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ある少女の回想録ー家庭センターの惨状よりー  作者: 雨宮雨霧


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1/3

桃の味

 これはそう昔のことではないある少女の回想録。

 どうしても拙い文章になってしまう。それでも記録を残させてほしい。

 書くまでは死ねないと常々思ってきた。いつか必ず書く。そう決めていた。

 何度も書こうとしてきたけれど、書けなかった。

 やっと今こうして、この場所で書けていることが嬉しくもあり辛くもある。

 誰の目に止まるのかは分からない。なにを思うのかも分からない。

 ただ、こういう場所もあって、こういうことがあって。家庭センターという本来子どもが守られる場所。のはずなのに、ということ。

 昔と今とでは違うと思いたいが思えもしない。中身はなかなか変わらないことを痛感してきた。

 名前は全て架空のもの、ということは先に書いておく。まず覚えてもいないので。覚えている子は数人しか居ない。

 一人で回想して文章を書く、というのは案外難しい。人は一人では生きられない。なぜかそう実感した。

 小説でもない、かといってそのまま書いてしまえば自分の心が折れる。どう書くべきかが分からない。

 ということで拙くて仕方ない駄文になった。

 それでは前置きはここまでにして。


 ◇


 精神疾患をもつ母と暮らす少女、葉梨紗菜(はなしさな)

