(5)~三十路男と幼婚約者の距離~
「瑛花さんお待たせ♡」
寝室のベッドに腰掛けていた瑛花の目の前で屈み、時臣はふんわりと抱きついた。両手を背中に回して顔を瑛花の胸許に寄せる。
「あ~♡ いい匂い♡ それにふにふに~♡」
そのまま胸に頬擦りを始めた時臣の頭上から、
「───あとで目一杯甘えさせてあげますから、ちょっと座ってください。お話があります」
硬くなった声が降ってきた。
未練たらたらといった顔をしたものの、瑛花の胸から顔を離して腕も解いた。
解放された瑛花はベッドの中央部まで身体をずらし、そこに正座する。
つられて、時臣もベッドに登りその対面の位置に正座した。上半身を気持ち前に傾けて口を開く。
「それで? お話って?」
「………………」
返事はなく、瑛花は表情までも硬くして俯いてしまった。
「ふむ…」
瑛花のこんな態度はこれまであまり見たことがなかった。まるでこれから親に叱られるコドモの様だ。
普段であれば、こういう場面では時臣が叱られる。大抵は「いつまでお尻触ってるんですかッ」とか「スカートに潜り込もうとするなって何度言えばわかるんですかッ」といった具合だ。
だが今夜はそういうことではないらしい。
先程風呂場で『久しぶりにスッキリ』したためか、時臣には心の余裕がある。瑛花が口を開くまで待とう───そう思った。
壁掛け時計の秒針が回る音だけが静かに聞こえる寝室。
しばらく黙っていた瑛花は、ようやく意を決したのか、顔を上げて背筋を伸ばした。
硬く口を結び、真正面から時臣を見据える。その顔は若干紅潮していた。
「時臣さん」
「ん?」
「今日はごめんなさいでした」
そう言うと瑛花は、折り目正しく三つ指をついて深々と頭を下げた。
「今日は失敗でした。月に一度の実家訪問であんな風になっちゃって。本当にごめんなさいッ」
額をベッドに押しつけて、絞り出すように言葉を続ける。
「まさかあんなこと言われるなんて思ってなかったので。お父さんったらなんであんなことを。わたしはもう…あなたのお嫁さんなのに。確かにまだ子供ですけど……コドモじゃないんです。なのにコドモ扱いでしかもあんな…あんなこと。だから、ついカッとなっちゃって」
「瑛花さん顔を上げて」
「……はい」
少し涙ぐんだりしてるのかな?───という時臣の予想とは異なり、頭を上げた瑛花の表情には悔しさが滲んでいた。
「わたし……なんだか腹立たしくって。婚約者ができても、お父さんやお姉ちゃんはまだコドモ扱いのままで。あなたの面倒だってちゃんとみてるし、来年は中学生なんですよ? ……もうコドモじゃないんです」
言いながら瑛花の頬が徐々に膨らんでいく。
言ってることも、その態度も、明らかにコドモそのもの。
だが時臣はそうは思わない。一所懸命自立したがっているんだな───と。さらには愛しささえ感じていた。可愛らしいレディだ───と。
「うん。瑛花さんはコドモじゃない。ちゃんと俺のこと面倒みてくれてるもんね。お嫁さんとして」
「え、えっちなこと以外は……」
「そっちも面倒みてくれる?」
「ダメに決まってますッ。…ってそういえばお父さん。あのままで帰ってきちゃったから───もしかしたら勘違いして、婚約解消しろって言ってくるかも」
「大丈夫だよきっと」
時臣は膝を瑛花に寄せ、ぎゅっと抱きしめた。その耳元で静かに言う。
「大丈夫。南城先輩も瑛実ちゃんも、瑛花さんのこと信じてるって」
「でも……お父さんもお姉ちゃんも、わたしのことになると時々見境無くなりますよ?」
「なははっ。ま、大丈夫だよ。俺が瑛花さんの許可なしに無理矢理えっちするなんて出来っこないって解ってると思うよ。だから大丈夫。瑛花さんがしっかり者だから、きっと信じてもらえてるって」
安心させるために、時臣は瑛花の背中をポンポンと軽く叩いてやる。
悔しさとは別の理由でますます頬を赤らめた瑛花は、珍しくされるがまま。時臣に身を委ねていた。
「ん…そうですね。わたしがしっかりしてれば、大丈夫ですよね」
「そうそう」
優しい旦那さまモードを装いつつ、時臣は内心でニンマリしていた。
(もしかしたら……今夜はちゅーまでいけるんじゃね?)
