一時の安息、地獄への誘い
しかし、現実としては、あの巨大な扉の向こう側に行きたがる者など居なかった。あの扉が閉じている以上、フィーンドは降りてこないし、今は既に数十匹のビースト達も護衛についている。加えて2500階と3000階では半生体型とビースト達が迷路の中を巡回し、警備はほぼ完璧だった。
オルフェ中佐の案により、2500階には、分散型司令システムと移動型コアに連動して敵を攻撃する自動砲塔が12機設置され、常にセンサーでフィーンドの反応を監視し続けていた。
得られた監視データによれば、あの扉に向かって上からフィーンドが降りて来る事もあるが、それを上の階にいるビースト達か撃退しているらしく、あのフロアを迎撃用にしたのはルゴール博士も同じ事を考え方からだろう。
そこまでに出来るだけ食い止めて、そこを抜けたフィーンドをあのフロアで倒す。元々は半生体ロボットが警備をする筈だったが、ビースト達の方が強かったのと、おそらく半生体型は失敗作だと決めつけられ、駆逐される事になってしまったのだろう。
アビスがアビスを駆逐するという異様な状態になっていたが、3000階以降、上に進むにつれて、狂気と悪夢を織り交ぜたような現実と化していくこのアビスでは、もはや異常と呼べる事態は無かった。
「焦る必要は無いと思います。X68式を本隊に普及させる方が先だと思います。もし、あの扉を破ってくる敵が来る時の事を考えても」
その俺の提案に対して異論は無く、忙しいのはひたすらラボラトリーの人達と機械ばかりで、兵士達は毎日をのんびりと暮らす日々が続いた。
こうなると久しぶりにミシュテカにまで降りて、日常ってのを楽しみたいな。と言う者も居て、オルフェ中佐はそれについて、やや真剣に考え始めていた。
「上層部の事を話すのは禁止するにしても、なんとかミシュテカで休暇をとらせてやりたいものだな」
「NCWで降りるわけにも行きませんし、全身のジャックインプラグは手術しなければ外せませんし」
「どうせ服を着るのだ。首まで隠す事が出来れば、なんとかならないか?」
「……中佐も、一度お戻りになりたいんですね」
ラボの開発者にそう言われて、オルフェ中佐は頬を赤らめていた。でも、皆がそれは望んでいる事で、出来ればたまには休暇で人間らしい世界の中で過ごしたいというのは当然だろう。特にこの狂気に浸食された中層階まで登ってきた者達にとっては。
その気持ちをとめられなくなって、手術と記憶喪失を経て戻っていった者も居た。
戻った者達が幸せに暮らしているかと言えば、そうとも言えない。まず記憶が失われている上に全身手術されて人工皮膚をつけていて、ミシュテカの西の学校施設の近くにある病棟から出る事は少ない。たまに気晴らしに街へ出るが、そこで暮らす『ごく普通の人々』と自分は明らかに異質である事を思い知り、また病院に戻る事になる。
肝心な部分は思い出せないが、それでも自分が兵士として戦っていたという事までは、記憶を消す事は出来ず、全てを諦めての隠居生活という風に考えた方が気が楽だった。
しかし、そんな平穏な一時も、たった一つの報せによって壊れてしまった。
「巨大ゲートが開きます!」
一応の見張り、という立場にいた兵士達が、慌てて戦闘態勢になり肉の床の切れ目に飛び込んで身を隠す。支援機がセンサーとスキャナーをフル稼働させる中、幾重にも施されたあばら骨状の扉のロックが、一つずつゆっくりとスライドして開いていく。
この巨大扉のかんぬき状のロックは縦に八段、左右それぞれの扉に通され、そのかんぬきそのものが鋼鉄の扉を頑健な物にしていた。その全てのロックが外れると、巨大ゲートは開くのではなく、自重に耐えかねる様にゆっくり下へと沈み込んでいった。
「第一、第二小隊、すぐに出撃準備。第三、第四小隊は待機」
と叫ぶアサリナ大佐の命令に、カガネ隊長の命令も続く。
「カガネ隊、扉の所まで行く、すぐに集合しろ」
隊長の命令を聞き、4000階のメインベースのドックに集合した俺達は、以前とはうってかわってガランとした空間に集まる事になった。ここに居て、訓練をしていた100人近い兵士達はどこに行ったのか? 命令があったのは四小隊。20人近くは居てもいい筈だった。それが、たった5人しか集まっていない。
「すまない。殆どの者が休養ポッドの中に入ったままだ。皆、新機体が出来るまでは半冬眠状態で待機している有様だ」
アサリナ大佐とオルフェ中佐が、現場に集まった5人とカガネ小隊に謝った。
「カガネ小隊は休み損ねたな。悪いが先に上へ向かってくれ。後の者はチームメンバーが揃うまで待機。二小隊が準備できたらすぐに出撃する」
「了解」
たった一枚の扉が開いただけで、この騒ぎだった。せめて汎用のXV1型が行き渡ってくれるまでは平和な気分を楽しみたかったが、どうやら二小隊分しか出来ていないらしい。第三、第四小隊はX零式を使うしか無く、後方からの射撃による援護しか出来ないだろう。
「2500階のアビスが自分で開けたわけではない、と言うのだな?」
「はい。ここのアビスには何の動作記録もありません」
2500階に到着したカガネ隊長が、見張りの兵士達に状況を尋ねてまわる。
「敵はまだ出てきていないか?」
「それが、敵は出てきてはいないんですが……」
「……!」
兵士が指さすと、壁から産み出されたビースト達が、扉をくぐって上へと登っていくのが見えた。
「戦力の補充……か?」
「自分にもその様に思えました。このフロアに居た30体近くのビースト達は、門が開くとすぐに中に入っていきました」
「マズイですね」
「マズイな」
俺と隊長はおそらく同じ事を考えていただろう。門が開いたのは、戦力を補充する為だろう。それでビースト達と半生体型の自動防衛ロボットが2500階から3000階で戦闘をしているのかも想像がつく。
2500階より上で戦力が足りなくなり、この階のビースト達が補充されると、自動的に半生体タイプのロボットがこの2500階まで登ってくる。この階のアビスが姿を見せず移動し続けている事、そしてあちこちの壁からビースト達が産み出されるのは、どちらも攻撃目標を特定されない為だろう。
「カガネ隊は2000階までの調査任務に志願します」
誰かがそれを言い出さなければならず、そしてアサリナ大佐もオルフェ中佐も、本隊に適任する存在が無い事も分かっていた。
「損くじをひかせてすまん」
オルフェ中佐がそう言って謝ると、隊長はその言葉だけで十分です。と答えた。もしオルフェ中佐がこの場に居なければ、アサリナ大佐も同様の事を言っただろう。だが今は冷徹かつ無駄のない命令しか言えない自分よりは、人当たりの良い妹に任せて、大佐自身は厳しい表情で、頭を下げる代わりに敬礼をしていた。
「とにかく、まずは調査だ。ビーストやフィーンドとの戦闘は全力で避ける。もし上に登る事が不可能なら、無理せず戻る」
カガネ隊長、俺、小稲、エルイル、アベリアさん、比奈瀬さん、雪刃さんの7名が開いた巨大な門の前に立った。
「重ねて言う、無理はしない事。小稲、分かったな」
「は、はい!」
そう言われても彼女は無理をするだろう。彼女は俺と同じく、2500階上の地上に行く事を夢見ていた。そこまで行くのが不可能だと分かれば諦めもつく、だが、今はまだ、不可能かどうかは定かではない。分かっているのは、今までより更に過酷な戦場が待っているという事だけだった。




