第二十七話 面倒事と策士
先にクーラーボックスをベンチまで運び、タオルの乾燥が終わるまで全体の練習を観察することにした。
なぎさの隣に腰掛け、フィールドを見渡す。まずは休憩後のウォーミングアップのようだ。
ゲーム前のウォーミングアップとのことで、ただ走るだけでなくパスや軽いシュートを打っている選手もいる。
中でも目を惹いたのは東だ。唯一の女子選手である彼女は、一人精神統一を続けていた。周りの声が聞こえていなかったのか、星元が肩に手を置いた瞬間に飛び上がっていた。そして星元がベンチを指すと、東もこちらを向いて小さく手を振ってくれた。
同じように手を振り返せば、直後に笛の音が響いた。
「これから五対五のゲームを開始する。各ポジションでチーム分けを行ってくれ」
指示を出した月城さんは神風先輩を呼び出すと、持っていたGK用のユニフォームと手袋を手渡した。どうやら今回のゲームではあの二人がGKを務めるらしい。
チームは分けられた。ここではGKの二人の名前を借りてチームを紹介しよう。
まず月城さんチーム。FWは白亜先輩。MFに皇先輩と星元、DFに花園先輩だ。
次に神風先輩チーム。FWは東。MFに静島先輩、DFに快野先輩と水森だ。
事前に用意しておいたビブスの赤を月城さんチームに、青を神風先輩チームに配る。そのまま審判を任されたなぎさを置いて、わたしは乾燥が終わったであろうタオルの回収へと向かった。
宿舎の中を歩いていると、前方からレインがやってきた。スルーして通り過ぎるも、背後から執拗に話しかけてくる。
「……聞こえてる? あやめちゃん? おーい。おーーい!」
「〜〜ッうっさいわね! 聞こえてるわよ!」
「わぁびっくりした」
至近距離で咆哮を受けたにも関わらず飄々と薄ら笑いを浮かべているレイン。あの顎髭はどこにやったのか、現在はムカつくほどに綺麗な素顔がすっかり見えている。
「で、何の用? わたし急いでるの」
「そんなにカッカしないでよ〜。ね、ね、あのクーラーボックスどうだった?」
「クーラーボックス? 何のこと?」
ふと、ドリンクをクーラーボックスにしまった時のことを思い出した。ふわりと香った甘い香り――まさか。
「……あんた、何か仕掛けた?」
「えへっバレちゃった?」
「自分からバラしたんでしょ。……一応確認するけど、人体に害をなすものじゃないでしょうね」
「そんなことはしないよ。クーラーボックスにちょーっと錬金術で作った芳香剤をかけただけで」
「……効果は?」
「えー、それバラしちゃったら面白くないじゃん」
ゴンッ。
「痛い……」
振り下ろした右手を軽く振るい、同じ質問をする。
「その芳香剤の効果は?」
レインは出来立てのタンコブを指で突きながら答えた。
「いてっ。……友愛恋愛に関係なく、あやめちゃんに対して好意を抱いてる人の好意が倍増するものだよ。まだ試作品なんだけどね」
「なんてものを作ってんのよ、あんたは……」
想像以上にふざけている代物に溜め息が出る。でも試作品、ということは大した効果はないだろう。
「というか昨日、あまり干渉しないって約束したでしょ」
「うん。だから間接的に干渉しちゃった☆」
ゴンッ。
「あんたに期待したわたしがバカだったわ……あれは合宿中は絶対に関わってくるなって意味よ」
「そ、そんなぁ! こんなに楽しそゲフン。おもしろゲフンゲフン。心配してるのに!」
「前の二文、聞こえてるわよ」
二段目のタンコブを頭頂部にこさえたレインが涙ながらに訴えてくるが、当然響くことはなく。
「だ、だって……だってだって! せっかく男っ気の微塵もないあやめちゃんがドキッ☆男だらけの夏休み合宿♡に参加してるのに、未だになーんにも起こんないんだもん! つまらないよ!」
「なによその乙女ゲームみたいなタイトルは。あと男っ気が微塵もないは余計よ!」
「ユニコーンのお墨付きなのに!」
脳裏に浮かんだのはわたしに男の影がないとわかった途端に手のひらを返したように満面の笑みを浮かべたあのユニコーン。種族柄仕方がないとは言え、嬉しい言葉ではない。……わたしだって一応は夢みる女子中学生だもの。
「今なんか可愛いこと考えてなかった?」
「そんなわけないでしょ。次は三段よ」
「僕の気のせいだったみたいだねごめんねだからその拳を収めてくれると嬉しいなお願いしますあやめさん」
渋々拳を収めれば、レインはほっと胸を撫で下ろした。
途端、外からハーフタイムを知らせる笛の音となぎさの声が聞こえてきた。
「っああもう! 早くタオル運ばないと!」
「頑張ってね〜」
「あんたも手伝うのよ!」
「え〜。僕、一応老人の管理人役なんだけどなぁ」
