第四十八話 アーサーは欲す。子狼の乳歯と若き肉体
「――紗良さん、今日は何を作ってるっすか?」
カイルの言葉に顔を上げた紗良は、手にしていたまち針をテーブルの上に置きながら言った。
「巾着袋を作っているのよ」
「きんちゃくぶくろっすか?」
「うん。巾着。巾着っていうのは、そうね。私も何かわからないからあれなんだけど――ま、とにかく、小さな手提げ袋って感じかしらね。あ、ちょっと待っててね。今、実物を見せてあげるわ」
紗良は自分の言葉にはっとして顔を赤らめながら、
「実物って、嫌だ。私、また思い出しちゃった。はぁ。あのしもやけ事件。この歳で雪遊びしてしもやけって――お便所行けないって、ああ、最悪。最凶の黒歴史だわ。今思い出しても、心がざわざわに、ざわつく。あの一生痒いしもやけ、最高に苦しい体験だったわ。どんなに呪文唱えても全然治らなかったし――私の能力、虫歯治療専門って確定したし」
はぁと紗良は、大きなため息を吐いた。
困った表情を見せているカイルに、紗良は「あ、でも」と、顔を明るくして、
「カイルが洋式お便所を作ってくれたおかげで、私、しもやけでもお便所使えた。心置きなくご飯も食べれたし、すっごく助かったわ」
ありがとうねと紗良が礼を言うと、カイルは照れくさそうにしながら言った。
「紗良さんが、お便所気に入ってくれて良かったっす。アーサーさんの設計図がとっても良かったっす。あれ、本当にすごかったっす」
ニコニコとしながら答えたカイルは、それから思い出したように視線を斜め上へと向けた。
「――でも、ちょっと気になってたっす。紗良さん、なんであの時、あんなに頑張って雪だるま作ってたっすか? いつもなら『お腹冷えたら大変』って言ってすぐにやめてたはずっす」
言い終えたカイルは、紗良を見た。紗良は、カイルの視線に肩を竦めながら、気まずそうにして答えた。
「確かに、そうね。いつもならあんなに粘らなかったわね。そうね、なんか、あの時ね、カイルのソリを作る姿を見て、なんだか、手際よくソリを作っているカイルがとても格好良くて、もう、立派な職人ね。大人ねって思って。それで、なんていうのかな、子どもに追い抜かれたみたいな? 私、置き去りにされてるって、そんな感情になっちゃって。
そうしたら、私だって、まだ、まだ、やれるのよ的に思っちゃったのよ。
それで、対抗意識を燃やしちゃって、なぜかすんごい雪だるまを作ってカイルに尊敬してもらっちゃおうと、また変に暴走しゃちゃって――ま、多分だけど、親って時々『私だってまだまだ現役だわよ』って、頑張りたくなることがあるのよ」
「じいじがよく言ってた『まだまだ、若いもんにゃ負けんわ』ってことっすか?」
カイルの言葉に、紗良は、それよと頷きながら、
「それ、それ、そんな感じ――私の場合は、負けんわって意地張ったら、しもやけになって、便所で踏ん張れなくなるっていうとんでもない結果に終わって、むしろ若いもんに完敗したみたいになったけど。
まあ、まあ、まあ、私だから仕方ないわね。
若者に勝とうと必死になったババアの悲惨な末路よ。カイル、あなたは、是非私を半面教師にして、若い人の成長は張り合おうとせずに、素直に喜ぶのよ。あれ、私、今、自分の失態を説教にすり替えた? 偉そうじゃなかった? え、これ、老害? うっそ、そんなに歳取ってきたの?」
いやだわぁと紗良は、出来上がった巾着をポンと叩いた。黙って紗良の作業を眺めていたカイルと視線を合わせると、明るい声音で言った。
「完成。見ててね。このさっき通した紐の両端を引っ張ると――ほら、袋の口が閉じたでしょ。これが、巾着袋よ」
「すごいっす。これなら中のもの飛び出ないっす。便利っす。ちょっと、見せてもらっていいっすか?」
紗良の手から巾着袋を受け取り、まじまじとそれを眺めたカイルは、でもと首を傾げながら尋ねた。
「これ結構小さいっす。何を入れるっすか?」
「これにね。ヴォルフの歯を入れようと思って」
「歯っすか? この前、サークルの中に転がってたあの乳歯ってやつっすか?」
紗良の言葉に驚いた表情をしているカイルに、紗良は、笑顔で語り始めた。
「そうよ、あのときジョバンニがみつけたやつ。その子狼の乳歯をね、この巾着に入れて記念としてとっておこうと思って。
本当は、日本では、乳歯が抜けたら元気な大人の歯が生えてきますようにって願いを込めて、上の歯が抜けたら下に投げる。下の歯が抜けたら上に向けて投げるっていう風習が昔はあったんだけど。
