(17)petit autre ii
「――きみはほんとうに、僕が誰かを育てられると思う?」
一度深呼吸をして――ウルヤナは問いかけた。
突拍子のない発言だった。理解ができない、とバラドは顔をしかめて不快感をあらわにする。
「正直な話、僕も向いてないことはわかっている。あんまり、自分以外の人間に興味を引かれない性質だからね。でもこれまでもそうやって生きてきたし、それが悪いことだとも思っていない」
「お前とお喋りをする時間はない」
「まあ、聞いてよ。……遺言だと思ってさ」
左足の『接合部』から鮮血をしたたらせ、苦痛に時おり顔をゆがめながら、ウルヤナは囁いた。そしてふと頤を上げると、黒い目でバラドを睨みすえた。挑戦的な眼差しだった。
「バラド、きみはあの子どもを羨ましそうに眺めていたね。自分が与えられなかったものを突きつけられて、劣等感を刺激されたんだ。どうしようもなく不愉快だったろう? ――あわれな奴だよ、本当に。心の傷や寂しさと折り合いがつけられずに生きているんだ。なまじ優秀で、誰からも必要とされるから――その度に勝手に期待をして、勝手に裏切られる」
「ウルヤナ、お前は……」
自動小銃を抱える両腕が、かすかに震えた。「――最期まで俺を馬鹿にするつもりなのか?」問いかけは返らない。
バラドは奥歯を噛みしめると、銃の引鉄に指をかけた。
そのとき、ウルヤナが表情を変えた。
白い歯を覗かせて、笑ったのだった。
「――大丈夫さ」
危機に瀕しているとは思えないほど、穏やかな声で語かける。
「きっと、誰かが君を愛してくれる」
「……ふざけるな、」
「君がどんなにどうしようもなくて、何かが欠けていると感じているとしても、見捨てないでいてくれるようなひとが」
「やめろ、ウルヤナ。それ以上――」
「君がそれを望み、誰かを心から慈しむことができたなら。その愛情を受けとるきもちがあるのなら。――大丈夫。何も心配することはないさ。だって……」
乾いた発砲音が立て続けに響いた。弾丸が周囲の壁を抉る。そのなかでも表情を変えることなく、ウルヤナはしずかな声で続けた。
「〝ルスラン〟。――思い立って、君のことを調べたんだ。ファランドール家に入る前にそう名乗っていたね。でも、妙だ。
属領系にしてもずいぶん古い名前で、今は使われていない」
バラドは弾かれたように顔を上げた。まじまじと夜色の目を見開き、もはやとるに足らないであろう、その痩せた男をみすえた。
引鉄にかけた指が離れる。間を置いて、銃が床に落ちた。
「自分で決めた名前だろう? 君はルスラン・カドィロフに憧れていたんだ。オレーシャに生涯の愛を捧げた、夢見がちな男に……」
◆ ◆ ◆
ユリアナ、とかすれた声が私を呼ぶ。夜色の目をゆがめる。
私の手を握りしめた指先は、ひどく、震えていた。
「――退かせない」
絶望に瀕した声で、バラドはつぶやいた。
彼の両手の爪は血に濡れ、いくつかは剥がれていた。
――私の上に落ちてきたのは、ウルヤナの繋がれていた生命維持装置だった。正確な重量こそわからないが、たびかさなる地震で安定を失ったそれが、先程の揺れでついに崩れた。全身が下敷きになることはかろうじて避けたものの、両足が犠牲になった。《リエービチ》は砕け、そして左足も。
その状況を明瞭に把握してなお――私はふしぎと落ち着いていた。感覚が麻痺しているせいもあるだろう。それ以上に、目の前にひどく取り乱した人間がいたからだ。彼はいままで見たことのない表情をして、全身を震わせている。私の状況に、感じたことのないであろうショックを受け、絶望をしている。