 死にたいと毎日言っている母と二人。

 一緒に死のう、とも言われたし死ぬ準備までしていた。死なないで、としか言えなかった。

 あるときから学校に居ても家に居ても、母が死ぬんじゃないかと怯えていた。

 救急車のサイレンが怖かった。母が死んだんじゃないかと。

 そして当時小学4年生だった紗菜の夏は突如として海の中に沈むことになる。


 ある夏休みのことだった。

 放課後等デイサービスに行っていた紗菜は、昼を過ぎて15時前に急に帰ることになった。

 なんでだろう?と思いながら送迎車の中でなにも知らない紗菜は「帰ったら昼寝するんだー」と呑気なことを口にしていた。

 事実を知っていたであろう管理者は「いいなー」と言っていた。


 家に帰ると、家の空気がいつもと違うのを感じた。滞った空気の中に混じる暗いなにか。

 自分の部屋には夏の明るい日差しが入り込みゆらゆらとカーテンが揺れていた。

「今から家庭センターの人来るから」そう母に言われた。

 元々この長期休みの期間に行く予定であったものの、あまりにも突然の出来事を受け入れる余裕は紗菜にはなかった。

 ずっと泣いていた。この世の終わりを思わせるくらいに。

 どうにか気持ちを抑えようと子どもながらに思った。

 そこで洋服を、勉強道具を。色々まとめて持っていかないといけないよね?と母に訊いた。

「洋服も下着も向こうで用意されるから持っていけない」母は悲しそうに、そう紗菜に言った。

 4年生とはいえ、まだ子どもだった少女はとにかく安心できるものが欲しかった。

 だが家庭センターには私物も全て持ち込めず、下着ですら駄目という環境だった。

 それを耳にした瞬間、また泣き叫んだ。なんで?と何度も繰り返し訊いた。

 母も辛そうに謝るだけだった。山の日の前に行かないと入れない、と言われたのだと口にしていた。

 まるで終末のように思えた。

 こどもの家に行く、とよく()かしていたにもかかわらず泣いた。

 行きたいわけもなかった。

 小学校のスクールカウンセラー、通級の先生。学校の先生。そして関係の薄い親戚たち。

 周りの大人にそれらがつくりだす状況。全部含めてそんなことを吐かしていた。

 ただ、それは自分の思いなどではなかったのだと思い知らされた。

 カウンセラーも通級の先生も言っていた。「離れて暮らしたほうがいい」と。

 洗脳されていただけだった。

 行きたくない。こどもの家にも行きたくない。いい子にするから、そう何度も泣いた。

 泣くというより号泣、というか。縋り付くように、というか。

 言葉にできないほど泣き乱れた。


 早々に迎えに来た職員が、インターホンを無機質に鳴らした。

 母が「もう少しだけ待ってください」と言っているのを聞きながら回らなくなった頭でただ振り子時計を眺めた。

 嗚咽を漏らしながら、母が切ってくれた桃を食べた。甘さと酸味が口に広がる。

 美味しかった。いやなくらいに。


 職員の人がプールもあるらしい、と言ったので水着も持っていった。そんなものは疾うの昔に終わったと着いてから聞かされた。全てが無駄に思えた。

 夏休みの宿題に、家庭センターで使えるようにと買っていた帽子をリュックに入れた。

 もちろんその帽子は没収されてしまうのだが、これくらいなら大丈夫だろうと思っていた。

 玄関を出て、母と手を繋いで車が停まっている場所まで歩いた。

 車に乗せられ、扉が閉まる無機質な音が心にまで響いた。

 遠くなっていく母の姿を見ながら、紗菜はまたひたすら泣いた。

 言葉にならない思いが涙となって溢れ出ていく。


 車の中でもひたすらに泣き、家庭センターに着いてからも泣いた。

 家庭センターの入口に着き、室内に入ると無機質な受付が待ち受けていた。

 紗菜を連れてきた職員が受付でなにか話し、紗菜は監獄の中に連れて行かれた。


 家庭センターの職員室の中にある仕切られた部屋に入り、暗くなっていく空が高窓から見えた。

 それを見上げながら、紗菜は年のいった女性の職員からいくつか質問を受けた。名前、年齢から非行歴まで問われた。

 一通り答え終わった後、家庭センター内でのルールの説明がなされた。

 私物は一切禁止。

 異性との会話は禁止。

 住所、電話番号、入所した理由を他の入所者に教えないこと。

 一日の流れも説明された。

 7時に起床。それから身支度、掃除。終われば朝ご飯。

 8時からは自由時間。

 9時15分からラジオ体操、トレーニング(日替わり)。終わってから自由時間。

 10時30分から勉強。日曜・祝日は大掃除か壁面装飾づくり。

 12時に昼食。

 13時30分からまた勉強。土日祝はDVDを観たり色々。

 15時におやつ。食べ終わったら掃除。それも終わったら自由時間。

 16時から20分くらいまで読書。30分から風呂。それも終われば自由時間。

 18時に夕食。

 18時30分から自由時間。

 19時に未就学児は就寝。

 20時30分に小学生は就寝準備。21時に就寝。

 21時から中学生就寝準備・日記記入。22時に就寝。

 これらの行程はいつも過ごす大ルームの壁に貼られていた。

 説明を受け、紗菜は異性との会話が禁止されていることに疑問を覚えた。

 勘のいいガキでもあったので、性暴力とかそういうのがあったんだろうと思った。

 だからって小学生くらいよくない?と思ったけれど。ただルールに逆らう気も気力もなかったので従った。


 そして私物禁止とあらば洋服から下着まで全て備品に着替えないといけない。

 紗菜の洋服のサイズと、備品のサイズが全く合わず、選ぶもなにもこれしかないという状況だった。

 某オレンジジュースのTシャツと普通のTシャツ、ズボンを二枚ずつ受け取った。あとはグラウンドで遊ぶとき用の帽子をひとつ。

 下着も誰かが着用したものだった。いくら小学生とはいえ、抵抗もあった。

(なんでこんな思いをしないといけないんだろう)

