俺が書いたラブコメとは違う結末で、完璧な生徒会長に告白した
「……くそっ! 九条先輩は、まだ家にいるのか!?」
俺、桜庭悠馬は、学校を飛び出していた。
夕暮れの街を、全速力で駆け抜ける。
肺が苦しい。
足も重い。
それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。
なぜなら。
今すぐ、会いたい人がいるからだ。
『アイドルAの正体は、九条栞よ』
立花副会長から告げられた言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
アイドルA。
俺の最初の読者。
誰にも読まれなかったころから、ずっと応援してくれた人。
そして。
九条栞先輩。
文芸部を作り、俺の夢を支えてくれた人。
その二人が、同じ人物だったなんて。
「……なんで、気づかなかったんだよ!」
俺は、自分に悪態をついた。
思い返せば、不思議なことはいくつもあった。
俺の小説を、誰よりも理解していたこと。
俺が書いた展開と、現実の出来事が妙に似ていたこと。
そして、最初のヒロインが別れたとき、あれほど悲しそうな顔をしていたこと。
すべてが、繋がっていく。
先輩は、ずっと俺の物語を読んでいた。
ずっと、俺のことを見ていてくれた。
けれど。
俺は、その気持ちに気づかなかった。
「……馬鹿だな、俺」
俺は、息を切らしながら走った。
小説の主人公なら、もっと早く気づけたのだろうか。
いや。
そんなことを考えても、意味はない。
これは、小説じゃない。
俺自身の人生なのだから。
◇ ◇ ◇
やがて、目的のマンションが見えてきた。
「……ここか」
俺は、立ち止まって息を整えた。
立花副会長から教えてもらった、九条先輩の住むマンション。
学校から、それほど遠くない場所にあった。
こんなに近くに住んでいたなんて。
俺は、今まで知らなかった。
「……よし」
スマートフォンを取り出す。
連絡先を開き、九条先輩の名前を選んだ。
そして、通話ボタンを押す。
プルルルル。
プルルルル。
呼び出し音が続く。
「……頼む」
俺は、祈るように呟いた。
出てくれ。
お願いだから。
今だけは、俺の話を聞いてほしい。
すると。
『……もしもし』
「……っ!」
聞き慣れた声が、耳に届いた。
「九条先輩!」
『……桜庭くん?』
「はい! 桜庭悠馬です!」
『……どうしたの?』
その声は、いつもより弱々しかった。
俺は、拳を握りしめた。
「……先輩と、話がしたいんです」
『…………』
「……今、先輩のマンションの前にいます」
『……え?』
電話の向こうで、息を呑む気配がした。
『……どうして、ここがわかったの?』
「立花副会長に、教えてもらいました」
『……立花さんが?』
「はい」
俺は、ゆっくりと息を吸った。
「……九条先輩。会ってくれませんか?」
しかし。
『……ごめんなさい』
返ってきたのは、拒絶だった。
『……今は、会いたくないわ』
「…………」
『……私、あなたに合わせる顔がないの』
その声は、震えていた。
『……だから、帰ってちょうだい』
俺は、唇を噛んだ。
もちろん、無理に会うつもりはない。
先輩が本当に嫌なら、帰るしかない。
けれど。
まだ、伝えていないことがあった。
「……九条先輩」
『……何かしら』
「……俺の話を、少しだけ聞いてくれませんか?」
『…………』
「……どうしても、伝えたいことがあるんです」
長い沈黙が流れた。
そして。
『……少しだけなら』
先輩が、小さく答えた。
◇ ◇ ◇
「……俺、知りました」
俺は、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……先輩が、アイドルAさんだったこと」
『…………っ!』
電話の向こうで、息を呑む音が聞こえた。
『……そう』
先輩は、静かに呟いた。
『……全部、知られてしまったのね』
「……はい」
『……嫌でしょう?』
「……え?」
『……ずっと、あなたの小説を読んでいたのよ』
先輩の声が、震えた。
『……あなたの書いた物語を、現実にしようとしたこともあるわ』
「…………」
『……相合傘も、文芸部も、文化祭も』
俺は、目を見開いた。
やっぱり。
あの偶然の数々は、先輩が用意したものだったのか。
『……気持ち悪いと思ったでしょう?』
先輩が、自嘲するように笑った。
『……私、あなたのことになると、何も見えなくなってしまうの』
「……九条先輩」
『……あなたの夢を応援していたはずなのに』
声が、かすれた。
『……いつの間にか、自分の望む物語を書いてほしくなっていた』
『……最初のヒロインが別れたとき、本当に悔しかったの』
『……まるで、私自身が捨てられたみたいで』
俺は、黙って聞いていた。
先輩の気持ちを、初めて真正面から受け止めていた。
『……ごめんなさい』
その声は、今にも消えてしまいそうだった。
『……あなたの自由を、奪おうとしていたのね』
「…………」
『……だから、もう会わないほうがいいと思うの』
俺は、目を閉じた。
先輩が、どれほど悩んでいたのか。
今になって、少しだけわかった気がした。
けれど。
