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ある少女の回想録ー家庭センターの惨状よりー  作者: 雨宮雨霧


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3/3

あとがき

 ある日の放課後、久しぶりの小学校に出向いた。

 通級の教室に集まったのは通級の先生、新しい担任の先生。校長先生。前の担任の先生も居たっけ。

 不思議だった。なんでこんなに先生居るんだって。人見知りが発動するに決まっていた。

 クラスの子たち、なぜか学年が違う子たちの間でも紗菜は心配されたり話題になったりしていたらしい。

 新しい担任の先生と言ってももう1ヶ月は一応経っているわけで。

 担任の先生と教室に行って、隣のクラスの担任の先生とも挨拶をして。

 席を教えてもらって、林間学校の班もなにをするのか、しているかも教えてもらって。

 漢字ドリル、計算ドリルはここまでやる予定ですというのを書いてもらっていた。こともあって頑張れば追いつけるころだった。

 まだ退所して間もなかったこともあって、もう少し休ませてもらうことになった。

 ちょっと遅れてのゴールデンウィークだね、と校長先生に言ってもらったりして。

 でもゴールデンウィーク外出れたんだけどな、勉強なかったし。と思いながら家でしばらく休ませてもらった。


 学校に久しぶり行く日。

 ランドセルも久しぶりに背負った。

 警察に連れて行かれた修了式の日を思い出しながら、泣きながら行きたいと望んでいた学校へ。

 廊下に入った時点で迎え入れられた。

「久しぶり」「お母さん入院してたんやろ?」「元気?」

 いろんな言葉をかけてもらった。

 待ち望んだ学校。嬉しかった。

 5月いっぱいまでは毎日と言っていいほど、担任の先生に今日の予定だとかこれからだとか、体調だったりを聞いたり聞かれたりして過ごした。

 漢字ドリル、計算ドリルをやっていても他の科目はなにもやっていないこともあってしばらくゴタゴタしたり。

 自分だけ教科書を見ながらテストを受けるというのは不思議だった。

 見ても分からなかったけれど。

 テストの時間とかを使って身長体重を計ったり、学校の健康診断を受けさせてもらったり。

 慣れるのには時間がかかったし、色々と大変ではあったが。

 林間学校までの時間もほぼなく。忙しなかったけれど。

 気にかけてくれる人が居たこと。本当に恵まれていたんだと実感する。

 思ったより色んな先生方に気にかけていただいて。人の優しさを改めて感じる時間だった。

 家庭センターに行っている間の分は欠席扱いなんだろうなと思っていたのに出席停止扱いにしてもらっているのを見てびっくりした。

 家庭センターから帰って、家で休ませてもらっていた日の分も。


 学校に行けること、家でゆっくりできること。なにも当たり前なんかじゃなかった。


 ◇


 あとがきになります。


 なんだかこう振り返ると案外覚えているもので。

 というか忘れられない。

 毎日が長くて、濃すぎて。ここに書けるのはごく一部になってしまうのが悔しい。

 記憶はずっと残っているけど書き出すのは頭がぐちゃぐちゃになって仕方ない。

 なので本当に一部。 それが悔しい。

 この時期の、4月後半の夜の空気の冷たさとか。夏場の夜の空気とか。よく覚えている。こういう時期になると思い出す。

 2階に上がるときの空気の冷たさ、静けさ。

 静かな部屋に響く話し声。

 布団に入って顔を見合わせたりして。

 半年以上書いてきたこの回想録。

 一ヶ月書けない、なんてザラにあったけれど。

 思い出すのにも書き出すのにも時間がかかる。

 ただ書き出すだけ、というわけにもいかない。

 大方書き上がればまだいけた、ようにも思う。

 3月に入所した日にちまでには、と思ったけど無理だった。

 5月の退所した日にちまでには。なんとかできた。

 もう二度と思い出したくないと改めて思うし、誰かに話すこともないと思ってしまっている。

 機会があればまた。