 洋服全てに印がつけられていて、その印が自分が使っているものだと示すものになる。印を覚えておくように言われた。

 タオルも一枚もらった。これには自分の名前が書かれていて、誰かが使ったものではなかった。

 スリッパも借され、これから過ごす部屋を案内された。

 一階は男子が使う部屋と男女ともに過ごす大ルームがあった。二階は女子が使う部屋、個室(退所後に知ったが、説教部屋とも呼ばれていた)があった。

 小学生は畳の部屋、中学生は二段ベッドが窮屈に並ぶ部屋で寝る。

 ここで奇妙なルールを伝えられた。

「トイレに行くときは必ず先生に言って、誰かがトイレに行っていたらその子が戻ってくるまで行けない」と。

 疑問にもちろん思ったが、頷くことしかできなかった。

 そのうち勘のいいガキは誰かがトイレで死んだら困るもんな。という考えに行き当たった。

 女子トイレは二階。男子トイレは一階にあった。

 ただ夜は女子も男子も一階のトイレを使うことになっていた。一階のほうが洋式が多かった。

 男女が一緒ともなると、その分誰かがトイレに行っていたらその子が戻ってくるまで行けないというルールが縛ってくる。

 あと普通に男子と鉢合わせるとか無理。

 夜は寝る時間になるまで我慢するのがデフォルトだった。


 18時。

 晩ご飯の前に、自己紹介をするように言われた。

 時計の前に立ち、恐る恐る口を開いた。

「小学4年生の葉梨紗菜です。よろしくおねがいします」

 ガチガチに緊張している紗菜に、拍手がされた。

 事前に自分の席を教えてもらっていた紗菜はそこに座り、中学生の人たちに自己紹介をされ、小学1年生の子にも優しくされた。

 そしてご飯を皆で食べ始めた。……のはいいのだが、突然の環境の変化についていけず食欲どころか吐き気まで感じていた。それをこらえながら食べ進めた。

 家のこと、母のことを思い出すと食べている最中だというのに涙が止まらなくなった。

 小学1年生の子に心配されても涙は止まるどころか溢れ出てくる。

 職員に大丈夫かと聞かれたが、慣れない環境に知らない人相手ともなると頷くことしかできなかった。

 結局三十分で食べ終わることはできず、幼児さんの使うテーブルに移され、そこで食べるように言われた。

 なぜかは分からないが、ご飯を食べ終わっていない人がいる場合、ピアノを弾いてはいけないというルールがあった。中学生からの視線を感じ、頑張って食べた。

 食べ切ったか残したかは覚えていない。


 晩ご飯のあとは自由時間だが、お風呂に入るよう職員に言われ、浴室に向かった。

 脱衣所には棚があり、その棚に着替えを置き、風呂から上がればそれを着る。大浴場の縮小版みたいなものだ。

 一日着た洋服は洗濯機がある部屋に持っていく。そこにドライヤーも置かれていた。

 家庭センターのお風呂での過ごし方はこんな感じだ。

 積み上がった椅子と桶を一つずつ取り、適当なシャワーの前に座る。一度に六人以上は入れたと思う。

 幼児さんと女子が使う湯船、男子が使う湯船はそれぞれ隣り合って分かれていた。

 男女どちらが先にお風呂に入るかは日替わりで決まっており、一人二十分までという制約があった。

「いつもならみんなで入るから、もう少し暖かい」と職員に言われた。

 夏場とはいえ、夜の広い風呂場は寒かった。

 ここでも奇妙な、というよりは人権問題になりかねないルールがある。

 必ず一人の職員が風呂を監視しなければならない。

 小学生の紗菜でさえそれには底冷えするものを感じた。中学生なら尚更嫌だっただろう。 

 溺れたり事故が起きたら駄目なのは分かるが。裸を見られるのはちょっと。

 洗顔料は中学生以上の人しか使えず、小学生は石鹸で洗った。シャンプーとリンスは使えた。

 髪を洗い、桶にタオルを入れておいてお湯をため、そのタオルに石鹸をつけ身体を洗う。一通り洗い終われば浴槽に浸かる。

 この日は既にお風呂の時間は終わっていたので、洗い終わってすぐに身体をバスタオルで拭いた。

 監視役の職員がバスタオルを一人ひとりに手渡してくれるシステムらしい。

 洋服に着替え、そのまま洗濯機のある部屋へ向かう。乾燥機もある部屋は広かった。

 記憶は曖昧だが着終わった服と使ったタオルはそれぞれのカゴに入れ、そして髪を乾かす。

 紗菜の髪は長かったために、たまに職員に手伝ってもらうこともあった。

 大体の時間を過ごす大ルームに戻り、寝る時間になるまで時間を潰した。

 夜は中学生がテレビのチャンネル権を日替わりではあるが持っていて、家で見ていた番組が映っているのが見えた。

 紗菜は幼児さん用の椅子に座り、母のことを思うと、家に帰りたいと思うと、また悲しみが込み上げてきた。

 その日はお風呂に時間を取られたこともあって、すぐに二階へ上がった。

 お風呂で使ったタオルはその日のうちに洗濯、乾燥され卓球台の上に並べられ、二階に戻る前にそのタオルを持ち、部屋の物干しに掛け、寝る用意をする。

 だが紗菜のタオルはまだ乾いていないということで、また持っていくと言われた。


 小学1年生の女の子、(すい)と職員と二階に上がり、階段を中央とすると左側にある水回りに向かった。

 トイレと洗面台は同じ場所にあり、洗面台は学校のものを想像していただければと思う。

 トイレに関しては洋式が二個あり、一個は夏でも冷たく感じられる普通のもの。

 もう一個は電気の明かりが届かず、薄暗かった。上を見上げてみると小さな窓があった。トイレは温水便座ではあったが、便座が破損していて人気はなかった。

 歯ブラシは流石に使いまわしではない。コップは洋服と同じく家庭センターの備品。それぞれのコップに名前が書かれたシールが貼られていた。歯ブラシとコップは二つのカゴに置いてあった。

