15話 結婚とは
「この愚息が……なんたる事をしでかしてくれたのだ……」
荘厳にして厳格。
様々な人種と物が行き交い、自由を謳歌していると言っても過言でない程の賑わいを見せた『交易城都シュバルツ・スタイン』の街と、『スタイン城』の空気はかけ離れていた。
「クレア……お前という者がアシェリートの傍についてありながら、この大失態はどういう事だ?」
俺の父、アストレア・シュバルツ・ハッシュトスタインはこめかみに幾筋もの青い雷を静かに走らせている。
灰がかった髪の毛を短く刈り込み、体格は大柄。
若い頃はさぞ美形だったろう顔には、深い皺が刻まれてはいる。が、今もなおその覇気は健全で王者の風格を持っていた。
「『絶風のクレア』……私は貴様の能力を評価し、その見返りとしてハッシュトスタイン近郊にエルフが住まう事を許可しているのだ。そのお前がこの体たらくでは、保護の話はなかった事にするぞ」
「誠に申し訳ありません……もう一度、このクレアに名誉挽回の機会をお与えください」
傅き、許しを乞う女児騎士クレアの姿は不憫だった。
意気揚々と凱旋を果たした俺達を待っていたのは叱責と失望だったのだ。
「ならん。貴様と貴様の故郷であるエルフの里を罰する」
「父様……クレアは必死に俺を庇ってくれました……なので懲罰だけは……」
父とも思えない人物に父様と言う違和感を飲み込み、どうにか許してもらえないか陳情を申し立てる。そんな様がどうにも珍しかったのか、クレアは驚いて俺を見つめ、謁見の間でありながら顔を上げてしまっている。
「ふん、戦で部下を庇えるだけの情は身に着いたようだが、その代償が大きすぎるぞアシェリート。お前はこの事態を正確に理解できているのか?」
今回、俺達ハッシュトスタインはマスティスと小競り合いを行っていたのだ。この小競り合いは両国において伝統的なものと言ってもいい。
ちなみに今回の発端はマスティス側から『ハッシュトスタインの末息子であるアシェリート殿が、我が方の娘に対し不敬を働いた』という通達が来ての開戦。記憶にないとは言え、俺は歳の近いマスティスの姫君がうちの領地を訪れた時に無碍に扱ったようだ。その態度が発端となって、いつもの小競り合いに発展したそうだ。
マスティスは我が領地より4倍以上の広い国土を持ち、『青の領域』きっての軍事国家なのだ。
そんな相手と正面切って戦争を起こそうなどと、正気の沙汰ではない。なので長年に渡り我がハッシュトスタインはマスティスと密約を交わしていた。
マスティスがある程度の小競り合いを起こすならばこれに応じ、引き分けという名声はハッシュトスタインへ。金はマスティスへ、という出来レースを繰り広げていたのだ。
マスティスとしては北方に控える『白黒の領域』にある超大国への備えという意味合いもあって、後継者や重要人物の軍事教練、訓練としてこの小競り合いを利用していた。
出来レースなので普通の戦争よりは命の保証がされているし、実際に殺し合いはするのだから、未熟な指揮官に戦場がなんたるかを学ばせるのに丁度いいカリキュラムらしい。
それに表面上では負けを偽装し、交易で潤ったハッシュトスタインの財を平和という名のエサで強請る。
ハッシュトスタイン側としては、マスティスに連戦引き分けというイメージを周囲に見せつけるのが目的だった。『青の領域』の交易中心地でもあるハッシュトスタインは精強であり、手を出そうなどと思わせないための抑止力にもなる。さらにマスティスの武力を撥ね退け続ける事で、民衆のスタイン家を敬う気持ちも向上してゆく。
こうして『青の領域』内で領土が狭いハッシュトスタインは属国じみたこの条約を黙って呑んできた。
それで今回の小競り合いで、ハッシュトスタイン側から出陣したのは長兄であるユリウス・シュバルツ・ハッシュトスタインだ。ユリウスは俺の9つ上の兄で18歳という若さでありながら、かなり有能な武人兼指揮官だそうで、スタインの第一皇位継承者として将来を期待されている。
俺はそのおまけ部隊として、初陣を飾った。
アシェリートの部隊は文字通りお飾り。