 ふと思い出すことはこれからもあるんだろう。

 傷を抉るのは避けたいけど。問題提起できるなら。なにかが変わってくれるなら。

 無駄にはならないから。

 あとがきというか、ただの文章。駄文になりますがお許しください。



 警察で身体を見られた理由は後で知った。

 虐待されてないかを見られたのだと。

 肉体的虐待なんて受けたことなかった。

 学校だって行っているのになにが虐待なんだよって思った。

 精神的(心理的)虐待というものを、中学生になってから知った。

 肉体的とか、それだけじゃなかったことを知り。腑に落ちた、でもそれだけじゃ終われない。

 家庭センターで一番精神的な虐待を受けた気がする。

 初めて死にたいと心から願ったのは家庭センターなんだから。



 5月に入ったとき、もう帰れないんじゃないかとさえ思っていた。

 修了式の日の朝に見送ってもらったので最後になるんじゃないか、と。

 帰りたいのに帰れないかもしれない。学校に行きたいのにもう行けないのかもしれない。

 泣くよね、そりゃ。そりゃそうだ。

 怖かった。自分の意に反して物事が進んでいってしまうことが。

 入院させれたか。あの瞬間を入所している間中思い出していた。



 校長と新しい担任と。通級の担当の先生が面会に来てくれたこと。この話は主体的にとてもとてもありがたかった記憶。

 特に担任の先生は市外から通勤していらっしゃったのに。家から正反対の方向にもかかわらずわざわざ来てくれて。

 今思えばすごくありがたいことで、当たり前なんかじゃないことだった。

 この場を借りまして。本当にありがとうございました、心からうれしかったです。本当に本当に感謝しています。

 小学校の卒業式の前に担任の先生にメッセージカードを書く、みたいなものがあった。

 5年生と6年生の2年間を担任してくれた先生なのに、主体が書いたメッセージは「家庭センターまで来てくれてありがとうございました」だった気がする。

 それくらいには嬉しかった。一番覚えていた。他にもあったけれど。これが一番。

 今書くとしてもこれだろう。


 窓の向こうの外の木がイルミネーションで彩られていて。観覧車は光っていて。これも主体がよく覚えている景色。

 通級の先生が面会に来てくれたとき、通してもらった部屋からはこの景色がよく見える場所だった。

 きらきら光っている木。その奥で回って光っている観覧車。

 薄暗い部屋からずっと見ていた。

 面会の時間が終わるのが惜しかった。一生見ていたかったくらい。

 光るお店に入っていく人、道を歩いていく人。羨ましかった。外という世界に居るということが。

 相談室に遊べるおもちゃとか色々持っていったら居なくてびっくりした、と通級の先生が云っていた。

 迎えが来るまで通級で遊んでいいと思っていたのに、と。

 学校は無関係だった。

 そうなると放デイと親戚と役所と警察と……。なにがなんだか分からない。

 外を見ながら帰りたいと願った。

 何なら先生と一緒に帰りたかった。

 どうにかしてついて帰りたかった。

 帰れるのが羨ましかった。

 家庭センターまで来れば子どもはもう帰ることなんてできないのに。

 先生たちは、職員の人たちは帰れていいよね。

 そう心から思っていた。

 毎日思っていた。



 大人たちが虐待とか言うおかげで行きたくない学校にも行った。

 友達も先生たちも証人だった。

 行きたくなくても、行きたいと泣いていたあの夜を思い出せば行くしかなかった。

 何のために泣いていたのか分からなくなるから。

 行きたくない放デイにも行った。 行きたかったんじゃないのか、って思うだろうが。家庭センターじゃない場所に行きたかっただけだった。

 学校に行きたくなくても頑張った。 もう二度と虐待とか言われたくないし。

 あとで聞いた話にはなるが、担当だったケースワーカーは虐待専門の人だったらしい。

 虐待なんて受けたことねーよ。退所してからずっと思っていた。今も思う。

 つまりは虐待もされていないのに虐待をされていることになっていたことになる。