 歯磨き諸々を済ませ、畳の部屋、確かたんぽぽという部屋に向かった。

 この日は職員が布団を敷いてくれていたが、いつもは自分で敷く。枕元にパジャマをセットしておくのが鉄則だ。

 パジャマはたんぽぽの部屋のタンスにしまわれていた。

 貸し出してもらって、パジャマに着替え。布団を被る。

 布団の並び順はというと、入所した日は翠と二人しか居なかったが、入口に近いほうから窓側に順番に敷き詰められる。

 窓側まで埋まったら折り返して布団を仕舞う押入れに近いほうから窓側に順に並べる、といった感じだった。

 電気が消され、眠りにつくまで夜勤の職員が監視する。

 入口付近にオルゴールの曲が流れるラジカセが置かれ、悲しげに毎晩曲が部屋に響いた。

 紗菜は初めて家庭センターで夜を越すことになり、いつもと違う天井を見上げていた。

 エアコンのカビの匂いと木の天井。左には翠が寝ていて、その向こうには廊下の明かりが見えた。右を向けばカーテンの隙間からビルの赤いランプ、航空障害灯が見えた。

 赤いランプが点滅するのを見ては、どこか寂しさを感じたりもした。

 眠るまでの間、しきりに家に帰りたいと、母に会いたいと思っていた。

 この日から毎晩会えない母におやすみ、と心のなかで言っていた。それは紗菜にとって、自分が自分であるためのものになっていった。

 泣いても、意味はなかった。

 寝るまで職員が部屋にしばらく居る。

 嫌いというか人気のない職員が夜勤の日は最悪だった。


 午前七時。職員が起こしにきた。

 初めて迎える家庭センターでの朝。

 起きたらまず木のタンスから洋服を取り出す。一個一個の引き出しに名前が書かれ、そこに個々の洋服を入れる。

 メガネも寝る前にそこに入れていた。

 布団を押入れに片付け、物干しに掛けてあったタオルを手に取り水場へ向かう。そこで顔を洗い、また部屋で干し、掃除が始まる。

 朝の掃除は掃き掃除だ。掃除用具入れからほうきを取り、各々長い廊下を掃く。

 中学生以上には当番があり、当番の人は食パンを焼いたりしなければならなかった。そこは小学生でよかった、と思う。そんなのやってられない。

 掃除が一通り終われば朝ごはん。食器を返したり配膳する場所に牛乳とジャムが置かれている。

 ジャムはチョコ、いちご、バターがあったと思う。好きなものを一つ選び、牛乳と一緒に席につく。

 一応やかんに入ったお茶もあったし、湯呑みもあった。

 曜日ごとにポールウインナー等も一緒に出されていた。

 日曜日はバナナ、月曜日と水曜日、土曜日はポールウインナー、火曜日、木曜日はチーズ。

 バナナで曜日感覚を保っていたと言っても過言ではない。

 当番の人が順番に食パンを焼いてくれる。食べながら食パンを焼いて配っていた。

 トースターに入る数は限られているので時間もかかる。

 トースターは二台あった。男女で合計四台。

 余った食パンは食べたい人が食べることができた。ただし半分だけ。

 半分のパンは焼かない派と焼く派に分かれていた。焼かない派が小学生には多かったと思う。

 焼いてないのを食べたら太る、と中学生が言っていた。

 ジャムも余っていればそれも半分ずつ使えた。

 チーズを食パンにのせてその上にチョコを塗ると美味しかったらしい。やったことは結局なかった。

 三本のバターナイフが三種類のジャムに分類され、塗った人からバトンのようにナイフが繋がれていく。

 塗り終わるのを待ちながらぼーっと過ごす。

 初めての環境とあってストレスにめっぽう弱い紗菜は全くもって食欲がなかった。

 牛乳で無理矢理流し込み、牛乳もなくなればお茶で流し込む。

 コップは湯呑茶碗で、やかんは一台半にひとつ置かれていた。

 一週間ほどは食事もおやつもそうやって食べた。

 朝ごはんが終われば自由時間。

 本を読むなりパズルをするなり、各自好きなことをする。

