278 ようこそ幼女株式会社へ
パスポートを開いてみる。
17ヶ国のスタンプを集めた計算になる。
感覚的には30ヶ国くらいめぐった気分なので、たったこれだけなのか、という肩透かしに似た気持ちである。
旅人・有栖川は100ヶ国を超えたらしい。
人の願望エネルギーの強さを思い知らされる。
「マサくん、ありがとね。私の我がままに付き合ってくれて」
いのりが手を恋人つなぎしてきた。
「優しくて思いやりがあるね。嬉しい。マサくんと一緒にいられて。いつも私のことを気遣ってくれるから。とても愛しているよ」
指がじんわり汗ばんでくる。
二人の熱が混ざり合っているのかと思うと、気恥ずかしさで胸がいっぱいだ。
いのりは魅力的な女性だ。
同じような会話でも、「旅行して正解だったでしょ」みたいなトーンでこられると、やや上から目線な感じに萎えるものだが、肝心なところで男を持ち上げるテクニックが俺のハートを熱くさせる。
男は女を喜ばすために頑張れる。
それを本能的に理解している節がある。
「手をつないだままでもいい? 飛行機が着陸するまでマサくんを感じていたいの」
「うん、いいよ。俺もだよ」
機内が暗いのをいいことに、俺たちは軽くキスをした。
……。
…………。
メキシコを経由して、ボリビアに到着する。
現地ガイドに案内してもらい、首都ラパスのホテルにチェックインした。
とうとう有栖川の尻尾をつかんだのである。
明後日、ウユニ塩湖で出会えるはずだ。
ガイドさんの話によると、有名な鏡張りのシーンを見るため、雨季の12月から3月にやってくる日本人が多いそうだ。
ただ、雨が止んでくれないと鏡面がぼやけることや、晴れと曇りのバランスが良くないと光を反射しないこともあり、わざと乾季と雨季の間を狙うのもオススメらしい。
一日目は寝るだけで終了。
二日目は高度3,600m超の街をゆっくり観光して、心肺機能をボリビアに慣らしていく。
夜のバスで10時間くらいかけてウユニの街へ。
ガイドさんに紹介してもらった高山病の薬を飲んでいるから、頭が痛くなることはなかった。
長靴を装備する。
天気は晴れ時々曇り。
風はそれほど強くなく、文句なしの良コンディションといえよう。
きれいに反射するスポットを探してみた。
世界が逆さまに映っており、ファンタジー世界に迷い込んだような錯覚に襲われる。
「アリス〜!」
いのりが叫ぶ。
もちろん返事はない。
「瀬古さ〜ん!」
いや、亜麻色の髪をした女の子が立っていた。
長靴で水面をパシャパシャと叩きながら、こっちに向かって直進してくる。
「須田く〜ん!」
俺も限界まで両手を振った。
「アリスさ〜ん!」
地球の半分くらいを制覇してきた有栖川は、肌を小麦色に焼いていた。
所々が擦り切れたジャンパーを着ており、頭にはニット帽をのせている。
有栖川がうっかり転びそうになる。
俺はすんでのところでキャッチした。
「どうですか、念願だったウユニ塩湖は?」
「もう最高って言葉しか出てこないよ!」
三人で天に向かってバンザイした。
他の観光客にお願いして、そのポーズを写真に収めてもらった。
「生きてて良かった! この時代に生まれて良かった! 瀬古さんや須田くんと出会えて更に良かった! 私は恵まれている! 自分が定めたゴールに自分の足で立てたから! それだけだよ!」
有栖川の言葉に、俺もいのりもうなずいた。
ここが旅のゴールだ。
そして新しい旅のスタート地点でもある。
……。
…………。
マイアミ経由の飛行機で、成田空港まで帰る。
有栖川も含めた三人旅である。
「アリスさんはこの先、どうされるのです?」
「う〜ん……どうしよう……貯金、ほとんど使い果たしたからなぁ……早くカノープスが株式上場してくれないかなぁ……」
「…………」
元サラリーマンが三人、こうして並んでいるわけか。