 小6までの1年間、毎月ケースワーカーが家に訪問に来たのもそのせいだった。

 このまま引き離すつもりだったんだろうか。

 家に戻したくなかったんだろうか。

 機会さえあればまた家庭センターに閉じ込めたかったんだろうか。

 なんで警察に連れて行かれたのか。家庭センターに連れて行かれたのか。今も真相は不明で。

 親戚、祖父母が役所に通報したとか。役所の担当だった人が通報したとか。

 いつまで経っても本当のことを話してくれる親戚なんて居ない。

 なんでこうなったのかを知らないまま迷宮入りするのも嫌だけど、家庭センターのことを迷宮入りさせるのはもっと嫌。



 放デイの管理者に「なにかあったら電話してな」なんて言われたこともあったけれど。

 家庭センターとグルになっていた可能性さえあるこの場所に相談なんてするはずもなかった。

 信用なんてなかった。

 お前らが迎えに来んから家庭センターなんかに閉じ込められたんやん。小学生の間ずっとそう思っていた。

 家に帰さないために放デイに行くように仕向けて、学校に残るように言って、警察に。なんていう筋書きだったのかもしれない。

 友達が来るというのも嘘だったのかもしれない、その日行きたいと紗菜に言わせるために。

 そう考えると納得がいく。

 納得がいってしまうくらいの場所だった。

 みんなグルだった。そう思うと悔しくてたまらない。

 友達に会いたい、それだけのことだったのに。



 母と喧嘩をすれば家庭センターに電話するから、とよく脅し文句を言われたりすることもあった。

 中学1年生になってから言われたとき、配膳とかしなあかんから嫌やなあ。なんて思ったりしながら必死で謝ったものだ。

 食パン焼くとか配膳とかだるすぎて。本当に当時小学生でよかったと思う。

 家庭センターに視点を当てているので紗菜の家庭環境というのはそんなに触れていなかったけれど。

 小学生の間はずっと離れて暮らしたほうが、と大人たちに言われていた。そのせいで親子ともにしんどくなっていた。

 なにも知らないくせに。

 本人の希望なんて大人には興味ないし眼中にない。

 卒業してからやっと自由になった。そういうことを言われることはなくなった。

 そのおかげで家が明るくなった。

 解放された。

 今は平穏に暮らしている。もう誰にも口出しされたくない。なにがあっても。

 傷付けている自覚もなしに平気でそんなことを言える大人になりたくない。



 家庭センターは私物禁止というのがお決まり。

 ただ家庭センターの生活が書かれた紙には自分の下着を2枚までなら持っていける、着られると記載されていた。

 なのにみんな自分の下着すらも没収されて使いまわしのものを着せられていたのはなぜだろう。

 Tシャツ類ならまだいいが。不特定多数の人が使った下着を着せるのは非人道的なのではないだろうか。

 紗菜が行った家庭センターの現状は知らないが、移転して一人部屋ができたという噂は聞いた。

 下着は新しいものを支給していると書かれているのを見たが、それも本当かどうかは分からない。

 持っていけると記載しておきながら没収する有り様なのだから。没収するどころか持って行かせてももらえなかったんだから。

 ちゃんと新品を支給しているならいいが。嘘の可能性も十分にあると思っている。

 職員の質は変わっているのだろうか。

 未だに誰かが倒れても無視をするような環境であるなら。やっぱり非人道的としか言いようがない。

 あることないことをでっち上げて親子を引き離そうとするような真似をまだしているのなら。非人道的としか。

 なにが家庭だ、一時保護だという話になってくる。

 夏に行ったときも警察に連れて行かれたときも、家庭センターの近くに里親募集と書かれたポスターが貼ってあるのを見た。

 たじろいだ。家に帰れる保証なんてなにもない。

 虐待されていなくても虐待だと言ってくるような連中だから。


 3時間しか勉強できないのも不満ではあった。

 学校のみんなは6時間勉強してるのに。というのは思ってはいた。

 追いつけないというのはひしひしと感じていた。