道理で兵種が歩兵ばかりだったのも頷ける。そもそも戦闘をする予定のない軍だったのだ。万が一の保険として二つ名持ちのクレアは配置されたそうだ。
あとは長兄と敵の出来レースを静観していれば良かったものを……
長男であるユリウスが軍を率い、敵の本体を蹴散らす。散り散りになった敵軍は何とか体勢を立て直し、本国へと帰還しようとする。兄はこれでもう十分だと、勝敗は決したので後のやり取りや交渉は父の仕事だとする。が、この判断に疑念を抱いたのがアシェリートだった。敵が弱っているなら徹底的に叩いてやれ、初陣に出て何もしてないと愚鈍なアシェリートは功を焦り、自陣近くを通る逃走中の敵軍の退路を塞ぐようにして戦闘を仕掛ける。
要は命令違反だ。
お目付け役のクレアは『誓約の令装紋』という隷属なんちゃらの魔法契約に縛られていて、俺の命令を拒否する事ができなかったようだ。
ちなみに俺に使った記憶はない。何をしているんだアシェリートさん。
相手も次期後継者が軍にいたので死に物狂いで突貫してくる。それが少数の魔導師部隊による大規模召喚魔法であり、マスティスの第二皇位継承権を持った王子を捕虜にしてしまった今に繋がる。
国の代表が囚われた、というのは国の威信に大きく関わるもので、おそらくマスティスは本格的な戦争を仕掛けてくる。
これが先程、父であるアストレア・シュバルツ・ハッシュトスタインに激怒されながら説明された事情だ。というか、出陣前にしっかりと俺にも注意事項は述べていたそうなのだが。
聞いてなかったんだろうな、アシェリートは。
「俺の勝手な独断行動で……マスティスと本格的な戦争を引き起こす、大失態を犯してしまいました」
もちろん民衆にはハッシュトスタインの大勝利と喧伝し、俺の美辞美麗が交易都市中を駆けまわっている。
だが実際は違う。
その辺もしっかり理解しているとアピールし、俺は誠心誠意、頭を下げた。俺のためというより、俺の命を守ってくれたクレアさんのために。
「ふむ……」
しばらく無言の間が続き、父様の溜息が落ちた。
「仕方ない。アシェリートに功がないわけではないしな……お前の功績とは『黄の冠位者』様をお連れできた一点に尽きる。その功を以って、クレアの件は考慮しよう」
……ここでもヒカリン様様か。
少し情けなくもあるが、どのみち今の俺にできる事は少ない。
『黄の冠位者』であるヒカリンは、この世界ではかなりの影響力を持った人物らしいので、俺が『冠位者』と繋がりを持ったのはハッシュトスタインにとって僥倖だったそうだ。
ちなみにヒカリンは超がつくほど豪華な客間で、優雅にくつろいでいる。
父の発言を聞いて、ほっと肩をなでおろす幼女騎士クレアの姿に安堵すれど、俺の方は全く落ち着く事ができない。
昨日辛酸を舐めたばかりの戦闘規模よりも、大きな戦争がこれから起きるかもしれないのだ。しかも俺のせいで……必死こいて生き残ったっていうのに、どんな責任を負わされるか気が気でない。会社員なら首だろうが、この世界じゃ首は首でも生首の方だろう。
内心でガクブル状態の俺を、父様はじっとり見つめてくる。
「我がハッシュトスタインの地に『黄の冠位者』様がおわすのを知ってか知らずか、オーレンドからの縁組みが来ている」
父様はクレアに俺、そしてこの場にいる事を許された長兄のと次兄、全員をねめまわす。
オーレンドと言えば……確か『青の領域』で一番影響力のある拝命六皇貴族が治める地だったはず。
「『青の領域』の選帝制は形骸化して久しい……だが、現選帝位にあるのはオーレンド家である。これを機にマスティス牽制も含め、縁談の話を前向きに検討してゆきたい」
みんなが神妙に頷くので、俺も流れに乗って頷いておく。
「アシェリート。貴様の失態は貴様の身で埋めよ」
「はい」
「オーレンドの第三皇位継承権を持つ姫とアシェリート、貴様が婚約を結べ」
「はっ……は? 婚約?」
「そうだ。そなたはハッシュトスタインのために、将来はオーレンドへの人質として、婿入りしろと言っているのだ」
父上の双眸は冷やかに俺を見降ろしていた。
こ、婚約者なんて現実世界でもまだなのに……。