(3)宝物庫の老人
強い西日を、ワンピースの裾から伸びた二色の義足が照り返している。
「……………」
「…………ユリアナ」
呼びかけにも振り返らず、ユリアナは「何よ」と突っ慳貪に返事をした。
――用意された宿泊部屋を出て以降、ふたりは突かず離れずの距離を保っていた。見取り図を握りしめるユリアナが先導するかたちで、クラエスが数歩後をついて行っているのだった。
「どこか行きたいならひとりで行けば? ちょっとくらいなら、あなたが居なくても大丈夫だもの」
「いえ……そういうわけではなく……」
言いよどんだ末、渋い顔をすると、クラエスは盛大な溜息をついた。
そして早足でユリアナの横に来ると、右手で抱えていたものを差し出した。
「……クテシフォンほどではないですが、ここも陽射しが強いので」
日傘だった。フリルのついた薄紫色の傘の下で、ユリアナはぱちぱちと目を瞬き――顰め面のまま、「ありがとう」と小声で返したのだった。
オークションの開始時刻は深夜の十一時。ルスラン・カドィロフの遺作が登場するのは二時を回ってからという情報を得て、ユリアナは時間を持て余した。そして宣言通り、古城の散策をすることにしたのだった。
目指す先は宝物庫だ。
ビザンティン建築風の、朴訥とした石造りの教会堂。その横に佇む宝物庫は、遺失文明期の《遺産》が展示されているという触れ込みだった。
透かし彫りを施した青銅の門扉には警備兵が控えており、招待状と交換したカードを見せると中に入ることができる。古城の敷地内では他の招待客もちらほらと見かけたが――宝物庫内はガランとしており、貸し切りといってもよい状況だった。
「――遺失技術の遺産を展示しているのかと思えば、ほとんどそれ以前……旧時代の史料なのね」
無機質な電子錠をかけられた透明なケース。そのむこうに陳列された品を覗き込んで、ユリアナは呟いた。
「これは何語なのかしら……見たことある気もするけど……」
視線の先のは、巨大な写本が開かれた状態で展示されている。
「ラテン語ですね。内容は私にも読めませんが」
「……詳しいのね」
いつまでも不機嫌ではいられないと思い、しかし芯の残る表情でユリアナはクラエスを振り返った。
すると「母親が歴史学者なので、家に同じ言語の蔵書が」と返ってきて、ぱちぱちと青い目を瞬いた。
「初耳だわ」
「言ったことがありませんから。学寮にいた頃は、遺失文明以前の――もっと旧い時代の研究を。まあ、父親との強制婚で研究から離れてしまいましたが……」
淡々と続けられた言葉に、そうなの、とユリアナはうなずいた。
あまり家族について話そうとしない彼にしては珍しい。隙間時間を見つけては読書をする彼の習性も、ひょっとしたら母親の教育の賜物なのかもしれない。
宝物庫はいくつかの部屋とエリアに区切られており、展示物の時代や内容もそれによって分かれているようだった。旧時代の写本や文献を集めた最初の部屋を通り抜け、次の部屋へ足を踏み入れると、そこで初めて別の客と出会った。
三つ揃えのスーツに身を包んだ、総白髪の老人だった。
「こんにちは、お嬢さん。――ここを見学とは、勉強家なんだね」
象牙の持ち手のついた杖をつき、しかし矍鑠とした雰囲気を放つ老人は、入り口付近のユリアナを振り返ると、にこりと笑って挨拶をした。
「……こんにちは」
思わず素っ気なく返してしまえば、「怪しい者ではないよ」と言い、老人は柔和な表情を浮かべてみせた。
「私はこの宝物庫の――ひいては城の主人でね。……と言ったら、余計に怪しいかな? 見てのとおり耄碌とした老人だから、誰も相手にしてくれないのさ」
差し出された名刺を受け取り、ユリアナは目を眇める。
〝アンドルツァ・ウングレアーヌ〟――そう記された名前を一瞥して顔を上げると、そのグリーンの瞳を見つめ返した。撫でつけた髪に白皙の肌、きっちりと長さを整えた髭――名前こそ属領系を思わせるが、むしろ《帝国人》として聞き覚えのある響きだった。
「ウングレアーヌ家は黒海一帯の大貿易商だわ。でも……ごめんなさい、あなたのお名前は聞いたことがないの」