 カードゲームもボードゲームもあった。囲碁とか。

 狭いグラウンドで遊ぶこともできた。

 バドミントンとか色々。

 紗菜は基本いつも漫画を読んだりしていた。

 当時好きだったカービィの漫画があったのが救い。繰り返し読んだ。

 畳の上でのルール、的なものが壁に貼られていた。でかでかと寝転がるのは禁止だと書かれていた。

 邪魔になるしそれはそうだが。ずっと座っているというのもしんどい話だ。

 満足に動けなければ寝転がれもしない。つまらないというか。なんというか。


 体操の時間はラジオ体操から始まり。

 その後は手を体の後ろで合わせる柔軟なのかよくわからない運動をした。

 紗菜も最初は腰の辺りで手を合わせるだけで一苦労だったが、やっているうちに背中の位置にまで到達した。意味があるのかは知らない。

 足を内側に曲げたり外側に曲げたり。

 使いまわしの靴ということもあってよく穴から砂が入り込んだ。

 そこまで終われば日替わりで大縄跳びをしたりゴム跳びをしたり。リンボーダンスもした。

 狭いグラウンドでやるには限界があった。学校の運動場のほうが当たり前によかった。

 遊具は小さい滑り台しかなかったし。

 運動が終わったら手を洗い、水飲み場で順番に水を飲む。

 そのときは丁度お盆が始まったところだったので勉強の時間は作業をしたりする時間に変わっていた。

 壁面装飾を作ったり、プラバンを作ったり。アイロンビーズを作ったり。写し絵をしたり。

 それも楽しかったが勉強の時間がないと夏休みの宿題ができない。それが一番気がかりだった。

 昼ご飯を食べてまた自由時間で勉強の時間の代わりに職員が借りてきたDVDを観た。

 どれも面白かったとは思うし、作品に触れることができてよかったとは思う。

 宿題の心配をしすぎてそれどころではなかった紗菜。

 ずっとこんな調子だったら絶対に終わらない。何なら絶望の域だった。

 おやつはポン菓子が一番美味しかった。

 ヨーグルトだったり……。なにを食べただろう。魔法の粉がかかったお菓子もたまに出たと思う。記憶が曖昧だが。

 おやつを食べたらお皿を返しに行って、自分の椅子をテーブルに上げる。誰も座っていない椅子も上げられる人が上げる。

 椅子によって重さが違う。軽い椅子であれば当たりだ。何気にこれが一番キツかったかもしれない。

 女子は二階の掃除、男子は一階の掃除だった。

 小学生と中学生でも役割が違う。

 小学生女子の場合だと小学生が使う部屋に掃除機をかける人、雑巾で拭き上げる人。洗面台を洗う人に分かれる。

 入所している人数は毎日のように変動するので当番も変わりに変わっていく。それが当たり前だった。

 翠ちゃん今まで一人でやってたのかな?と思うとなぜか翠ちゃんの背中がたくましく見えた。

 流石に一人で全部なんて無理だろうけど。

 中学生女子は中学生が使う部屋に掃除機をかける。洗面台の周り、トイレの周辺に水を撒いてデッキブラシでこすったり。

 学校のトイレ掃除的な感じで、水を撒く日も決まっていた。

 賑やかだったり空気が張り詰めていたり、毎日掃除の時間さえ雰囲気が違った。

 掃除が終われば布団を敷いて、お風呂の後で着る洋服を出しておく。

 それも終われば一階に降りて、大ルームの掃除が終わるまで(大ルームは男子の掃除範囲だった)小学生男子の部屋で時間を潰した。

 なんで女子の部屋じゃないのかは分からない。それが普通だった。

 女子の集まりはなにをするでもなかったが、話をしたりぼーっとしたりだった。

 中学生は色々話していたと思う。

 大ルームの掃除が終わればそこに行き、読書が始まるまでの少しの自由時間を過ごした。

 読書の時間は漫画は駄目だった。でもかいけつゾロリはよかった。今まで読んだことがなかったので試しに読んだ。この期間で何冊か読んだと思う。

 読み終わったら紙に読んだ本と感想を書く。

