17話 ぷち七夕的展開?
「あのクレアさん? どうしてそのような恰好に?」
彼女の透き通った肌は白く、美しかった。
森に潜む妖精、と言われても信じてしまうだろう。
その華奢で小さな身体をわずかに震わせながら、クレアさんは俺に近付いてくる。
「も、もう私に残された手段はこれしかないのです!」
そう言って、彼女は裸のままで俺の胸にそっと手を這わせる。クレアさんの翡翠の目は揺らぎ、表情は羞恥の念で今にも爆発しそうな程に真っ赤に染まっているにも拘わらず、この突飛な行いを辞めようとはしない。
「うーん、クレアさん。落ち着こうか」
理由はわからないが、彼女が何をしようとしているのかだけは何となく察する事ができた。
俺に幼女趣味はない。
「俺に幼女趣味はない」
というか小学校中学年の身体にどう欲情しろと?
「私は今年で34歳です……エルフは長寿だから身体の成長が多少遅いのです」
おおう。
とても34歳には見えない……実年齢は俺の一個下なのか。
しかしビジュアルはまごうことなき女児……。
「さぁ、私を好きにするのです!」
急展開すぎて、おっさん多少のパニック。
「そもそも、俺は9歳だし。そういう年頃じゃないです」
そうだ。今の俺は、見た目9歳のぽっちゃり系男子なのだ。
「でも精通ぐらいはしてますよね?」
「あの、その外見でそういう事を堂々と言うのはやめなさい?」
「でも、しかし……」
必死に事に及ぼうとするクレアさんの肩を掴み、そっと後ろへと押す。
「落ち着いて、クレアさん。どうして、こういう事をするのですか?」
なんとか女児騎士、というか全裸幼女の勢いを収めようと努める。なにせクレアさんは俺より力があって、やろうと思えばこの幼い少女にてごめにされてしまう危険性もあるのだ。
「アシェリート様はご存知でしょう?」
「クレアさんの、気持ちを確認するためだ」
紳士ぶってこんな台詞になってしまったが、実は記憶がないなんて怪しまれない言い回しをしただけだ。
こうして詳しい事情を聞いてみれば、クレアさんはスタイン城近くにある故郷、エルフの里を保護してもらうためにハッシュトスタイン家に仕えているそうだ。クレアさんが近衛騎士として仕える見返りに、故郷であるエルフの里の安全を保証する、という契約だそうだ。
エルフというのはまず数が非常に少ない。さらに成長が非常に遅く、魔法的素養が人間より少し高いだけの種族であるため、総合的に見て劣った種族と判断されている。見目の優れた種族ではあるが、エルフは身体が成長しきる前に攫われて奴隷商に売りさばかれるケースが多いらしく、その幼く美しい容姿が一部のマニアに高額で取引きされる要因にもなっているようで、このご時世『エルフ狩り』なんてのは日常茶飯事だそうだ。そんな弱小種族の中で、クレアさんは非常に魔法の才能に恵まれていたらしく、その実力を買われて父に登用され、俺の部下となっている。
まぁなんとなくだけど、父様との会話を聞いていてその辺の事情はざっくりとだが察していた。
そんな状態で今回の不始末である。
正直、クレアさんに責任はなくてアシェリートに問題があったとしか言いようがないけど、父上が下した判断は覆せない。
どうにか俺の陳情によって、クレアさんへの処罰は暫定的なもので決定はされていない。しかしそれは、どう転ぶかわからない状態に等しい。
ならば確実にその罪を帳消しできるような関係に、俺となっておけばいいと判断したようだ。将来、俺の妻になる人物の故郷に手出しするなどありえないと、そうなればエルフの里も安泰だと。
「だから、いつも下卑た目で私の事を眺めてくるアシェリート様なら、可能性はあるかなと思いまして……よくお尻とかも、その……触っておりましたでしょう?」
おいおい、アシェリート君よ。
確かにクレアさんは美少女であるけど、一体どんな目で見ていたんだ?
「でも、俺ってほら……オーレンドの姫君と婚約するって話がありますよね?」
「そのお話を聞いて、この方法しかないと思いつきました」
はい?
婚約の話で着想を得たと……この人、見た目に反して凄まじいな。略奪婚を狙ったのか?
