管理者1
目の前に一糸まとわぬ姿の春さんがいた。
湯気により、大事なところはかろうじて見えてない。残念なような、ほっとしたような……。春さんの動きにあわせて、湯気が動いているかのように思える。何か魔術でも使っているのだろうか。
「アキヒコ、じーっと見られると、さすがに恥ずかしい」
視線を向けたままの僕に、春さんが言葉を放つ。気のせいかもしれないが、春さんの顔にはほのかな朱がさしているようだった。
僕はとっさに顔をそらす。
僕たちがいるのは浴室なので、春さんの格好そのものに問題点はない。
問題は僕が入っていること。そして、それが分かっているはずなのに、春さんが入ってきたことだ。ご丁寧に服を脱いで。
春さんはそのまま僕の方によってきた。
出て行く気はないようだ。
真横から春さんの視線を感じる。
「春さんはいったい何をしているの?」
いままでの経験から、何となく答えは予想できているのだが、僕はその質問をせざるを得なかった。
「父様から指令がきた。アキヒコをもっとよく観察するようにと」
答えは予想した通りのものだった。
そのままの状態でしばらく時間が過ぎる。
「……くしゅん」
春さんが可愛くくしゃみする音が聞こえた。
「湯船に入ったら?」
僕はかるく気が動転しているためか、そんなことを言ってしまう。
「ん……」
そんな言葉とともに春さんが湯船に入ってくるのを感じる。僕はとっさに目を閉じた。
「少し狭い……もっとつめて」
僕は目をつぶったまま、できるかぎり小さくなり、端にずれようとする。そのせいか、僕の手が何かやわらかいものにふれる。僕はとっさに手を離す。
「……っ」
かすかな声が聞こえる。
「そこにふれられるのもさすがにちょっと恥ずかしい」
と非難される。
僕はいったい何処にふれてしまったのだろうか……。
うすく目をあける。
自分の体を抱くようにして小さくなっている春さんと目が合う。
こっちを見ているが、先程までと異なり、ジト目のような、少し恥ずかしがっているような目をしていた。
――そのまま何事もなく時間が経過する。
この異常な状況になれてしまい、落ち着いてくる。とある事情で異性と一緒に風呂に入ることに慣れていることもその理由であろう。誠に遺憾ながら。
とはいえ、非常に顔が熱い。長時間湯船に浸かっていたせいか、春さんと密着しているせいかはわからないが。
その熱をごまかすように僕は言葉を投げる。
「父様の指令は絶対なんだね」
「かなり優先度は高い。でも、絶対はない。嫌なことはしない。この状況を想像してもそんなに嫌ではなかった。少し恥ずかしかったけど」
僕はその言葉の意味を租借しようした。
しかし、その時間は与えられなかった。
「アキ君まだ入ってるー?」
脱衣所から声と衣擦れの音が聞こえ、そのことによって今日が何の日だったかを思い出したからだ。
今日は姉風呂の日、美夏ねぇと一緒にお風呂に入る日である。
数年前まで美夏ねぇと毎日一緒に入っていた――正確には入らされていた――のだが、僕の願いが母さんにとどき、一ヶ月に一度だけと決められた。母さんが家にいなくてもそれは守られている。この家においては、あの美夏ねぇでも母さんにはなかなか逆らえないのである。
脱衣所の扉が開き、この場にふさわしい美夏ねぇで姉が入ってくる。
美夏ねぇの目が僕と春さんをとらえる。
僕は逃げ出そうとした。しかし、そもそも逃げ道が無かった。
無理に立ち上がろうとしたことにより、僕と一緒に湯船につかっていた春さんがバランスを崩し、僕の方に倒れかかってきた。
そのまま春さんによりかかれら押し倒される。
一度湯船に沈み、再度顔を出した僕の目の前に美夏ねぇの笑顔があった。
「これはどういうことかな?」
僕はそれに回答しなかった。正確にはできなかった。
湯船の熱でのぼせかかっていた状況で、急に立ち上がったため頭に血がのぼっていた。そのうえ、裸の春さんに押し倒され、美夏ねぇの裸体が視界に入ってきたのだ。僕は色々と限界であり、意識を手放した。
僕が気を失っている時に何があったのかはわからないが、その日以降春さんが風呂に乱入してくることは無かった。
なお、姉風呂の日は次の日に順延ということになった。いい加減なくなってくれてもいいのに……。
風呂に入ってくることこそなくなったが、その後も春さんの観察は続いた。春さんが僕の近くで行動を起こす度、美夏ねぇと軽く諍いが起こっていたことは頭が痛かった。
そして、ある日、春さんは唐突に僕の前から姿を消した。