 鉛筆も家庭センターのもので、鉛筆すらも気軽には使えないしまず置かれていない。

 この読書の時間で使うか、勉強の時間で使うかくらいだった。

 お風呂は先に男子が入る日ならお風呂が空くまで本を読んだり、中学生はよく卓球をしたりしていた。

 先に入る日も特に変わりはない。お風呂から上がったらまた自由時間だ。

 この日は初めて家庭センターに入所している子たちと一緒にお風呂に入った日だった。

 まだ小学4年生、修学旅行も経験していない。誰かとお風呂に入るというのはお泊り保育以来だっただろう。

 脱衣所も決して広いというわけではないし、人が集まれば当たり前に狭くなる。

 お風呂に入る前に着替える洋服を二階から持ってくる。その洋服を棚に置いて、脱いだ服もそこに放り込んで。

 さっさと脱いでさっさと洗って、なんでもさっさとしなければならなかった。後ろが詰まると怒られるから。

 お風呂を監視している職員がバスタオルを忙しなく渡してくれて、出入口で拭く。端から見たら変な光景かもしれない。

 お風呂から上がればさっさと新しい服を着て、着終わった服を持って洗濯機のある部屋までぞろぞろと行く。

 最初はお風呂を見られているというのは慣れなかったけれど、そのうち慣れてなんなら体を洗いながら職員だったり誰かと話していた。

 洗濯物をカゴに放り込んで、順にドライヤーをする。

 洗濯は職員さんたちがしてくれていた。

 ドライヤーも終われば大ルームに戻ってまた色々と本を読んだりして過ごす。

 思い返してみるとほとんど畳の上で漫画を読む生活だった。児童書はあった。読書の時間くらいでしか読まなかった。

 聖書が置かれていたのを覚えている。一度開いてみたけどなにも分からなくてやめた。

 漫画は結構な数があった。いろいろな作品があって。巻が抜けているものもいくつかあった。そんなの構わず読んだ。

 晩ご飯の時間になったら手を洗って着席する。

 サラダにかけるドレッシングもあった。青じそが一番自分的には馴染みがあったのでそれを選んだ。

 なにか忘れたが、あるドレッシングはあまり人気がなかった。選べば変な目で見られてキチガイ呼ばわりされる。

 食べ終われば寝る準備をする時間まで自由に過ごす。

 夜はテレビがついていることが多かった。チャンネル権があるのは中学生だし、中学生といっても順番に権利が回ってくるシステムだしで関係はなかった。

 家で見ていた番組を見れば帰りたくなるし、CMでさえも帰りたくなる。いつも見ていたものが流れるというのは安心材料のひとつでもあったが。帰りたかった。

 テレビをながら見しながらミサンガを編んだり、マフラーを編んだりした。

 マフラーは専用のキットかなにかがあって、ミサンガより作りやすかったかもしれない。

 編むのはこの夜の時間だけということもあって、何気に一番楽しかったりした。

 その間に卓球台の上にお風呂で使ったタオルが乾燥までされて並べられていく。

 就寝準備の時間になれば各自タオルを持って寝る用意に入る。

 2回目の夜ともあらば大体の行動は分かっているし少しずつ慣れていっていた。

 それでも帰りたいのには変わらない。

 離れて暮らすなんてことも今までなかったんだ。

 お盆に親戚と集まってBBQをするはずだったけど、今年はどうやら行けそうにもないし。

 いとこと会えるのはお盆とお正月くらいだったから。会いたかったけれど諦めるしかなかった。

 なにもかもを諦める術はここで身につけたのかもしれない。


 お盆が始まる前に入所しろ、と言われて入所させられた紗菜。

 お盆の期間に兄妹が二人入所してきた。

 じゃあ自分だってお盆に入所できたんじゃん、と思った。

 ただその二人が可哀想だったのは兄妹にもかかわらず異性と話してはいけない、というルールのせいで話せなくなったことだ。

 兄妹なのに?駄目なの?え?

