付けしようかな、と」
「……色々考えてるんだな」
「まあ」
さらに言えば、味の付け方も色々と考えている。
今回は甘めのタレに漬けたマグロに合わせて、長芋の味付けは醤油だけにした。甘さは長芋の本来持っているもので十分だろう。
「で、次は残った長芋の皮も剥きます」
「なんでだ?」
「私、長芋ってとろろも好きだけど、あのシャリシャリ感も好きなんです」
長芋のおいしさはその食感の変化だと思う。
とろろにすればとろとろに。火を通せばホクホクに。そして、生のままカットすればシャリシャリ食感を楽しめるのだ!
「なので今回の料理を正確に言えば、『漬けマグロにとろろをかけ、短冊切りの長芋をごはんの上に添えました』ですね」
「……長ぇ」
「ほら、推しっていろいろな側面を持っているじゃないですか。それと同じで長芋も調理の仕方によって全然違うんです。じゃあ、どの推しが好きなの? って聞かれるけど、違うんですよね。どの推しっていうか、推しのその全部が好き。いろんな推しを堪能したい。だから、私は長芋も堪能したい」
「お前、時々何言ってんのかわかんねーな」
「すみません。オタクなんで」
そうして会話をしている間に長芋を短冊切りにし終わる。
切り終わった長芋は器に取り、空いた包丁とまな板をさっと洗った。
「で、もう一品作りますけど」
「いてっ」
手をさっと拭き、金髪ヤンキーの持たれていた冷蔵庫をぱたっと開ける。
もたれていた金髪ヤンキーを無理やり動かしてしまったために、明らか金髪ヤンキーが被害を被ったが、深く考えない。調理中に冷蔵庫にもたれているのが悪い!
「これが、猫にあげたマグロにかけた出汁です」
そうして、冷蔵庫から取り出したものをはい、と渡すと、金髪ヤンキーはぎゅっと眉間に皺を寄せた。
「……これが?」
「はい」
「これ、麦茶じゃねーのか」
金髪ヤンキーが手に持ったアクリルのピッチャーをしげしげと眺めている。
そう。それは夏にホームセンターなんかでよくみかける、麦茶などを入れておく冷水筒。
今はそこに薄く色のついた液体が入っていた。
「これは麦茶じゃなくて、水出汁です」
「みずだし?」
「ほら、出汁って昆布を水につけて時間をおいて、温めたあとに鰹節を入れるとかいろいろあるじゃないですか」
「ああ。そんなに詳しくは知らねーけど」
「あれ毎食はさすがにしんどいので、こうして昆布や煮干しを水に入れておくんです」
水出し用のポットを使えば、お茶パックを入れておくような付属の部品がついてたりするので、本当に便利。
冷蔵庫に入れておけばできるし、そこそこ日持ちもするから、使い勝手もいいし。
「じゃあそれ返してもらっていいですか?」
「あ、あ」
金髪ヤンキーから水出しの入ったピッチャーを受け取り、取り出した片手鍋に適量注いでいく。
とぽとぽと鍋に入る水出しはほんのり色づいた黄金色だ。
すると、その様子を見ていた金髪ヤンキーがぼそりと呟いた。
「……霊力が漏れてる」
「せやろぉ? うまそうやなぁ」
「霊力出汁だな」
霊力出汁とは。