プロローグ
暗い。どこまでも暗い場所だった。
幼い少女は、一人で遥か彼方を歩いていた。
「……ここ、どこ?」
どこからも返事はない。
足元には水がある。でも濡れていない。
一歩踏み出すたびに、水面だけが静かに揺れる。
少女は周囲を見回した。
空には、星があった。見たこともないほどたくさんの星。
手を伸ばせば届きそうなのに、どれだけ歩いても近づくことはできない。
「……ママ?」
返事はない。
「……おじいちゃん?」
やっぱり、返事はない。
少女は少しだけ不安になるが、不思議と怖くはなかった。
むしろ、どこか懐かしい。
初めて来たはずなのに、ずっと前から知っているような。
そんな場所だった。
ふと、遠くに誰かが立っているのが見えた。
長い髪、白いシャツ、黒い服。
その人物はこちらを見ているようだった。
「……誰?」
少女が歩き出す。
一歩、また一歩。
けれど。
その人物との距離は、一向に縮まらない。
「待って……!」
少女が走る。
その瞬間、世界が歪んだ。
星空が波打つ。
水面が大きく揺れる。
「……え?」
少女は立ち止まった。
そして、急に自分の目の前に見覚えのない光景が浮かんだ。
知らない家。知らない人たち。知らない男。
それを取り巻く赤く染まった部屋。
『......せめて、遥枷だけでも』
知らない男から、知らない名前が呼ばれる。
「…………」
少女は何も理解できない。
ただそこにあるものが、とても悲しいものだということは分かってしまった。
「……怖い」
涙が出た。
その瞬間、誰かの声が聞こえた。
──帰りなさい。
「……え?」
──まだ、こっちに来てはいけない。
少女は振り返る。
そこには誰もいない。
──あなたには、まだ生きる時間がある。
「……生きる?」
意味が分からなかった。
ただ、その言葉を聞いた瞬間。
身体が強い光に包まれた。
「待って!」
「あなたはだれ!」
──ただの管理人だ。
手を伸ばす。
管理人?聞き間違えかもしれない。
でも誰かに聞きたかった。
ここはどこなのか。
自分はどうしてここにいるのか。
どうしてこんなにも、胸が苦しいのか。
答えを聞く前に、少女の周りを光がどんどん包み込んでゆく。
「なに、こ──」
言い終わる前に視界は真っ白になった。
◇
「…………」
青凪看空は目を覚ました。自分の部屋だった。
カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいる。
「……夢、か」
ぼんやりと天井を見つめた。夢だったんだろう、きっと。
全部夢だったんだ。そう思うことにしたい。
いつからか看空は時々、今と同じ夢を見るようになった。
人間は起きて数分程度で夢の8割を忘れてしまうらしいが、それでも、なぜか......脳が、心が、その感覚を覚えている。
水に濡れない水面。無数の星。遠くに浮かぶ青い地球。
そして、管理人と名乗る誰かの声。
──まだ、こっちに来てはいけない。
幼い看空は、その意味を知らなかった。
だから、何年経ってもその場所を探し続けた。
インターネットで、SNSで。
自分と同じ夢を見た人がいないか。
自分と同じ場所に行った人がいないか。
何度も。何度も。
「……誰か、知ってる人いないのかな」
十年以上経った今も。
その問いが彼女の中から消えることはなかった。
お読みいただきありがとうございます!次から本編が始まります。




