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心臓の音

 それ以上言葉を交わさなくても、潤んだ瞳がお互いを自然に引き寄せ、腕を広げた私の胸に、速水はそっと耳を当てた。


「ねぇ、聞こえる? 心臓の音……」


「はい、聞こえます。ドクンドクンって」


 これまで抱きしめられた時に感じた永遠とも思える安心感を、速水にも感じて欲しくて、ずっと彼を抱きしめたいと思っていた。


(このまま、この時間が続けばいいのに)


 そんな願いが胸に広がるほど、愛しさは深くなっていく。


 すると突然、ふうっと大きく息をついた。


(やっぱり嫌だったの?)


 そんな不安がよぎる。



「ちょっと姿勢が、変だったので」


「そうだよね、ごめんなさい」


 そう言って離れようとすると、今度は速水が腕を広げ、いつものように私を抱きしめてくれる。

 もっと彼を感じたくて、背伸びをすると頬にそっと頬が触れる。

 まるで私の体の一部のように、境界が溶けて一体になっていく感覚。

 頬を伝い、優しく唇でなぞる彼の耳の形。その感触が、痺れるように唇に残る。


「ねぇ……キスがしたい。ダメ……?」


 もう、このまま全てを委ねてしまいたいほど心地いい。


「ねぇ、キスして」


 どこまでも気持ちが止められない。


「……それは、また今度で」


 速水は少し黙ると低い声で言った。

 歯を食いしばるように、理性を働かせて踏みとどまっているのがわかる。その言葉にふと我に返ると、体を離した。


「えっ……何で……イヤ……」


 男の人は、後先考えずに行動する生き物だと思っていた。


「いえ……それは、今度に」


 速水は前を向いたまま、静かに答える。

 もう、後先を考えられなくなっているのは、今や私の方だ。


「イヤ……今日はして……キスして……」


 いつも以上に、好きが止まらない。


「今日だけは……してほしいのに」


「いえ。それはまた今度に」


 変わらず前を向いたままだが、背中に回した腕はむしろ優しい。

 嫌われているわけじゃない。それはわかる。でも、だからこそわからなかった。


「どうして?」


 もっと速水を知りたい。

 もっと深く関わりたい。


 そう思えば思うほど、速水との距離は縮まらない。変わらず前を向いたまま答える速水に、それ以上のわがままは言えなくなった。


 ここまでキスを求めたのには、理由があった。本当は、キスをして気持ちに区切りをつけておきたかった。

 胸の奥に、何かが終わるような、漠然とした予感があった。


——何かが、これが最後のような。


 けれど、ほんの少し触れれば、また抱きしめられる距離に立ち尽くすだけ。

 それなのに、もうこれ以上近づくことは出来なかった。


 どうしてキスをしてくれなかったの?


 この沈黙の意味を、理解できないまま、状況をうけいれるしか出来ない。

 その答えを探すように、心はいつまでも速水のそばを離れなかった。


——翌日

 手際良く家事を済ませ、真宮と待ち合わせた店へと急ぐ。不安な気持ちは、間宮の顔を見れば払拭出来る気がした。


「この間占ってもらった後にも、色々とあってね。テレビでは前世について語るし、動画を検索すれば全てスピリチュアルな事ばかりになっちゃって。極め付けは……アナタはプレアデス星人ですって出てきちゃったんだよ。ねぇー、何なの? これ。なんか凄い事が起きているみたい」


「そうなんだ。私もプレアデスと他の星にいたらしいよ。それから、私と主人もツインだから……」


 それが当然のように言う。


「えぇー?」


 自分が信じ切れていないものを、肯定されるとは思いもしない。


「あのね、今詩乃ちゃんは潜在意識で、彼に惹かれているの。元々は一つの魂だったものが別れて存在し、一定の魂レベルになると逢えると言われてるのよ。でもねツイン……魂が一つの人と出会うと、結構みんな大変な思いしているわね」


(こんなに苦しい想いは私だけじゃなかったんだ……)


  確かに世の中に愛に苦しんでいる人は沢山いる。 会いたくてもいつでも会えるとは限らないし、両思いだとも限らない。

  初めて心から好きな人と結婚して、恋愛が苦しいなんて思いもせず、だから余計に無防備に速水を好きになってしまった。ただ今まで苦しい恋愛を経験した事がなかっただけ。


「私これから速水さんとどうしたらいいんだろう?」


 まさか、何気なく問いかけたその言葉が、これから生きる事の意味を問いかける日々になるなんて、思いもしなかった。



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