無論ここで彼が目論んでいるのは、口づけのことだ。ほっぺにちゅーは数あれど、実はキスは一度させてもらったきりなのだ。
(もうちょい頑張れば───イケる?!)
そんな相手の邪念など露知らず、瑛花は時臣の胸許に額をつけた。
「この際なんで言っておきますけど」
「ん?」
「わたし、最初はあなたのことなんてどうでもよかったんです」
「───え?」
「ただ単純に、誰かと結婚するって、そう言ってみれば、お父さんもお姉ちゃんも、わたしのことを一人前として認めてくれるんじゃないかなって。そう思ってました」
「えーっと……」
時臣の頬を冷や汗が伝う。薄々感じてはいたものの、こうもハッキリと口に出されると痛かった。
だが───
「で、でもさ。今はどうなの? 嫌いじゃないでしょ? ほっぺにちゅーだってしてくれるし、こうやって抱きしめても───」
「んふふ…っ」
瑛花の顔が少し浮いた。口の端に笑みを浮かべて時臣を見上げ、
「だんだん…好きになってます。この気持ちが『愛』なのかどうかは正直わかりません。だけど……あなたと一緒にいるの、キライじゃないです」
少し意地の悪い口調でそう言った。
時臣は微妙に泣きそうな情けない顔で瑛花を見下ろす。
「ほ、ホント? こんな三十路のおっさんでも、いい? 本当にお嫁さんになってくれるの?」
「ふふ…っ。情けなくないんですか? 20歳も年下の、こんな子供相手にそんな顔して。生意気って思いませんか? こんなこと言われて」
「お、俺は一度だって瑛花さんを子供だなんて思ってもないし」
「わかってます」
瑛花が嬉しそうに微笑む。
その笑みの愛らしさといったら。時臣の心を鷲掴みにするには充分だった。
「あなたはわたしのことをコドモ扱いしたりしない。わかってます。そういうトコ、好きです」
「俺はホントに、真剣に、心から瑛花さんが好きだよ? 愛してる」
「初対面でプロポーズした一目惚れのクセに?」
「ぁぅぁぅ…」
「ちょっと意地悪が過ぎましたね。ごめんなさい。わかってますから。毎日あなたが注いでくれてる愛情は。でも…」
「でも?」
先を促す時臣に向け、ここで満面の笑み。
もしかしたら瑛花は計算尽くなのかも知れない。
「まだまだ足りない感じ。もっともっと愛してくれないと、わたしの全部…あげる気になれませんね」
「これでも精一杯愛してるつもりなんだけど」
「じゃあ諦めます?」
「それはナイ」
「だったら頑張ってわたしをオトしてください。わかってるとは思いますけど、先に好きになった方が負けなんです。だから、あなたはわたしに負けたんです。わたしの勝ち。んふふ…っ」
「そ、それは重々承知しております」
ガックリと肩を落とした時臣の右頬に、
「ホント…しょうがないヒト───んっ♡」
瑛花の唇がそっと触れた。
しばし呆然の三十路男は、ハッとすると瑛花の両肩を握り締める。
その鼻息が徐々に荒くなっていた。
「え、瑛花さんッ。最っっ高の愛情表現をしたくなっちゃったんだけどッ。いいかな? いいよね! 二人のヒミツにしとけばいいんだしッ」
もう辛抱たまらんとばかりにそのまま押し倒した。
途端、パシーンっと小気味好い音が炸裂。
頬を張った右手を振り振り、瑛花が押し倒されたままで笑みを深めた。
「お父さんとの約束、忘れたんですか? それにそもそも、わたしはそんなの許す気になってませんよ?」
「だって瑛花さん…俺はもう」
「ちょっとでもえっちなことしようとしたら、もう口利いてあげませんからね?」
「で、でも愛情表現……」
「いきなりがっつくなんてサイテーですよ?」
「もう半年も一緒にいるのに……」