駆け足で浴室に向かい、乾燥機からタオルを回収してレインに畳む作業を押し付ける。急かしながらも意外と綺麗に畳み終えられたタオルを持ち上げてダッシュでグラウンドへ向かった。
「あっあやめおかえり〜!」
審判の位置からぶんぶんと手を振るなぎさ。件のクーラーボックスは既に開いており、あろうことか自分で取りに行くセルフ方式にしたようだ。あれでは全員がレインの作った芳香剤を嗅いでしまうではないか。
そろそろ頭痛がしてきたところでタオルを置こうとベンチに向かう。その瞬間、目の前を影が覆った。
「な、なんですか? 花園先輩」
花園先輩は無言でわたしの腕からタオルを掻っ攫うと、代わりにベンチへと運んでくれた。そして今度は水森が駆け寄ってきて「タオルありがとうございます! 疲れてますよね? 俺ので良ければドリンク飲んでください!」とボトルを押し付けてくるではないか。
水森には丁重にお断りさせていただいたが、どこをどう聞き間違えたのか「俺が水分不足にならない心配してくださってるんですね! 俺だってそんなにヤワじゃないのに……優しい……好き……♡」などと呟いている。
試作品じゃなかったのかと宿舎の方に目を向けるが、そこにはレインの影もなく。
再び前を向けば水森でなく白亜先輩がタオルを持って立っており、「走ってきたのか? 汗かいてるぞ」とか何とか言いながら自分のタオルでわたしの額を拭った。
すると今度は遠くから――具体的にはベンチから――東の声が聞こえ、「柿﨑さん疲れてますよね。お席、取っておきました!」とまで言っている。
あれよあれよと水森と白亜先輩に連れられ東の座っていた席に座らされると、背後から花園先輩の手が伸びてきてショートカットの髪を弄ばれる。
しかもその様子を見て誰一人おかしいと思っていないのだ。
おかしい。絶対におかしい。
試作品だから大した効果はないと思っていたのに、これでは逆に――。
「うん。明らかに錬金物が効きすぎているね」
「つ、月城さんっ!」
月城さんも何かしてくるのかと身構えていると、彼は「俺には効かないから安心してくれ」と微笑んだ。
というか、こんな人前で錬金物がどうたら話していいのかと問えば、「今、他の子は全員意識が朦朧としている状態に近い。俺たちの会話もなんてことない日常会話に聞こえているはずだよ」と答える。
「それにしても未完成だとしてもここまでの物を作るとは……やはり彼、侮れないね」
「……これ、どうにかできないんですか」
「俺は錬金術に精通しているわけではないからね。残念ながら」
「はぁ……」
溜め息をつけば水森が酷く心配した顔をして「どうしたんですか? 体調でも悪かったりするんですか?」と聞いてくる。決してそうではないと強く言い切れば渋々下がってくれたが、この状態だとわたしの一挙一動で芳香剤が効いている人の行動が左右されてしまいそうだ。
「クーラーボックスからドリンクを取り出す時に甘い香りがしたんだ。それがこの現状を引き起こした正体だね」
「……はい。レイン曰く、わたしに友愛か恋愛的な感情を持ってるとそれが倍増される、試作品だと」
「なるほどね。彼は惚れ薬でも作ろうとしたんだろうか」
「それはないと思います。あいつ信じられないほど性格捻くれてるんで、こうして掻き回すことはしても直接的なことはしないと思うんです」
「……そうか。ならそれを信用しよう。そして、活用させてもらうよ」
「は? 活用って……」
なにをどうやって。そう聞く前に月城さんは全体へ呼びかけた。
「そろそろ後半戦を開始しよう! 柿﨑さんは何もせず、そこに座って、どちらのチームが勝つか見ていてくれ」
その言葉に反応したのが三人、四人。
「本当ですか⁉︎ お、俺絶対勝ちますから! 俺のこと見ててください、柿﨑さん!」
「蟹﨑が見てるなら俺も頑張っちまおっかなー! よし、俺がカッコよくシュートするところ絶対見てろよ!」
「あ、あたしも! あたしも頑張るから! いっぱい点取るから、見ててほしいな!」
水森と白亜先輩、東がそう言ってフィールドへ向かっていく。
そしてわたしの髪をいじっていた花園先輩はといえば、一度髪ゴムを解いてわたしに手渡してくる。それからユニフォームが汚れることも気にせず床に座ったかと思えば「結んで」と一言。
仕方なくもう一度結べば頭を撫でられ、「俺も頑張るから、見てて」と言い残してフィールドへ入っていった。
十人が入ったフィールドの中で、妙に力が入っている四人。なんなら何かしらのオーラすら見えてきそうな力の入り具合だ。
まさか月城さん、わたしを出汁にあの四人の全力を引き出そうとしているのでは?
そう気が付いた時には、後半戦開始の笛の音が鳴っていた。
……まぁ、悪用されるよりはいいか。