「私は道楽者でね、家は弟が継いだんだ。だから知らなくてもおかしな話ではないよ。私自身が表舞台で目立った事業を手がけているわけでもないしね」
名刺に刻まれた紋章は光に翳すと浮かび上がるすき入れで、偽造防止の役割を果たしている。招待状を渡されて以降、目ぼしい有力一族の紋章と現当主のプロフィールまでは頭に入れたものの――家系図までは手が回らなかった。ユリアナはうなずくと、「ユリアナ・ファランドールよ」と言って握手を交わした。
「名刺はないの。まだ学生で、家の仕事もしていないから」
「存じているよ。両足が義足の娘といえば、ここ最近、社交界でも話題でね。ウルヤナ・ファランドールが死去して以来、空席だった後継ぎの椅子がようやく埋まったのだから、誰もが君に興味を持っているのさ。――私を含めてね」
あらそう、とユリアナは肩を竦める。
自分の知らないところで話題になっていたとは、何とも落ち着かない話だ。
「案内しよう。この宝物庫は、私が人生をかけて蒐集したものを展示しているんだ。たとえ見る人にとってはガラクタ同然でも、君なら楽しんでもらえるかも」
こつこつと杖をついて、アンドルツァは傍にある透明ケースまで歩み寄った。ユリアナとクラエスが覗き込むと、そこには旧時代の宝飾品が展示されていた。
ティアラに首飾り、耳飾り、指輪に腕輪――特に目を引くのが、黒いベルベットを上部分に張った大きな冠だ。
「王冠だわ」
「これはクイーンズランドのものだね。中央に大きな赤い宝石が飾られているだろう。――石の知識はどれほど?」
「よくわからないわ。王冠は権力者がかぶるものと聞いたし、高価なルビーかしら?」
「スピネルだね。スピネルは何色もあって、昔はルビーやサファイアなどのコランダムとよく混同されていた。今でさえ、その道の鑑定士が間違うこともあるくらいだよ。コランダムと比べれば安価だから、闇市ではよく売られている」
「それを商人がルビーやサファイアと偽って売って、ぼろ儲けってわけね」
ユリアナは頷き、光源を反射して煌めく王冠を見つめた。
アンドルツァはその後も彼のコレクションを披露して回った。別のエリアには属領烟花由来のティーセットや翡翠色の皿、螺鈿細工の匣……イベリア方面の衣裳や帽子、靴や鯨の骨でできたコルセット、珍しいものを挙げれば過去に使用されていた馬車そのものが展示されていたりもした。
そして最後の部屋に行き着くと、「ここにきっと君の気に入るものがあるよ」と大真面目な顔で言い放ったのだった。
彼が指し示したのは、奥にひっそりと佇むケースだった。
そこに展示されているのは――
「右腕?」
右腕だ。
肘から先にかけてが再現され、そのすべてが青銅製だ。
爪は黒く塗られ、指先から手首にかけて磨きぬかれた表面は黄金色に光っている。腕の部分は繊細な透かし彫りを施し、その上からさらに色とりどりの宝石や金銀を象嵌している。
「これはアラクセスの守護聖人、聖グレゴリウス――と言って通じるだろうか? 旧い時代の偉大な宗教的指導者、その右腕の骨を収めたものだよ」
「……このなかに、遺骨が?」
「そう。似たようなものはアラクセスの各地にあるが、有名なものはエチミアジンにあるものだね」
「どうしてこんなものがあるの?」
「宗教的な意義があったんだ。わかりやすく言い換えるならば……そう、忘れないためかな。自分たちの根源を辿る上で大事な登場人物をね」
ケースの表面に鼻先を近づけて、まじまじとユリアナは右腕を見つめた。下部のキャプションには、アラビア語で『聖なる右手』と書かれている。
「――ルスラン・カドィロフの遺作が目当てだろう?」
その言葉に、弾かれたように顔を上げる。
「君の義足を見ればわかることさ。――彼の遺作は、〝聖なる右手〟に触発されたものだとも言われている。実際、その形はとてもよく似ているだろう?」
少し迷って、ユリアナは首肯した。
「とても」――そう言って、さらに深くうなずいた。
◇ ◇ ◇
「老人の長話に付き合ってくれてありがとう。今回、蒐集した品のほとんどはオークションに出す予定でね――この古城も競売にかけるつもりなんだ。後者はおそらく、帝国のものになってしまうだろうがね」