でも、最近はね、抜けた乳歯を外に放り投げないで、全部保管しておきましょうみたいなのも増えててね。私は、ほら、なんでも思い出に残すのが好きじゃない? だから、子狼の乳歯も投げちゃわないで、残しちゃおうかなって、あの子の乳歯、ちっちゃいくせに一丁前にとがってて、ほんっと可愛いのよ」
見る? と言って紗良は、ポケットから巾着を取り出した。カイルは、自身が手にしている巾着と紗良のを見比べながら、
「二個作ったっすか? 上の歯と下の歯で分けるっすか?」
「あ、これはね、違うの。カイル、あなたが今持っているのは、アーサーにあげるために作ったの。彼に子狼の乳歯の話をしたら、彼も欲しいって言って、それで、子狼の歯を半分こにしようってことになって」
こっちが私のよと、紗良は手にしている巾着をひらひらとさせてカイルに答えた。
カイルは、自身が手にしている巾着の口を開けてなかを眺めながら言った。
「でも、子狼の歯、まだ一本しか抜けてないっす。ヴォルフ最近、人の姿でいる時間が長いっす。狼の姿にならないと歯、いつまでも抜けないっす」
「そうなのよ。ヴォルフ、最近ずっと人の姿でいるでしょ? それじゃあ、子狼の乳歯、いつまでたっても抜けないわよねってことになって、それで、アーサー、子狼の乳歯をゲットするために、毎日彼とかけっこすることにしたのよ。ヴォルフ、早く移動したいときにしか獣化しないから」
紗良の言葉に、カイルは納得した様子で、厨房の扉を眺めた。
「ああ、だからっすか。だからアーサーさん、最近毎朝、狼の姿で子狼と廊下を追いかけっこしてるっすか」
「そうなの――」
紗良の話を遮るようにしてジョバンニが厨房に入って来た。彼は、半纏を纏い頑丈な革靴を履いている。
厨房の隅で会話をしていた紗良たちを認めたジョバンニは、二人の方へスタスタと歩いてきた。
紗良たちの目の前まで来ると、ジョバンニは持っていた毛糸の手袋をつけながら、
「俺、もう用意できたけど、アーサーさん、まだヴォルフと追いかけっこか? 暗くなる前に、蔵に行って米を積んでって――まだ間に合うか?」
大丈夫か? と心配しているジョバンニの背後から、アーサーが顔を出した。彼は、赤ちゃんヴォルフを抱きながら、
「心配せずとも大丈夫だ。十分間に合う。何度も言うが、私は、普段から鍛えておるからの。まだまだ、体力も残っておる。陽が落ちる前に戻ってこれる。安心せ。
そうだ、ジョバンニ、蔵まで競争するか? ソリを引きながら走る私と、手ぶらのおぬし、どちらが先に蔵に着くかの?」
ニヤリと口角を上げたアーサーは、紗良にヴォルフを抱かせると、すっと獣化した。
『行くぞ』と、短く言い残した銀狼は、その綺麗な毛をなびかせながら颯爽と厨房を後にした――。
「アーサーたち遅いわね」
紗良は、ヴォルフを背負いながら窓の外を眺めていた。カイルも心配そうにしながら紗良の隣に立っている。
夕闇迫るなか、ずっと耳を動かしていたカイルがあっと声を上げた。
「ソリの音っす。帰ってきたっす」
紗良と顔を合わせたカイルは、それからすぐに駆け出した。紗良も、安堵の表情で肩の力を抜くと、すぐに玄関へと向かった――。
「アーサーさん、本当に大丈夫ですか?」
麻袋が積み上がられたソリを背に、ジョバンニが銀狼に尋ねた。
ジョバンニは、心配そうに銀狼の顔を覗き込みながら、彼に取り付けられていた皮紐を外している。
銀狼は、息も絶え絶えと言った様子で口を開きっぱなしにしながら、肩で息をしていた。雪の上に座り込んでいる。
「大丈夫?! 何かあったの?」
紗良が駆け寄りながら尋ねた。銀狼は心配そうに彼を見つめる紗良に首を横に振りながら、
『大丈夫だ。少し――少し疲れただけだ。あ、案ずることはない。すぐに回復する』
言いながら立ち上がった銀狼の足は、小鹿のようにプルプルと震えていた。
『す、少し、居間で横になってもいいかの。お米を運ぶのをおぬしらに頼むことになるが――すまんの。少し、自分の体を――過信していたかもしれぬ』
心配する紗良たちに『すまんの』と、掠れた声で言い残した銀狼は、その身を引きずるようにして塔の中へと消えていった――。
翌日、全身を筋肉痛に襲われた銀狼は、ベッドから出ることができずにいた。
いつもの追いかけっこができないと子狼は、銀狼の体を引っ張るようにして彼の銀色の毛に噛みついた。
子狼を諫める力すら残っていなかった銀狼は、子狼にされるがまま彼にその艶やかな毛を一日中噛ませ続けた。
銀狼の周りに、子狼の乳歯が何本も散らばり落ちた――。




