第30話:暴走する愛の結末
第30話:暴走する愛の結末
健太の寝室のドアが、遥の鍛え上げられた肉体による凄まじい打撃によって、家全体が震えるほどの衝撃音を立てた。
「健太! そこにいるんでしょ! 開けなさいよ! 結衣さんの勝手にはさせないんだから! 私のこの腕が、あんたを助けろって叫んでるのよ!」
廊下に響き渡る遥の怒声は、もはや理性を完全にかなぐり捨てた飢えた獣の咆哮に近いものがあり、その殺気は壁を越えて健太の肌を刺した。
「……うるさい女。これ以上、健太様の領域を汚すなら、排除する。私の手には、貴女の頸動脈を一瞬で断つ準備ができているわ。」
部屋の中から、舞が地を這うような冷徹な声で応じ、暗闇の中でナイフのような鋭い視線をドアへと向けた。
「舞! あんたもそこにいたの!? 二人して健太を独り占めして、密室で何をしているのよ! 卑怯よ、そんなの愛じゃないわ、ただの監禁よ!」
遥はさらに激しく、全体重を乗せてドアを蹴りつけ、鉄製の蝶番が悲鳴を上げながら歪んでいく。
「遥さん、見苦しいですわよ。健太様はわたくしの腕の中で、ようやく本当の安らぎを得ようとしているのです。貴女のような荒々しい女には、この静謐な愛の時間は理解できませんわ。」
結衣は意識の遠のきかけた健太の体を、まるで自らの肉体の一部であるかのように強く抱き寄せ、その耳元で熱い吐息を漏らした。
「嘘よ! 健太は怯えてるじゃない! 私の筋肉が、彼の細胞が放つ恐怖の振動を正確に感じ取っているわ! 今すぐその手を離しなさい!」
遥の執着は、もはや守護という大義名分を通り越し、物理的な破壊と独占へと完全に振り切れていた。
その時、廊下の向こうから志保が、カチャカチャと不気味な音を立てながら、銀色のトレイに数本の特大の注射器と、怪しく光る試験管を載せて歩いてきた。
「どきなさい、遥。私の計算によれば、健太の心拍数はすでに生存限界に近い。私の最新の、脳を直接書き換える精神安定剤を投与しなければ、彼の自我は崩壊する。」
志保の瞳は極度の集中で血走り、科学的な情熱という名の狂気に染まりきっており、彼女の手元には健太を廃人にしてでも手元に置こうとする執念が見て取れた。
「志保さんこそどいて! 健太に必要なのはそんな毒薬じゃなくて、私の肉体による直接的なマッサージと強制的な運動よ! 汗を流せばすべて解決するわ!」
廊下でメイドたちの物理的な対立が火花を散らす中、暗い階段からは莉奈が、どろりと濁った、もはや食べ物とは思えないピンク色の粘り気を帯びたシチューを持って現れた。
「みんな、健太様に食べさせてあげるの……私の血と、私の爪と、私のすべてが溶け込んだ特製シチュー……これを食べれば、健太様は私以外を拒絶するようになるの……。」
莉奈の目には焦点が合っておらず、口角だけが頬を突き破らんばかりに吊り上がり、その姿は地獄の釜を混ぜる鬼女そのものであった。
「莉奈さん、その汚らわしいシチューは健太様の純粋な夢を壊すわ。私の、自分の髪を千切って煮込んだ特製のハーブティーこそが、健太様を永遠の眠りへ誘うんだもん……。」
陽葵もまた、自分の精神が削れる音をさせながら、異様な臭気を放つティーカップを手に、ふらふらと、しかし確実な足取りで健太の部屋へと近づいてくる。
「ふふふ……皆さん、見苦しいわ。健太様は、わたくしが今朝まで身に付けていたこのシャツを抱き、わたくしの香りの中で溺死するのが一番幸せなのですわ。」
絵里が、健太の香りと自分の香りが混じり合った布を愛おしそうに頬にずり寄せながら、女王のような高慢な歩調で廊下を制圧しにかかる。
「……物語の幕切れ、その瞬間を私は待っていたわ。健太様が絶望し、精神が粉々に砕け散る瞬間こそ、私の『愛のクロニクル』の完結にふさわしいフィナーレ……。」
詩織は震える手で、インクが血のように見えるペンを猛烈な勢いで走らせ、廊下で繰り広げられる地獄絵図を、恍惚とした表情で記録し続けている。
「健太お兄ちゃん……杏奈が、杏奈が床の下から助けてあげるからね……。もうすぐ、もうすぐお兄ちゃんは杏奈だけのものになるんだよ……。」
部屋の隅、クローゼットの下から杏奈がドロドロの姿で這い出し、健太の足首を、まるで墓場から伸びる死者の手のように必死に掴んだ。
「……あ……ああ……。もう、嫌だ……。誰か、助けてくれ……。」
健太は自分を取り囲む11人のメイドたちの、それぞれの色がドロドロに混ざり合った、どす黒い狂気の渦に、意識が真っ白に塗りつぶされていくのを感じた。
結衣の、骨まで凍りつかせる冷たい手。
舞の、逃げ場を完全に塞ぐ鋭い殺気の視線。
遥の、守護という名の暴力的な肉体の圧迫。
莉奈の、自分の肉体の一部を混ぜ込んだ呪いの料理。
志保の、精神を根底から作り替える強制的な投薬実験。
絵里の、肺の奥まで侵食してくる香りの独占。
陽葵の、永遠に目覚めぬ眠りへと誘う毒の茶。
詩織の、苦悶する姿さえもページに刻む冷徹な筆跡。
杏奈の、純粋さゆえに底なしの恐怖を与える浸食。
琴音が佐藤家の各所に仕掛けた、健太を縛り付ける数千本の髪の毛のお守り。
そして、暗闇の奥で自分の順番を虎視眈々と狙う、名前すら呼べぬ他のメイドたちの影。
「健太様、愛しています。貴方のすべてを、わたくしの支配下に置いて差し上げますわ。」
「健太様、私だけを見て。私以外の光を、すべてその瞳から消してあげます。」
「健太、もう逃がさないわ。この腕の中で、一生動けないようにしてあげる!」
「健太……壊してあげる。壊して、私の物語の中に閉じ込めてあげるわ。」
重なり合い、反響し、増幅される11人の歪んだ愛の告白が、健太の耳元で巨大な、頭蓋骨を粉砕するほどの轟音となって響き渡った。
健太の心の中で、これまで必死に繋ぎ止めていた理性の糸が、パチンと絶望的な音を立てて断ち切られた。
「……やめろ。」
それは、弱々しくも、しかし底冷えするような明確な拒絶の言葉。
「やめてくれ……! 誰も、誰も僕に触れるな!! こんなのは愛じゃない!!」
健太は獣のような悲鳴を上げ、結衣の拘束を狂ったように振り払い、クローゼットから必死の思いで飛び出した。
しかし、部屋の入り口には、11人のメイドたちが、月明かりを背にして、逃げ場のない鉄の壁のように立ちふさがっていた。
彼女たちの瞳には、もはや人間としての慈悲や倫理のカケラもなく、ただ『健太』という名の獲物を喰らい尽くそうとする、飢えた欲望の炎だけが爛々と輝いていた。
「健太様……この期に及んで、どこへ行こうというのですか? 貴方には、もう佐藤家の外の世界など存在しないのですわよ。」
結衣の、感情を一切排した死神のような声が、地獄の最下層から響くように健太の背筋を凍らせた。
佐藤家の、決して明けることのない長い夜は、ついに救いのない、そして破滅的な最終局面を迎えようとしていた。




