第四十七話 紗良と豚汁の思い出
「カイル――」
紗良は作業小屋の中を覗き込んだ。中では、カイルが、蝋燭の灯を頼りに、木板にヤスリ掛けをしていた。
紗良が彼の名を呼ぶと、カイルはその手を止めて顔を上げた。
「紗良さん、どうしたっすか? お腹空いたっすか?」
カイルの言葉に紗良は、首を横に振りながら小屋に入って来た。
「お腹は――今日は、空いてないわ。大丈夫よ」
手にしていた手提げ籠をカイルにみせる。
「ちょっとね。カイルに夜食を作って持ってきたの」
紗良の言葉に、カイルは一瞬驚いた様子を見せたが、すぐにその顔を綻ばせた。肩にかけていた布で手を拭いながら、壁際に置かれた長机に向かう。
長机の前には、丸椅子が二つ置かれていた。紗良とカイルは、それぞれに腰を下ろし隣り合って座った。
紗良は、持ってきた籠の中から小皿と深皿を取り出した。それを見たカイルは、驚いた様子で、声を上げた。
「おにぎりっすか?!」
「そうよ。ヴォルフにあげる分とは別に、ちょっとだけ多めに炊いておいたの」
「お米、いいんすか?」
カイルが嬉しそうに尋ねた。紗良は、やわらかな笑みを浮かべながらうんうんと頷いた。
「いいのよ。いいのよ。もちろんよ。カイル、あなた、最近ずっとソリ作りして、仕事して、料理して――って、誰よりも頑張ってたじゃない。特別よ。それと、今日は、お味噌汁も持ってきたのよ。こぼれないように、厨房にあった一番大きな深皿に入れてきたわ」
紗良は、両手で深皿を持ち上げた。カイルの前にコトリと置く。
「あっつあつではないけど、どうぞ、召し上がれ」
笑顔でスプーンを差し出した――。
「――このお味噌汁、すっごく美味いっす。いつものと全然違うっす。あ、これ干し肉を入れたっすか?」
カイルが驚いた様子で尋ねると、紗良は、嬉しそうに頷きながら答えた。
「そうよ。正解。それはね――豚汁って言うのよ」
「とんじるっすか?」
「うん。豚肉とお野菜に、こっちにはないけど、こんにゃくっていうのを入れて、お味噌と一緒に煮込んで作ったもののことよ。
お味噌汁の豪華バージョンって感じね。豚汁とおにぎりって、最強の組み合わせなのよ。
今度、ソリが完成して、お米を調達したら、みんなと一緒に豚汁おにぎりを食べようと思って、それで試しにちょっとだけ作ってみたの。
ここのお野菜ってあっちと微妙に違うから、それに、お肉も、今は干し肉だけだし、ちゃんと再現できるか不安だったけど、でも、干し肉でも十分にいいお出汁が出たわ。かなり本物の豚汁に寄せられたと思う」
自信作よと紗良は、腰に手を当てた。
「すっごく美味しいっす。それに、紗良さんの言う通り、おにぎりに豚汁、すっごくあうっす」
興奮してうさ耳を出したカイルは、それからパクっとおにぎりを頬張り、豚汁を啜った。
笑顔でもぐもぐと口を動かしながら、うさ耳をぴこぴこと動かしている。
紗良は、嬉しそうに夜食を食べるカイルの様子に、自身もつられて笑顔になりながら、
「でしょ、でしょ。おにぎりにがっつきながら、あっつあつの豚汁を流し込む。最高よね。豚汁は、冬の定番なのよ」
「定番っすか」
「そうよ。冬に、祖父の家に行くと必ず一回は、豚汁が出てきたし、それに、雪まつりとか、スキー場の食堂でも必ずメニューにあったわ」
「お祭りっすか? 冬に、お祭りあるっすか? じいじの言ってたお祭りは夏だったっす」
「こっちのお祭りは、確かに夏の一回だけだったわね。でも、私の住んでいた日本では、夏にも、冬にも、春にも、秋にも、とにかくたくさん、いろんな場所で、お祭りが開かれていたのよ。
さっき言った雪まつりっていうは、冬のお祭りで、日本の北の方で、毎年開かれているものなんだけど、その雪まつりでは、大きなお鍋で作った豚汁が毎年かかさず売りに出されてて――
寒い中食べた豚汁、美味しかったなぁ。冬に、外で食べる豚汁とかコーンスープって、普段家の中で食べるのよりなぜか倍以上美味しくって――最強なのよ」