 小学生で、それも夏休みの期間と5月の初めまでだったからまだ勉強はどうにかなったけれど。

 中学生で、長期間の一時保護ともなると勉強時間は足りないし追いつけるはずもない。

 夕食後に希望があれば応じる、というのが何処かの記事に書かれているのも見たが。

 確かによく思い出せば夜に勉強をしていた中学生の子は居た。

 教えてもらえなさそうだったけど。

 紗菜からしてみれば真面目だなあ、すごいなあ。だった。

 鉛筆を使えるという点で自分も勉強するか、と考えたこともあった。

 就寝時間を考えると勉強時間は結局少ないし、編み物でもしておくほうが紗菜は楽しかった。

 鉛筆も色鉛筆も紙もなかった。文字を書くなんて勉強の時間しかなかった。

 中高生は日記を書く時間があるから鉛筆を使えるんだろうけど。紗菜たち小学生にはないから。



 いつだったか、中学生の間で喧嘩とかなにかあった。その中学生たちは2日くらい個室に閉じ込められていた。このエピソードから一つ。

 個室に居る子と話してはいけない。というルールもあった。

 個室で過ごしている子と鉢合わせることはほぼなかった。閉じ込められているので。

 トイレで鉢合わせたとしても互いにガン無視だったし。

 あともう一つ。

 あれはわざと喧嘩して怪我したという話だった気がする。うろ覚えだが。

 外に出るための計画的犯行だったのかもしれない。



 ある日にはおやつを食べてからの掃除の時間が終わってから、男子小学生の部屋に入らず階段に居た。このエピソードからも一つ。

 思い出した。

 どうしても紗菜は行きたくなかった。踊り場の窓から飛び降りて逃げようかとか、思ったりして。

 手すりを足場にして、飛び降りて逃げたら。本気でその機会を狙っていた。

 あいちゃんに「行こ?」と言われても行かない、と言って。行ってて、と言って。

 くるちゃんはもう部屋に行っていたから。あいちゃんも部屋に行ってくれたら誰にも邪魔されずに行けるって思った。

 そうはいかなかった。

 というわけで階段であいちゃんとしばらく話していた。

 そこに勉強を見るおばさんが来て、部屋に入ろうと言ってきた。

 拒否した。

 それで心理士さんを呼べとケースワーカーを呼べと要求したんだった。

 あいちゃんにならなにか話せたし、あいちゃんとなら職員になにか言うこともできた。

 頼ってくれていたようで紗菜が頼っていた。

 その日も変わらず刑務所!刑務所!とはやし立てる声が聞こえていた。

 踊り場の窓から、だけ考えていたわけではなくて。チャンスさえあれば逃げ出したかった。

 勉強する部屋の窓からでも。

 そんなことばかり考えていたせいで今でもここから逃げ出すには、なんて考える。

 変な思考回路ができてしまった。

 そういえば中指を立てる意味を知ったのも家庭センターでだった。



 何処かの記事に男子と恋愛関係になった女子生徒が個室に3週間入ったままだった。また、トイレへ行く際は必ず職員に声を掛け、付き添ってもらわなければならなかった。

 というのも見たが。

 いつから付き添ってもらわないといけなくなったんだ?とだけ。

 紗菜のときの場合は声をかけなければいけないけれど、付き添いはなかった。

 誰かが行っていたら「待っておけ」と言われても。戻ってきたら「はい行ってらっしゃい」だった。

 付き添わないといけなくなるほどの事件でもあったのか。

 あと3週間閉じ込められるのはまあ異常。とだけ。

 2ヶ月閉じ込められる、という噂があった以上驚きはしないが。


 一定のルールが必要なのも分かっているし、そりゃそうだと思う。

 学校に校則があるように、家庭センターにもルールは必要だ。だけれど。

 一定のルールどころの話ではないものもあるし、子どもを守るという観点から外れているようなものもあった。

 一時保護どころか刑務所と化していたのはどうかしている。

 一時保護どころか永遠に親子を引き離そうとしていたのもどうかしている。

 紗菜が退所する前夜に入所してきた子が虐待から逃れられたことはよかった。

