第七十一話 決着
未来の可能性を否定したくない、もしも病気が治ったら、もしも治療法が見つかったら、もしもこのまま天寿を全うできるまで共に添い遂げることができたならーー
「ーー馬鹿馬鹿しい」
ザカルは言葉を捻り出す。
「未来の可能性? そんなもの……もしもなどありはしないんだよ、ドンキホーテ」
「なんでわかんだ? そんなことが」
ザカルの顔から表情が消えた。
「なぜこの時の牢獄を私が作ったと思う?」
「それは……マリアさんと一生暮らすためだろう?」
ザカルは嘲笑うかのように目を細める。
「それは今の目的だ」
「……最初は違う理由だったのかよ」
「その通りだドンキホーテ」
ザカルはドンキホーテの顔から視線を外す。宙に浮かぶ瓦礫、人々が生活していたであろう建造物の模造品、それらをどこか虚しげに見つめつつ、諦めの混じる言葉を紡ぐ。
「最初は……最初は……彼女の病を治そうと思った」
ドンキホーテは押し黙る。
「このクジラは、人の経験を食らう。それは痛み、苦痛だけでないことは知っているだろう? 誰かの学んだ経験、つまり知識も吸収できる、そこに私は唯一の望みを見出した」
「だが」ザカルは唇を噛み締める。
「知識を……吸収すればするほど、身に染みる。彼女の病が不治の病であることを……完全に治せるほどの医療が確立するのは少なくとも百年先であると言うこともだ」
「だからアンタは……」
ドンキホーテの言葉に男は、狂気と苦しみのこもった声で唸った。
「そうだ!! だからこそ貴様らは、死なねばならない、マリアと私の今のために!!」
「そうかい」とドンキホーテは呟く、一瞬、目を伏せそうになるも、ザカルの瞳を力強くドンキホーテは見つめた。
「だったら俺は、俺達とアンタとマリアさんの未来のために戦うさ……!」
「白々しいんだよ!! 偽善者が!」
ザカルは叫ぶ。
「こい! クジラ! 私に戦うもの達の経験をよこせ!」
花クジラの全身が光る。クジラの背の花畑に乗るドンキホーテとザカルは花の隙間から漏れ出す光に当てられた。
やがて光は、無数の光線となり、弧を描きながら、ザカルの体に吸い込まれていった。
やがて光を吸収しきったザカルは息を荒げ、目の前の怨敵を睨みつけ、言った。
「いくぞ……!!」
その一言とともに、花びらを撒き散らしながらドンキホーテの懐へと突進するザカル。
そのままザカルの掌底がドンキホーテの腹部に直撃する。
その一撃の威力は凄まじくドンキホーテを吹き飛ばす。
「まだだ!」
まだ終わりではない、ザカルは、足に力を込め、そしてその爆発しそうな力の奔流を解き放った。
ザカルの姿が消え去り、花びらだけが舞い散る。
ブリッツステップ。それは優れた戦士にしか使えない、高速移動の技、あまりの速さに常人では目が追いつかない程のその高等技術を用いて、ザカルは一瞬でドンキホーテの吹き飛ばされた、移動先に回り込み、彼の首を叩き落とすべく手刀を繰り出した。
ーー終わりだ、私の不安も、焦燥も。
心の中でそう呟きながらザカルは勝利を確信した。ドンキホーテはもはや体勢は完全に崩れているこの体勢から立て直せるはずもない。
確信と安堵を乗せた、ザカルの一撃はまさにドンキホーテの首元に届かんとしていた。
だがその確信は、あっさりと覆される。
ドンキホーテは瞬時に剣を地面に、つまり、花クジラの背中に突き刺し、身を翻す。
そしてそのまま勢いに身を任せ、手刀を繰り出したザカルの腕を左手で掴み、それを支柱に腕だけの力で無理矢理吹き飛ばされる軌道を変え、同時にザカルの攻撃をくぐり抜けた。
その一連の動作はザカルには知覚することができない、一瞬のうちにドンキホーテが身を翻したかと思いきや、いつのまにかドンキホーテは自分の後ろへと移動している。