「雪のお祭りっすか。せつぞうをみるおまつりっすか? せつぞうってなんすか?」
「雪像は、そうね、雪を固めて作る、うんと、雪だるま? あ、カイル、だるまって知ってる?」
カイルは、首を横に振った。
「そうよね。いきなり雪だるまなんて、言われてもね。だるまとは? って説明からはじめちゃったら――それこそ朝までかかっても足りないわ」
あっと、紗良は、立ち上がった。
「じゃあ、私、今から雪だるま作ってみるわ。カイルに雪だるまの実物を見せてあげる」
軽い足取りで小屋を出ようとする紗良、カイルは、慌てて彼女の腕を取った。
「今からっすか? もう夜っすよ? 雪って、外で作業するってことっすよね?」
心配そうに紗良を引き止めるカイルに、紗良は、無邪気な笑顔を見せた。
「外で作るけど、でも、大丈夫よ。雪だるまくらい、小一時間でちゃちゃっとできるわよ。ま、確かに、もう夜だけど、夜更かしは私の得意技だし、それに、昼間だとヴォルフが後追いしてきて雪だるまどころじゃなくなるし。
大丈夫よ。風邪をひかない程度に、ちゃんとやるから。私、こう見えても大人なのよ。ちゃんと引き際ってもんを弁えているわ。
長くかかりそうなら、明日に持ち越すし、それに、寒さっていっても、私には、このじいじの革靴と半纏があるから、無敵よ。
ああ、雪遊び、何年ぶりかしら、童心に返るってこのことね。くぅ。わくわくしてきた。
じいちゃんが作ってくれた雪だるま、あれ以上のクオリティで、そうね。私は、うさ耳雪だるまを作っちゃおっかな? あ、時間が余ったら、かまくらを作るってのもありね」
紗良は、笑顔で小屋を飛び出した――。
「――ああ、痛い、かゆい。痛い。かゆ。いた」
紗良は、居間のベッドの上で苦しそうにその顔を歪めていた。彼女が眉間に皺を寄せながら見つめている彼女の両足の指先は真っ赤に腫れている。
「雪遊びして、しもやけって、お前――」
ジョバンニがベッドに腰かけながら、呆れた表情を浮かべた。彼は、赤ちゃんヴォルフを抱っこしている。
ヴォルフは、紗良に両手を伸ばして彼女に抱っこして欲しいとジョバンニの腕の中で暴れていた。
紗良は、ジョバンニの手からヴォルフを抱き寄せると、
「だって、つい懐かしくって――」
ギュッとヴォルフを抱きしめた。
「いや、いや、懐かしいってお前。弁えてる大人じゃなかったのかよ。ババアが何時間も雪遊びして、しもやけって、しかも、こんなひどくなる前に、気づけよ。こんなんじゃ、当分まともに歩けねぇだろ。薬草だってめっちゃくちゃ使ったんだからな」
ジョバンニの言葉に、紗良はすみませんと肩を竦めた。
「はあ、とにかく、飯持ってきてやっから、それ食ったらヴォルフの相手しながら、休んでろ。しもやけが治るまで、お前の仕事は、俺とカイルで手分けして終わらせるから。ま、後でたんまり果実酒、請求させてもらうけどな」
腰をあげようとするジョバンニの服を紗良は慌てて引っ張った。
「ご、ご飯はいいわ。いらない。今日は、食べないわ」
「あ? なんでだよ。お前、さっきからお腹、ぐうぐう鳴ってるだろ。腹減ってんだよな」
「あ、あの。いいのよ。しもやけが治るまで、ご飯は、ちょっと――」
言い淀む紗良に、ジョバンニは訳が分からないといった様子で、
「しもやけと、飯ってなんも関係ないだろ。飯を抜いたってしもやけが早く治るわけじゃねえし」
なんだ? と訝し気な表情で紗良を見るジョバンニ。紗良は、顔を真っ赤にしながら、
「いや、ご飯を食べるとそのね。お便所に行かないとならないじゃない。その、私、まだ、足が痛くって、歩いたりもきつくて、その踏ん張れない――」
紗良の言葉に、ジョバンニは心底残念そうな顔をした――。
その日の夜、おさるさんから報告を受けたアーサーは、また、完璧な設計図を書き上げた。
その設計図をもとにカイルが完璧な仕事をした結果、塔の和式便所は、見事な洋式便所へとバージョンアップした。