「すまない、ユリアナ。俺が……俺があの日お前を撃たなければ。こんなところにまで、お前が来る必要もなかったのに……」
視界はかすんでいて、バラドの声もなんだか遠く、膜を隔てたようにぼんやりとして聞こえた。そんななか、彼は幼い子どもにするように、くりかえし私の頭を撫でていた。
「許してくれ、ユリアナ……」
投げ出された私の右手をそっと両手で包み込み、バラドは懇願する。
「――いやよ」
朦朧とする意識のなか、私は反射的にそう返していた。
「しにたくないわ」
するとバラドは顔を伏せ、そうだな、と囁きをこぼした。
「これは俺に対する罰なのかもしれない。俺がお前を大事にできなかった罰なんだ……」
私の耳もとに唇を寄せ、今にも消え入りそうな声を吹き込む。
全身の感覚がない。視界もなんだかまぶしくて、頭の奥がひどく重い――バラドは、死にゆく人間にはさいごまで聴覚が残ることを知っているのだった。
「夢のような一〇年だった。でも、瞬く間に過ぎ去ってしまった。お前と一緒にいられて、それで満足しておくべきだったんだ。それでも、お前を諦めきれなくて……大人になってしまう前に、俺以外の誰かを知る前に、俺のいるところに来てほしかった。俺のことを、俺だけを愛してほしかった。選んでほしかった。
同情でも、憐みでも、恐怖からでもいいから……」
私の頬に生ぬるい滴がいくつも、とぎれることなく落ちる。
バラドが泣いているのだった。
「さいごまで、さいごまで一緒にいる。絶対に離れない。ちゃんとお前の手を握っているから……大丈夫、俺がいるから……」
――『さいご』とは、いったいどんな意味なのだろう。
すくなくとも――これから先、私が歩んでいくはずだった、長い人生の終わりを指しているわけではない。もっと差し迫った危機のことだ。
そのことに気が付いた瞬間、視界がクリアになった。渾身の力で――指にはほとんど力が入らなかったが――バラドの手を握り返す。
「――嫌よ」
そして私の顔を覗き込む彼を睨みつけた。
「死にたくないわ。あなたのために死ぬなんて、絶対に嫌。どんなにあなたが私と一緒に死にたがっても、それは私の望んでいることじゃない。あなたの独りよがりよ」
生物である以上、いつかは死ぬ運命であることは理解しても、「それ」は今じゃない。私にはまだやるべきことも、やりたいこともたくさんある。再会を約束して別れたきりの人だっているのだ。
――クラエスのところに、帰らなくちゃいけないのだ。
歯を食いしばって、失血で今にも途切れそうな意識を必死に繋ぎとめる。そしてバラドが腰に佩いた半月刀を視界の端に捉えた。
「私の左足を切って」
バラドの手を握り、その目をしっかりとみすえながら、私は言った。
夜色の目が揺れる。――途端、彼は頭を振った。
「――できない。お前の足を切るなんて……!」
「いいえ、あなたが切るのよ」
「ユリアナ、許してくれ。恨んでいるのか? 一〇年前にお前の足を撃ったお前を。だから俺にそんなことをさせるのか。お前の足を切ったところで、お前の命は――」
「やるのよ。バラド。――まだウルヤナの足が、ある、はず。だから……」
――生命維持装置が壊れた今、そこに繋がれていたウルヤナも絶命してしまったはずだ。――現に、あの「声」は一時的にでも聞こえなくなっている。
そのことを伝えたかったが、もはや呂律が回らない。一度は復活した視界もどんどん霞んで、バラドの顔が遠のいてゆく。
最後の力を振り絞り、腕を上げようとして――失敗する。
「……ユリアナ」
やわらかい声。涙ながらの声。
このまま、彼は私を見送るのだろうか?
そして私と一緒に死のうとするだろうか?