ザカルに理解できたのはそこまでだった。
「なに……!?」
ザカルは瞬時に振り向き、ドンキホーテから距離を取った。
当の本人のドンキホーテはなんの苦もなく、再びクジラの背に両足をつけており、背中越しにザカルを睨みつけていた。
青い光の闘気でできたマントが挑発するかのようにたなびくのを見てザカルは声を荒げる。
「馬鹿な! 見切れぬはずがない!」
自分は絶対的な力を手に入れた筈だ、それは間違いないと信じていたザカルに取って今、胸に渦巻く感情は受け入れ難いものだった。
その感情の名は敗北感。
圧倒的なまでの力の差を感じた時に感じた、心を、誇りを、矜持を、踏み躙られた時のあの感覚だ。
ザカルには覚えがあった。この敗北感を。
ーーそうだ、あの時だ。
マリアが、最愛の妻が不治の病に犯されたと、それが決して治らないと医者に告げられた時と同じ敗北感が彼を襲う。
ーーあの時、全てに踏み躙られる気がした。この世の全て……運命というやつに……そうだ。
そうだ、そうだ、そうだ、ザカルは自身のうちに渦巻くその絶対的な敗北感を、火に配る。
ーーそうだ、だとしても! 私は覆した! 私は楽園を作り! 運命に叛逆した!
ザカルは叫ぶ。
「そうだ! この逆境だって私は乗り越えられる! あのときのように!」
「クジラ!」ザカルの指示が飛ぶ、また経験をクジラから吸い上げるつもりだ、とわかったドンキホーテは「やめろ!」と怒鳴り声を上げた。
「もうやめろ! 俺も戦士の経験値を花クジラから吸い上げたからわかる、この力……確かに肉体を成長させるようだが、限度がある筈だ! アンタもわかってるんだろ? 無理に体に経験を流し込んだとしても、肉体が限界を迎える。
成長っていうのは痛みや苦しみがつきものだからだ!」
ザカルは、ドンキホーテの言葉を傾聴していたが、それでも彼の、ザカルの考えは変わらない、片手を花クジラの背に伸ばした。
ドンキホーテは再び、怒声を喉から捻り出す。
「やめろとーー」
「貴様は夢を諦められるのか!!」
「ーーなに?」
ザカルは吠える。
「やっと彼女が生きていける世界を創り出しのに……! それを諦められるはずがない! 手放せるはずがない!」
「マリアさんはそんなこと望んじゃいないだろう! あの人も未来に進みたがっている!」
「賢しいんだよ、小僧が! 所詮貴様も、ただ時の牢獄から抜け出したいだけだろう!」
ドンキホーテは言葉が詰まる。確かにその通りだ、彼自身、未来に進みたい、そう思っている。我欲がないといえばそれは嘘だ。
「そうさ」
ドンキホーテは目を伏せつつ口を開く。
「俺にも、夢はあるその為にはこの牢獄を壊すしかない」
「そうだろう、所詮貴様も自分の欲に従っている人間だ! 随分とマリアを気に入ってるようだが、いいのか? マリアを殺す選択が貴様にはできーー」
「ーーできるさ!!」
ザカルは目を大きく見開いた。そして同時に、怒りが彼の胸の中から沸々と湧き出し、その怒りに従い、口から感情を吐き出す。
「貴様はーー」
「約束したんだ!!」
その怒りをドンキホーテがかき消す。
「俺は、約束したんだ! レーデンス、ロランそしてマリアさんと!」
「彼女が死を望むわけがない!」
ザカルは怒りを口にしそして右手手を振り上げる。その手を思い切りだ指揮棒を振り回すように横に薙ぎ払う。その動作と連動して、空中に浮かぶ複数の建造物がドンキホーテに向かって迫った。
ドンキホーテはガードする間も無く、横から飛んできた建造物によって、クジラの背から押し出され、そのまま誰かの建造物の塊と共に、巨大な瓦礫の山々に衝突する。
巨大な建物の骸の塊にドンキホーテは飲み込まれた。
「迫り来る死が幸せなものか!!」