「その半年間……あなた、わたしに甘えてばっかりじゃないですか。そもそも三十路の冴えない甲斐性なしが、そんな簡単に、こんなピチピチの女の子をモノに出来ると思ってるんですか? わたしそんな安い女の子じゃありません」
「や、やっぱり俺のことそんなに好きじゃない?」
今にも泣きそうな声で問う時臣の頬を、瑛花はそっと撫でてやる。
目を細め、慈愛の表情を浮かべて、
「好きになってきてるって言いませんでしたっけ?」
「でもやっぱり瑛花さんに好きになってもらえる理由が思いつかないし……」
「あなたを好きになってる理由? そんなの自分でちゃんと考えてください。三十路の甲斐性なしには教えてなんてあげませんから。…ふふっ」
「あー。こんな三十路のおっさんなんかでゴメンね……」
興奮が落胆に変わり、時臣は瑛花の上から身を離すと隣に寝そべった。
「前髪後退しててゴメン。冴えない顔でゴメン。甲斐性なしでゴメン。最近腹も出てきてゴメン……」
「そんな風に自分を卑下しないでください。それって、あなたを好きになってるわたしに対してとっても失礼です」
「冴えない甲斐性なしって言ったの瑛花さんじゃん」
「わたしはいいんです。あなたのことを悪く言ってもいいのは、わたしだけ。わかりましたか、三十路の甲斐性なしさん♡」
「うぅぅ……ホント、ミソジでごめんなさい」
「今度自分でそれ言ったら怒りますからね?」
「……愛されてるって思ってもいい?」
「だからそれは自分で考えてください」
言うと瑛花は、時臣の身体にぴたりと抱きついた。眼鏡を外しながら言葉を続ける。
「わたしがあなたを好きなんだって、愛してるんだって、自分で胸を張って言えるように自信がついたら、色々考えてあげます」
「……それって」
瑛花の温もりとふにふにとした感触に、時臣は興奮を覚えた。
自然とその腰に手が伸びるが、
「ダメです」
その一言で動きを止めた。
瑛花の言葉には基本逆らえない。
なにしろ尻に敷かれているのだし、それを望んでいるのだから。
瑛花がダメと言えば、ダメなのだ。
そんな時臣の特性をしっかり把握している瑛花は、安心しきった様子で身体をモゾモゾと動かす。腕や脚を絡ませる位置を微調整していき、ちょうど良い体勢になったのか、
「知ってます? わたし抱き枕があった方がぐっすり眠れるんです」
少し恥ずかしそうにそう囁いてきた。
「愛用のは実家に置いてきちゃってますから、今夜から、あなたが代わりになってください」
「でもお触りはダメ…と?」
「ベッドの中でそんなの許したら、あなたいつか歯止めが利かなくなりますよね?」
「…反論できません。でもこれって蛇の生殺しだよぉ~」
「色々頑張ってください♡」
「目一杯甘えさせてくれるんじゃなかったの?」
「ん…やっぱり気が変わりました。ダメです♡」
「酷ッ?! ウソつきーっ」
「ウソじゃありません。気が変わっただけです」
「うぅ……」
その後しばらく、二人は無言でいた。
お互いの温もりが心地良い。
そんな中でふと、時臣の脳裏に、
───あぁ…結局ちゅーはダメかぁ。瑛花さんの唇、もう一度味わいたいんだけど。よかったなぁ…アレ。
という思いが過ぎった。
瑛花の唇に想いを馳せていると、自然と口が開く。
「瑛花さん」
「はい」
「ファーストキスの相手───こんなミソジでゴメンね」
「次にそれ言ったら引っ叩きますよ?」
二人の寝室に、パシーンっという小気味好い音が再度響いた。
───END───
色々と無理が多い内容ですが、夢のあるお話が書ければ……と思い執筆しました。100%作者のシュミと妄想の産物ですw お読みくださった方に少しでも「ニヤリ」と笑って頂けたら幸いです。なお、作中での変態行為につきましては、作者はこれの実行を賛美又は推奨するものではないことを申し添えておきますww