きっとそれが彼の信じる愛なのだ。だって、バラドはずっとひとりぼっちだったから。誰も彼に愛情を伝えてこなかったから、あるいは彼にそれを受け取る勇気がなかったから、そんな勘違いをしているのだ。
――もしかしたら、それはほんとうに、愛のひとつなのかもしれないけど。
そうすることでしか、彼の心は満たされないのかもしれない可能性だってある。
でもそれは、私の望む形ではないのだ。
一〇年間、一緒にいられてよかったのは、何も彼だけが感じていることではない。私だって、バラドと一緒にいられてよかった。彼はけっして家族になろうとしなかったし、時として私の愛情を試そうとする人ではあったかもしれない。
それでも、私が彼に教えられた愛とは――生きることなのだ。
さいごまで一緒にいることじゃない。
一緒に生きること、それだけ。
だから、バラド。あなたがどんなに自分のことをみじめに思っていて、空虚な人間だったとしても。その愛情が偽りのもので、演じていたものだったとしても。
急いでごはんを食べようとする私の口の汚れを拭ってくれたり、幻肢痛に苦しんでいるときに指を噛ませてくれたり。女学院にかかさず面会にきてくれたり、毎月かならず手紙を送ってくれたり。私に微笑みかけて、私の手を握ってくれて。「君はすごい」とか、「君が一番だよ」とか、こっちが恥ずかしくなるくらい褒めてくれたり。きっとあなたは、自分が与えられたかったものを――おそれることなく、私に与えてくれた。それが私を私という人間にした。
私にとって、あなたの愛情は真実にほかならない。
この先もずっと。
◆ ◆ ◆
轟音とともに、地が崩れた。
とっさに、バラドは腕に抱きかかえた少女の頭を守った。天井を隈なく覆った黒い糸がばらばらに砕け散ったかと思えば、いっせいに上方向へと伸び――遺構の構造物の一切を破壊する。地下施設はもはや形を失いつつあった。遺構のすべてを網羅した糸は緻密に絡み合いながら、ひとつの明確な形を成してゆく。
そして地の底から――起き上がる。
黒い糸の集合体に内側から取り込まれ、バラドは一瞬、気を失った。
次に目を覚ましたときには、既に地上へと放り出されていた。
――眼前に、黒い巨人がたたずんでいた。
《ドヴッジャイラ》だった。
休眠期間を経た微生物の「巣」――それはひとつの意思を持った生命体に近しいものだとされる。ルスラン・カドィロフが考案し推し進められながらも、道半ばで計画を打ち切られた生物兵器だ。
一〇年前、エレノアは皇帝からの勅命で中央制御室に乗り込み、ルスラン・カドィロフの肉体を発見した。悠に二〇〇年を経てなお、心身喪失の状態となってなお、眠りつづける男の姿を。
その墓を暴いたとき、オレーシャの怒りが降ったのだ。
遺構第二〇二に非常時の防御反応は組み込まれていないはずだった。だからこそそれは確かに、墓を暴いた者に対する、オレーシャの怒りというほかなかった。
ウルヤナたちがこの遺構に辿りついたとき、墓は暴かれたあとであり――遺構の中枢機能を知るのもウルヤナだけだった。彼を脅し、管理権限を手に入れるのがバラドに与えられた役割だった。
けれどもできなかった。
彼を前にして、彼の言葉におそれをなした。バラドは逃げ出した。そしてウルヤナは消え、二本の義足は行方不明となった。
呆然自失となっていたところで、あの子どもを見つけた。
片足に、ルスラン・カドィロフの愛の結晶を――《リエービチ》を身につけた、幼い少女を。
「――ああ」
靄のようにかすみ、そびえたつ、黒い巨体を呆然と見上げる。
もはや何も打つ手はないことを理解して、それでも、胸の裡に沸き起こる熱いなにかに心が打ち震えるようだった。と同時に――体の内側から、何かが洗い流れてゆくのを感じた。気が付いたときには、彼の頬には涙が流れていた。
風が逆巻く。砂塵が舞い、周囲が薄くけぶる。
抱きかかえた少女の体が重かった。その熱を感じていた。
彼女の左足に剣を添え、肉と骨を断つ硬い感覚をこの手のひらがおぼえている。そしてその足を切り離し、その鮮血を浴びた瞬間のことを――きっと一生忘れることはない。なぜならば、あのとき、自分ははじめて理解したのだ。
なぜ、オレーシャの怒りが降ったのか。
これまで、自分がなにを見過ごしてきたのか。
何度となく、「それ」を知る機会はあるはずだった。けれども見過ごしていた。望んでいながらも、自分に対する可愛さから、それを受け取る勇気がなかった。どうやって受け取ればいいのかさえわからなかった。
でも、ほんとうは知っていたのだ。
彼女のための足を作りたいと思った、そのときから。