「そ、そ、その……だから……わ、私を第二夫人とかにでも、その、」
なるほど。
失念してた……この世界は一夫多妻制でも何ら問題はないのか。
「だ、第三夫人でも……か、か、かまいませんので……」
うーん、近いよクレアさん。
いつの間にか俺はベッドの上に追い詰められ、クレアさんが上に乗っている体勢になってしまう。
「と、と、とにかく、わた、私を……お、お嫁さんにしてください」
瞳を潤まし、必死に恥ずかしいのを我慢しながら言い募るクレアさんの様子は子猫のようで可愛らしかった。
しかし、中身が34歳といえどもこんな幼い容姿の娘と、大人な関係に今すぐなるというのも気が進まない。クレアさんには命を守ってもらったという恩は感じているが、恋愛感情となると話は別だ。
それに、恩人だからこそ心の底から幸せになって欲しいという情念も湧いてくる。結婚というのは互いに好いた者同士がするもので、損得勘定でするものではない。
「クレアさん……こういうのは好きな人としないとダメですよ。処罰の件は俺がまた父様にどうにか言ってみるから……」
「それでも不安なのです。それならいっその事、今、アシェリート様とこうするしかっ」
ぐっと抱きついてくる彼女に、俺は抵抗できなかった。なぜなら、まがりなりにも護衛騎士であるクレアさんの方が俺より強かったから。
ピ、ピンチ。
「そうだ、言い忘れてた。って、ぷんぷん。お邪魔だったかな?」
そんなアバンチュールな空間に、唐突に響いたのはヒカリンの声だった。
「おおおおおおおう!? これは違って! というか、どこから!? いつから!?」
「きゃあああああ!?」
おっと、クレアさんもそんな風に叫ぶのか。
なんて感心している場合ではない。
堂々と仁王立ちをしながら腕を組むヒカリンに、どうやってこの部屋に入ってきたとか、いつの間にとか、どこからやり取りを見ていたとか、色々と気になる点はあるが……まずは誤解を解く説明しなくては。
「これは、そのっ! 違うんだヒカリン!」
「あははー……そろそろ時間だって事を伝えたくてね。私の弟子になる契約は次の時かな? ロリコンおじさん、またね」
何の時間? と、聞き返す前に俺の視界は白く染まり、そして真っ黒に落ちた。
「んん……」
瞼を開ければ……そこはいつもの天井だ。
そう日本の、現実世界の俺の家で俺達の部屋で、見慣れたリビングだったのだ。
「帰って、これたのか……」
体感では丸一日、『ユーチューボ界の闇』にいたわけで、妙に長い時間をあちらで過ごしていたように感じる。
それでも時計を確認すれば、早朝の4時。
つまり日本では0時からたったの4時間しか経っていない事になる。
これでヒカリンの言っていた説明は事実だと実感した。
不安は募るがひとまずは、仮初の安堵に身を委ねよう。
帰ってこれたのだ。いや、この身体と命は確かにこの日本にあったのだから、帰って来たという表現はおかしいのか? とにかく今回のところは、妹の芽瑠を一人にしなくて済んだのだ。
「芽瑠……」
最愛の妹の寝顔を見ようとソファから立ち上がり、寝室へと向かう。
この時間帯ならば、芽瑠はまだ睡眠中だ。
「あれ?」
しかし、布団の中で寝入っているであろう妹の姿はなかった。
「芽瑠? トイレか? おーい」
なぜか嫌な予感がした俺は、焦って家中を駆けまわる。
それからくまなく探しても妹の芽瑠は見つからなかった。
『〈ユーチューボ界の闇〉で命を落としたユーチューバーは、現実世界で消失してまう』
ヒカリンのそんな言葉が脳裏をよぎる。
どうして、どうして、その可能性を考えなかった……俺が『ユーチューボ界の闇』にいたのなら、芽瑠だってあっちにいたかもしれない。
眠る前に芽瑠が言った台詞を思い出す。
…………何が『ぷち、七夕的展開』だ。
妹の吐いたそんな言葉が現実になってしまった事を、俺はどう受けとめればいい。
いや……織姫と彦星のように一時的に会えない、ならまだいい。
それ以上の事態が起きてしまったのではないのか?
妹が消失した原因は…………。
もう二度と芽瑠のあの笑顔が見れない、のか?