 子どもだからこそ理解できなかった。今も理解できない。

 その二人は入所して数日後に、一日外出できるというなんとも羨ましいイベントが発生した。

 職員が全員に説明している間、入所してきた振りに二人が話しているのを見て、紗菜は嬉しかった。

 身内なのに話せないとか可哀想だった。心の拠り所なんてこの場所にはないのに。

 朝の勉強が始まる前に出かけていって、晩ご飯のときに帰ってきた。

 楽しかったと言っているのを聞いて、羨ましかったけれど嬉しくて。でも羨ましくて。

 寝る準備、パジャマを着たりしているときに翠ちゃんと外はどうだったのか聞いた。

 お土産を買ってもらった、色々食べたと聞いてやっぱり羨ましかった。

 自分も外に行きたかった。

 でも、一日外出できてもまたこの檻の中に閉じ込められるのでは。余計に辛くなるような気がした。

 次の日にはいつも通り、話せない日々が続く兄妹がそこに居た。

 まるで他人のように集団生活を送っているのを見るのはなにか寂しかった。


 ある日、小学1年生の子が入所してきた。

 入所したての紗菜のように泣いていた。

 ただその子の羨ましかったことは、最初から三日で帰れることが決まっていたことだ。

 紗菜は家庭センターに入ったら最低でも一週間は居ないといけないという風に、学校の誰かからだったのかは忘れたが言われていたので。三日ってなんぞや?状態だった。

 お母さんが赤ちゃん生むから、と泣いていた小柄な子。

 中学生も紗菜も三日やん。たかが三日やん。そう思った。

 みんなで慰めた。紗菜も慰めていた。

 大丈夫。寂しくないよ。なんて言って。

 どの口が言ってんだと中学生の目が言っていた。そうですね、その通りだと今なら思います。

 その子は赤ちゃんが生まれたと二日目で帰って行った。


 お盆が明け、やっと勉強の時間が来た。頑張らないと夏休みの宿題が終わらない、とも思った。

 お盆中に一度ケースワーカーとの面談があった。

 そのときに勉強はできているか、と訊かれてやってもいないのに頷いた。

 いつから勉強できるのか聞こうと頑張ったができなかった。なんせひどい人見知りだ。

 心理士さん、謎のおばさんによる発達検査をする日もあった。

 勉強の時間は、小学生の場合は最初に市歌を歌う。それから百ます計算、点繋ぎをする。百ます計算は時間を測って行う。

 できたら手を挙げて知らせる。そこは学校でするのと同じ感じだったと想う。

 点繋ぎは簡単なものから難しいものまで、点が百六十あるものもあった。

 このときはパソコンを使って算数の勉強をしたりできた。ゲーム感覚でできるのが楽しかった。

 それから各自、学校のドリルを基本にやる。このときの場合は夏休みだったので、夏休みの宿題をした。

 読書感想文も書いた。自由研究はなにか作ればよかっただけだった。貯金箱とかそういうのを。

 紗菜は去年友達がアクアリウムを作っていたのを思い出して前から作りたいと母に言っていた。

 母ができたらでいい、と持ってきてくれていたらしい瓶とスパンコールを受け取って。そこで初めてちゃんと安心というものができたと思う。

 母が持ってきてくれたもの。前から家で使うために取っていた瓶と用意したスパンコール。

 できると思っていなかったこともあってびっくりはしたけど。

 家庭センター側がみんなで作れるように全員分用意してくれて、全員でアクアリウムを作った。

 紗菜は母が持ってきてくれたもので作った。それだけで特別でうれしかった。


 いつか忘れてしまったが、二人の実習生さんで合っているか分からないけど誰かが来た。

 何日居たかも忘れてしまった。

 優しい人たちだった。

 夜勤まで実習生さんが交互に勉強して。

 翠ちゃんも紗菜も二人に懐いた。

 だからこそ実習が終わってしまうのが寂しかった。

 一日一日がとてつもなく長いのに。寂しいという感情だけはずっと生きていた。


 ある朝の自由時間にキックボードに乗った同い年の男子に衝突されたこともあった。

 当たり前に痛かった。

 隣に居た翠ちゃんに心配されながら職員の元まで行った。

 職員に呼ばれた男子と対面させられて戸惑った。話してはいけないというルールに縛られているせいで、謝ってもらっていいんだ、という感じだった。

 その日は滅多にない外に行ける日だったが、足を痛めてしまった以上行けなかった。

 悔しかったけど未就学児が過ごす部屋で幼児さんと遊べたのはよかった。よく思い出せば小さい子のお世話が好きだった。


 ある中学生の子と仲良くなれた。

 名前も顔も思い出せない。水色の服を貸し出されていた子、というのは覚えている。

 その子は中学生のなかでも優しい子だった。