 バタバタと職員たちが動いているのを覚えている。きっと急に決まったことだったんだろう。

 また叩かれる、と怯えていたあの中学生の子も。家に帰らされたのか、施設に行ったのかは知らないけれど。

 それでも。色々な家庭の事情があって入ってきた子たちの精神的なケアをおろそかにしすぎていたのは問題だと主体は思う。

 ひとりひとりのためにルールがあるなら。ひとりひとりのためのケアをしてほしい。

 子どもの数と資格を持っている大人の数が合わないのは目に見える。

 でもまだ子ども。事情を抱えている子どもたちだ。

 ケースワーカーに話を聞いてもらう時間がもっとあればいいのか。そういうわけでもないと主体は思う。

 時間がもっとあったとしても紗菜は言わなかっただろう。

 信頼関係も築けていない人に話すはずもない。

 大人が思っている子どもたちの世界と、子どもが実際に見ている世界とではなにもかもが違う。

 心情もなにもかも。

 正解のないことなのでなにも言えないけれど。

 なんで感情が爆発してしまうのか、いじめが起きるのか。

 環境が大きく関係していた事柄はどうにか解決してほしい。


 とりあえずトイレくらい自由に行かせてほしい。

 あとパンツくらい自分のものを着させてほしい。せめて新品を支給してほしい。

 子どもへの尊厳もないような場所が一時保護所を語らないでほしい。

 笑い話にできるものじゃない。そんなレベルを超えてしまっている。



 結局この回想録でなにが言いたいのか。主体も分からない。

 誰にも話してこなかったものをどうして書き残したのか。

 話さないように、と言われていたから。忘れようとしてきた。記憶に蓋をした。

 それでもこうして書き出してみると、思い出せてしまった。

 ビルの赤いランプも、あの場所も、座っていた席も。思い出せてしまう。

 冷たく接したあの子も。結局いじめられていじめてしまった。自分で悪循環を断ち切れなかった。

 まだ世界を知らない子どもだった。そんなの言い訳にもならない。ごめんなさい。

 葉梨紗菜という偽名でも使わないと書けなかった回想録。主体が創作で使っている名前でもよかった。

 それでは書けなかった。別のなにかに投影しないと書けなかった。

 思い出すのは重労働。

 これっておかしいんじゃないか、と世に打ち明けるのも難しいこと。

 それでも思う。 書くのも言うのも重労働だけれど。 誰かが見て聞いてくれるとも思わないけれど。

 声をあげることが大事だと主体は思う。

 言わなければなにも変わらない。

 言ったのになにも変わらなかった。そうなったとしても、どこかには爪痕が残ってくれるはず。

 紗菜が話すことと、共に集団生活をしていた子たちが話すことは全く違うだろうし。

 同じ空間に居ながら全く違う心境に置かれていた以上は。

 噛み合うことといえば刑務所とはやし立てたことくらいだと思う。

 だからこそ大人と噛み合うことなんてない。

 一度、百字帳の一ページを破いたことがある。

 破いたときは朝の勉強のとき。詰め寄られたのはお昼の勉強が始まる前。

 勉強の部屋に行って、席についたら「なんで破った?」と怒られた。

 分かるはずがないだろう。

 もう限界だったことに気付くようなこともないんだから。


 というかあいちゃんと居すぎですね。本当によく一緒に居た。

 本当に。

 今思えば4月後半から5月前半なんてまだ寒い日もあるのに。そんなに半袖にしてって頼まんでもな、いいよな。今だから思う。

 でも当時は小学生。寒い日があるのは分かっていたし、寒くもあったけど。そういうものですよね。

 あいちゃんは心の支えでもあった。

 あいちゃんが居なかったら無理にでも脱走したかもしれない。

 一緒に居てくれてありがとう。



 最後に。

 心から子どもたちが安心して暮らせるようになることを願っています。

 一時保護所が刑務所と思わずに過ごせる場所になってくれたら、と思います。

 どうか現状が変わりますように。


 葉梨紗菜.


 

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