その言葉を否定するかのように巨大な瓦礫の塊は砕き散る、その中心にいるのは先程、瓦礫で押し潰したはずのドンキホーテであった。
「チッ!」
未だ健在の敵の存在に、ザカルは舌打ちをする。
「だったらアンタは今のマリアさんが幸せだと思ってるのかよ!!」
「話にならんな、死よりも悲惨なことがあるか?」
ザカルは瓦礫の上に立つドンキホーテに向かって説いた。
「この世界にいれば、永遠の生を……幸せを享受できるのだぞ!」
「だったら!」
ドンキホーテは吠えた。
「マリアさんの幸せを願ってるつもりなら! 自死の選択なんて! 選ばせてんじゃねぇ!!」
ザカルは、一瞬言い淀むも、拳を握りなおし、叫んだ。
「それでも……! 私は運命に抗い続ける! 例え! 彼女の愛を失ったとしても!!」
「本末転倒だろうが!!」
ドンキホーテは瓦礫を蹴り上げる。目標はザカルだ。
「近づくな!」
再びザカルは手を振りあげ、周囲の瓦礫をドンキホーテに向かって放つ。
襲いかかる街灯や、民家の瓦礫または形のわからないほど崩れた建材の塊。
見覚えのある流星群たちを、ドンキホーテは冷静に見つめていた。
本来、凄まじい速度で迫るその建物の骸達、だが常人をもはや超えていたドンキホーテにとってはせいぜい子供がちぎりなぎつけてきた綿毛程度の脅威にしか感じなかった。
瓦礫の隙間に瞬時に通り抜けられる道を見つけたドンキホーテは時に手を使い瓦礫を飛び越え、時に足を使って残骸の側面を走り抜けた。
ドンキホーテの移動には一才、無駄がない。瓦礫を操るザカルはそのまま迫り来る蒼いマントの少年をついに捉えることは出来なかった。
そのまま、流れ星の如く。ドンキホーテはザカルの懐まで稲妻のように移動する。瞬きの間に目の前に迫ったドンキホーテのこの移動法にザカルは覚えがあった。
ーーブリッツステップ!!
そしてドンキホーテは剣を構え、渾身の力を持って振るう。
「ザカルゥゥ!!」
「小僧がぁぁぁぁ!!」
ドンキホーテの剣は数多の閃光となりザカルを襲う。対してザカルはその一撃、一撃を闘気によって強化し、防御力の上がった両腕で捌いていく。
閃光の群は、ザカルの両手によって軌道が次々と変えられ、美しい光の花を咲かせた。
しかしその神々しい光の中に、赤い液体が混じる。
ザカルの血だ。
ドンキホーテが繰り出す斬撃の雨を、ザカルは凌いでいるものの、明らかに前の彼の斬撃より数段、威力が上がっていた。
「ぐっ!」
呻くザカル。だがここで諦めるわけには行かなかった。
ーー永遠を、永遠を! マリアが生きてさえいれば! 私は!!
そうして濁流のような斬撃の波を逸らすザカル。やがて彼自身が気づかぬうちに、胸元から紐に括りネックレス状にした。指輪が溢れ落ちる。
ザカルが気づかぬまま、攻撃と防御の応酬は繰り返された。
一陣の風の如き剣がザカルの胸元を掠める。
それと同時、ザカルの視界の隅に、剣の反射光とは種類の異なる光が差した。
指輪だ、そのことを認識したザカルはマリアとの大切な思い出が過ぎ去っていくような喪失感を覚え、思わずその指輪を視線で追う。
剣の風圧で吹き飛ばされていく指輪、ザカルは縋り付くように、手を伸ばしかけた。だがザカルの手が届く前に、指輪は何者かによって受け止められた。
「そんなに大切なら、もう離すなよ」
いつのまにか回り込み指輪を取ったドンキホーテは、そう言った。
いつの間に、そうザカルが言いかけた時、ザカルの体に数多の切り傷が現れ血が溢れ出す。
その時、ザカルは実感した。切られたのだと。
「俺の勝ちだ、ザカル」
ドンキホーテは血の滴る剣を振り払った。
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