外に出ると、ちょうど日が沈もうという頃合いだった。照り付ける西日を背に受けながら、ユリアナは宝物庫の門扉の前に立つアンドルツァに対して礼を言った。
「とても興味深い話を聞かせてもらったわ。大事にしているようなのに、どうして売りに出してしまうの?」
疑問に思ったことを素直に口にすれば、アンドルツァは皺の寄った目を細めた。
視線を主塔の戴く屋根へと向けると、「そうだね」と言って、少しの間黙り込んでしまう。
「――帝国の属領統治政策は、言い換えるならば現地民の同化政策だ。それは言語を奪い、文化や慣習を破壊するということでもある。そこには帝国人の優性民族としての強い思想が根付いている。それまで大切に守られてきた信仰や、旧時代の遺物は棄却され、目に見えなくなってしまう……」
両腕を広げて、「その善し悪しを議論したいわけではなくてね」とアンドルツァは茶目っ気たっぷりにつけ加えた。
「私は道楽者で、帝国人としては不適合だった。その思想に馴染めず、旧時代の遺物ばかりを集めていたからね。そのまま永遠に過ごせたならば良かったが、そうは行かなかった。黄金色の時間は瞬く間に過ぎ、人間は老いる――そして、ふと思ったんだ。それは結局、帝国人として生まれた私のエゴではなかったのかと」
アンドルツァは淡々と続けた。
「帝国の暴虐を見過ごすことができないと思って、必死にかき集めてきたが……ワラキアが属領化されたことを機に、これまで見過ごされてきた私も目をつけられるようになってしまってね。そろそろ手離す時期だと思ったんだ。私が永遠に守っていられるわけではない。それに――結局、他者に守られている文化など、価値や意味などないのかもしれない。
……それが彼らの手のなかになければ、意味や意義が失われて、形骸化していくものなんだ。聖なる右手にしても、その内側に渦巻く血潮がすっかり冷めてしまう……」
老人の言葉に、ユリアナは黙って目を眇めた。
頭を過ぎったのは、難民解放戦線のことだ。
彼らはレジスタンス活動する上でも必要な――民族としての《アイデンティティ》を維持するために、アラクセスの生活様式や文化を保っていた。
自分たちはアラクセス人であるという自覚を促すためだ。
アラクセス人やユダヤ人、あるいは烟火の華僑など、経験として『離散』をくり返していた民族は、異国を生きるがゆえにみずからの独自性を自覚し、その文化を維持する術に長けているのかもしれない。しかし、属領化され、同化政策のなかでみずからの文化を棄却しなければいけなかった人々は――どうなってしまうのか。
帝国人であることを選んだユリアナには、アンドルツァに対して明朗な答えを返すことができなかった。
「……信仰も文化も、それを理解しているものでなければ、正しく継承されることができない」
口を開いたのは、クラエスだった。西日が眩しいのか、淡青色を細める。彼の声は淡々としていて、普段以上に冷めていた。
「けれども属領人にとっては、それを守りつづける力がない。だから貴殿が代わりに守っていると思えばいいのでは? ――来たるべき時に返すのだと」
「……来たるべき時は来ない」
アンドルツァは頭を振った。クラエスは同意するようにうなずいたが、「でも」と小さな声で返した。
「たとえばヘブライ語は、長い間日常会話では使われない死語だった。それをユダヤ人の手で復活させたんです――過去のそのままの姿でなくとも、近い形で。だからいつか彼らが『それ』を求めたとき、貴殿の行為はその橋渡しになるかもしれない」
気の長い話だね、とアンドルツァは頷いた。「君の名前を聞いても?」と問いかけられ、クラエスはいいえ、と頭を振る。
「名乗るほどではありませんから」
「それは残念。――ファランドールのお嬢さん、それではまた。オークション会場でも会えることを楽しみにしているよ」
ええ、とユリアナはうなずいた。
アンドルツァは中折れ帽を持ち上げた。そして、「でもやはり、私にその資格はないと思うんだよ」と弱弱しく呟いたのだった。




