高校時代僕も投手を目指していたから
澤村選手は小気味よく投げ込んでくれる。やはり、ネットスローで、ネットという物体を相手にするよりは、人間相手に投げた方が気持ちが入るということだろう。
僕は身長が174センチしかない。でも、高校の一年まではピッチャー志望だった。僕は野球部の一員として、フリー打撃でピッチャーの役割を担っていたこともある。
高校の頃の話だが、ある日、僕はキャッチャー志望の同級生に、練習後、
「俺、ピッチャーをやりたいんだ。おまえ、受けてくれないか」
と頼んだ。
でも、その友達は、
「おまえなんか、ピッチャーの補欠にもなれないぜ。そんなおまえの相手なんか、できるかよ」
とはっきりことわられた。
あのとき、僕はひどく落ち込んだものだ。
あの頃の僕のこととは全く次元のちがう話なのだが、今、澤村選手は右足首を故障して、投手としての正式な練習は認められていない。だから、澤村投手は控えのキャッチャーにすら、球を受けてもらうのをためらっているように僕には見えたのだ。だから、思い切って、僕の方からキャッチャーの役を申し出たのだが……。
しかし、球を受けているうちに、僕は右投げである澤村投手の投げ方に、いつもとちがう雰囲気を感じた。それは、澤村選手がボールをリリースする瞬間に、右の軸足をしっかり蹴るというのが普通なのに、今はあまり右足に重心を残さず、右足でプレート板を強く蹴りもせず、むしろ踏み出した左足の方に早く体の重心を移そうとしているように見えることだった。
上体をかぶせるようにして投げる、それはそれでいいのだが、右の軸足に「ため」というのが全く感じられないのだ。すぐに踏み込んだ左足へと重心が移動している。この投げ方だと、ボールに十分な力が伝わらず、「重いボール」ではなく、「軽いボール」になってしまう。
僕は、いやな予感がした。やはり、まだ右足首が完全ではないのだ。重心を右足からできるだけ早く左足へ移そうとする。それは、いかにも右足をかばったような投げ方なのだ。
実を言えば、澤村投手は昨年の秋、練習試合のとき、内野ゴロで一塁に駆け込んだ時、一塁ベースを右足で踏み、右足首を痛めたのだった。
つまり、もう少し言えば、一塁の四角いベース盤を強く踏み込んだ時、右のカカトの上にある三角骨がひび割れ、その割れ目から小さい骨がトゲのように飛び出て、その骨棘が神経を圧迫・刺激し、痛みを感じるようになったのだ。
その骨棘による痛みの症状を整形外科医に看てもらったところ、手術で骨棘を切り取りさえすればすぐに痛みは取れる、ということだった。手術としてもさほどむずかしいものではない、ということだった。
むろん、その医師の診断結果を経て、トレーナー会議で今後の対策が話し合われた。
そのとき、熊沢監督も会議に加わっておられた。
「どうしたものだろうか?」
熊沢監督の顔は黒ずみ、日頃は温厚で端正な面差しが苦痛でゆがんでいるように僕には見えた。チーフ・トレーナーも目を瞑り、腕組みをして顔を伏せられていた。
トレーナー、トレーニングコーチ、みんな言いたいことはあるのかもしれない。むろん、熊沢監督にも遠慮があるのかもしれない。
ただ、僕には失うものが、この会議のメンバーの中では最も少なかった。僕は、自分の意見が通るなんて全く考えていなかった。だが、僕は自分の思うところを正直に述べるべきだと思った。
「西洋医学では、ガンなど異質なものは外科的処理に任せ、切り取るという方法が取られることが多いのです。でも、東洋医学では、患部を切り取らず、自然治癒力に任すというような治療方法を取る場合があります」
「手術もせず、骨のトゲを消し去るなんて、そんなことができるんだろうか?」
熊沢監督は、僕の方を見ずに、視線を宙にさまよわせながら言葉を吐かれていた。僕はトレーナーとしての自負に突き動かされていた。
「もともと、三角骨に亀裂が生じたのは、慢性的な疲労のせいだと思います。投手と打者の二刀流をめざしている澤村選手の場合、バッティングのとき、ランニングのとき、ピッチングのとき、すべての場面で、足首が酷使されています。金属疲労とよく言われますが、固い金属だって、長年使えばもろくなります。人間の骨なら、なおさらのことです。三角骨の亀裂を修復し、亀裂のとき生じた突起物であるトゲも先端部の尖ったところを和らげ、最終的には三角骨の中に、引っ込めてしまえばよいのです」
「そんな馬鹿な。手品師みたいに、いい加減なことを言ってはいかんよ」
見ると、その声の主はチーフ・トレーナーで、顔を真っ赤にされて、僕の方をにらみつけておられた。(つづく)