 こんな環境の中では年頃の子たちはいじめをするのも普通だったのに。

 仲良くなった中学生の子だけはいじめをしなかったし、一緒に遊んでくれた優しいお姉さんだった。

 バドミントンをしたり、プラバンづくりも壁面の飾りをつくるのも一緒にしたり。

 それはいい思い出だと今でも思う。

 翠ちゃんのお姉ちゃんは中学生だった。優しいときもあればいじめてくるときもある。それが日常。

 翠ちゃんとお姉ちゃんはずっと一緒に居るというわけではないけれど、姉妹らしく振る舞っていたのを覚えている。

 一人っ子の紗菜はぼんやりと微笑ましく見ていた。

 仲いいんだな、楽しそう。そう思った。

 翠ちゃんのお姉ちゃんってあんなに優しく笑うんだ。翠ちゃん相手だもんな。そりゃそうか。と思って。


 住所とか電話番号教えるなというルールの中、中学生の子たちはガン無視していることも多かった。それで度々怒られての繰り返し。

 固定電話の番号を教え合っていた。

 その頃はまだスマホなんて小中学生が必ず持っているものではなかった。


 担任の先生と通級の先生が1回か2回か来てくれた。

 夏休みなのになんで先生と顔を合わせているのか不思議だったし、夏休みなのになんで来てくれるんだろう?とも思った。

 途方もない生活だったこともあって、面談と呼ばれる度にうれしかった。

 敷地が同じとはいえ違う部屋に行ける。違う場所に行ける。

 担任の先生も通級の先生も、一度家庭センターにetc……と言っていた人たちでもあったし、好きでも嫌いでもあった。味方なようで敵。でも知っている人に会えるのはうれしいもので。

 なぜかキノコは好きか、という話になった。

 松茸は?と訊かれて松茸なんか食べたことないのに紗菜は頷いた。

 もう旬やもんなー、と先生たちが言っているのを聞きながらとりあえず頷いていた。

 頷くしかできなかった。やっぱり人見知り。

 ヘアブラシを持ってきた、と言ってくれた担任の先生に戸惑う紗菜。それは持ち込み禁止だと言う職員と。

 なにかを自分のために持ってきてくれたというありがたみと、持ち込み禁止というルールと。受け取りたくても受け取れないというのは子どもながらに辛かった。

 断るというものに慣れていなかったのもあって。

 あと家庭センターのものより先生からのもののほうがよかった。質はあまり変わらないし、受け取れないけれど。


 8月ももう終盤戦の頃、お昼ご飯にいちじくが出た。

 紗菜の好物でもあった。

 そのまま普通に食べようとしたら「皮剥かないの?」とほぼ全員に訊かれて戸惑った。

 今まで普通に皮も食べていた。それが当たり前だと思っていた。

 皮を剥いて食べたのはそれが最初で最後。

 剥くのはかなりだるかった。結局職員に剥いてもらいました。ありがとうございました。


 夏休みの間だけだったからそんなに長い時間じゃなかったはずで。

 それでもほんとに長くて長かった。何ヶ月もそこにいる気分だった。

 翠ちゃんに「なんで家庭センターに来たの?」と訊かれたこともあった。

 入所理由は話してはいけない。

 ルールに縛られすぎている紗菜と、そうでもない翠ちゃん。

「忘れちゃった?翠はお母さんが入院してるから」と慰めるように言われた思い出がある。

 うちもそうだと言ってもよかったはずだが。言えなかった。

 雲のない青空の朝だけ外に行ける。

 その間外行けたのは1回だけだった。衝突事故さえなければ2回だったかもしれない。

 1週間に1回というわけでもなかったはずだし、どういう仕組みで外に行けていたのかは分からない。

 ずっと狭い空間で集団生活をして、狭いグラウンドで運動をして。窮屈で仕方がなかった。


 退所するとケースワーカーから聞いたときはうれしかった。

 また行くことになることも知らずに。今までで一番うれしかった。

 退所するときは家庭センターで着ていた服からスリッパまで全てを返却する。

 自分の持ち物、計算ドリルとかはもちろん持って帰れる。

 職員室から出るとき、退所するときのお決まりらしいがこれからの目標を言わされる。

 勉強を頑張るとでも言ったのか、記憶はないに等しい。

 家に帰る前に母と、母の知り合いと家庭センター近くにあるお店でクレープを食べた。

 縛られていた空間から急に自由な空間に戻って戸惑いこそあった。

 それでも日常というものが戻ってきて本当に心から喜んでいた。

 久しぶりの家に帰って、本当に帰れたんだと心から、本当に心から。苦しかったあの場所から解放されたんだと思った。

 お昼前まで退所することも知らなかった紗菜。無理もない。

 ケーキを食べたりしてその夜は過ごした。


 

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