「まあ、いいや。日本での生活は日本に帰ってから考えよう」
たくましいな。
命ある限り負けはない、と考えるタイプだろう。
「瀬古さんはどうするのです?」
「むっふっふ、ちゃんと考えているよん♪」
「教えてくださいよ。あわよくば便乗させてください」
「まあまあ、とりあえず日本に帰って、久しぶりの日本料理を味わおうではないか」
空港にあるレストランで天ぷら蕎麦を食べることにした。
出汁の香りに懐かしさを感じたとき、本当に日本に戻ってきたのだと実感する。
「まずは神田の秘密基地へ向かいます」
荷物が多いので、タクシーに分乗することに。
「久しぶりにパソコンを起動します」
いのりが用意していたのは、人数分のヘッドマウントディスプレイ。
パソコンの予備機を有栖川に貸して、それぞれが同時接続する。
「カノープスが開発した仮想オフィスがあるんだよね。まあ、本当に開発したのは、カノープスが外注していた神宮寺あすかと私なのだけれども……」
いつでもどこでも好きな時間だけ働ける。
そのコンセプトを実現すべく開発されたのが、電脳バーチャルオフィスモジュール『マイカンパニー(仮称)』である。
システムにログインすると、仮想空間のルームが用意されており、『幼女株式会社』というネームプレートがかかっていた。
ドアノブに手をかける。
実際に下に押すと、仮想オフィスのドアが開いた。
あの幼女株式会社だ。
懐かしさが泉のように込み上げてくる。
デスクの配置。
ラックの数。
壁の時計。
俺がつかっていた席へと向かい、椅子を引いてみた。
リアルの質感はないけれども、心はここが本物だと主張してくる。
ベージュ色のスーツを着た幼女アバターがログインしてくる。
これが瀬古いのり。
亜麻色の髪をした幼女アバターがログインしてくる。
これが有栖川后。
しばらくすると、神宮寺、姫井、加賀美、雪森、奈良橋たちも続々とログインしてきた。
顔つきも背丈も服装も八年前のままである。
この空間にいるのは社員だけではない。
《サクヤヒメ》
《巫女いのり》
《守護女神アテナ》
《吸血幼女ラキュア》
《時を駆ける幼女・ミレニアム》
といったアバターたちが、あたかもRPGゲームのキャラクターのように、オフィスの中を歩いている。
「これで全員かな?」
神宮寺がいう。
「いいや」
いのりがオブジェクトを持ち上げた。
いまも大切に保管してある思い出のクリスタル。
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幼女株式会社 社員一覧
001 瀬古いのり
002 姫井ゆり
003 神宮寺あすか
004 加賀美伊織
005 有栖川后
006 雪森如月
007 奈良橋涼
008 須田正臣
009 早乙女シイナ
精勤に励みに当社の発展に尽力した者の名をここに記します。
20XX年 12月吉日
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全員があの日に思いを馳せたとき、バーチャル空間にノイズが走った。
スカイブルーのスーツを着た幼女アバターが、天使のように舞い降りてきて、ゆっくりと瞳を開ける。
いのりと同じ顔つきのはずなのに、無愛想なオーラが出ている。
プログラムレベルで瓜二つなのだが、太陽と月のような差の正体は一体何だろうか。
「いのりさん、誠一郎さんのビジネスに一日30分協力するそうね。だったら、私も一日30分だけ協力してあげる。あなたが新しく何をはじめるのか。最後までちゃんと見届けてあげるわ。大失敗したときは、鼻で笑ってあげるから。せいぜい私の頭脳を利用できるだけ利用してみなさい」
いのりがシイナに飛びついて、アバターが壊れるんじゃないかってくらい強く抱きしめる。
「ようこそ幼女株式会社へ」
止まっていた時計の針がカチンと鳴った。