「……九条先輩」
俺は、静かに口を開いた。
「……俺、先輩に感謝しています」
『……え?』
「……文芸部を作ってくれたことも」
「……俺の小説を、ずっと読んでくれたことも」
「……何度も励ましてくれたことも」
俺は、一つずつ言葉を重ねた。
「……全部、本当に嬉しかったです」
『…………』
「……でも」
俺は、少しだけ声を強めた。
「……俺の物語は、俺自身に書かせてください」
『…………っ』
「……どんなヒロインを登場させるか」
「……誰と誰が結ばれるのか」
「……どんな結末を迎えるのか」
それは、俺が決めたい。
俺が悩んで、俺が考えて、俺自身の言葉で書きたい。
「……先輩の望まない展開になることも、あると思います」
『…………』
「……それでも、俺は書き続けます」
電話の向こうで、先輩が小さく息を吸った。
『……そう、ね』
そして。
『……それが、あなたの夢だものね』
「……はい」
『……ごめんなさい。私、ようやくわかった気がするわ』
先輩の声が、少しだけ柔らかくなった。
『……あなたの物語は、あなたのものなのね』
俺は、静かに頷いた。
「……そうです」
そして。
「……でも、先輩」
俺は、もう一度口を開いた。
「……俺の人生には、先輩がいてほしいんです」
◇ ◇ ◇
『…………え?』
電話の向こうで、先輩が固まった。
「……九条先輩」
俺は、マンションを見上げた。
夕焼けに染まる窓。
そのどこかに、先輩がいる。
「……俺、ずっと考えていました」
相合傘。
文芸部。
休日のデート。
文化祭。
そして、あの日の告白にも似た言葉。
『……私じゃ、ヒロインになれないの?』
俺は、あのとき何も答えられなかった。
先輩の気持ちが、わからなかったから。
けれど。
今なら、答えられる。
「……先輩」
『……何かしら』
「……俺、小説のヒロインと現実の人間は、違うと思っています」
『…………』
「……小説なら、作者が結末を決められます」
俺は、ゆっくりと続けた。
「……でも、現実は違う」
「……誰が誰を好きになるかなんて、作者にも決められません」
俺は、拳を握りしめた。
「……だから、俺自身で決めたいんです」
『……何を?』
「……誰を、好きになるのかを」
電話の向こうが、静かになった。
そして。
『……桜庭くん』
先輩が、震える声で尋ねた。
『……あなたは、誰を選ぶの?』
俺は、息を吸った。
答えは、もう決まっていた。
「……九条先輩です」
『…………っ!』
「……俺が好きなのは、九条栞先輩です」
その瞬間。
電話の向こうから、小さな声が漏れた。
『……嘘』
「……嘘じゃありません」
『……だって』
先輩の声が、震えた。
『……私、あなたに嫌われるようなことばかりしてきたのよ?』
「……知っています」
『……あなたの人生を、自分の思い通りにしようとしたのよ?』
「……それも、知っています」
『……だったら、どうして?』
俺は、少しだけ笑った。
「……好きになってしまったからです」
それ以上の理由なんて、必要なかった。
もちろん、先輩のしたことを、すべて肯定するつもりはない。
これから、ちゃんと話し合わなければならないこともある。
けれど。
それでも、俺は先輩が好きだった。
優しくて。
真面目で。
誰よりも努力家で。
そして、少し不器用な人。
俺の夢を、誰よりも応援してくれた人。
そんな九条栞先輩が、好きだった。
「……九条先輩」
俺は、もう一度名前を呼んだ。
「……俺と、付き合ってください」
◇ ◇ ◇
『…………』
返事は、なかった。
長い沈黙。
俺は、スマートフォンを握りしめた。
心臓が、うるさいほど鳴っている。
小説の主人公なら、ここでどんな台詞を言うのだろう。
きっと、格好いい言葉を並べるのだろう。
けれど。
今の俺には、そんな余裕はなかった。
「……先輩?」
俺が呼びかけると。
『……ずるいわ』
電話の向こうから、震える声が聞こえた。
『……本当に、ずるい人ね』
「……え?」
『……私、もう諦めようと思っていたのに』
その声には、涙が混じっていた。
『……あなたの夢を、遠くから応援しようと思っていたのに』
「…………」
『……そんなこと、言われたら』
先輩は、言葉を詰まらせた。
『……また、好きになってしまうじゃない』
俺は、何も言えなかった。
ただ、電話の向こうの声を聞いていた。
すると。
『……桜庭くん』
「……はい」
『……少しだけ、待っていてくれる?』
「……え?」
『……今、行くから』
通話が切れた。
俺は、スマートフォンを見つめた。
「…………」
そして。
「……えええええ!?」
思わず声を上げた。
……来る!?
九条先輩が!?
今、ここに!?
「……やばい」
心臓が、さらに速くなる。
俺は、慌てて制服の襟を整えた。
髪を直す。
深呼吸する。
……落ち着け、俺。
落ち着くんだ。
しかし、そんな努力も虚しく。
マンションの入口が、開いた。
「……桜庭くん!」
聞き慣れた声が、響いた。
俺は、顔を上げた。
そこには、九条栞先輩が立っていた。
長い黒髪。
少し乱れた服装。
そして、涙で赤くなった瞳。
いつもの完璧な生徒会長とは、少し違っていた。
けれど。
俺には、誰よりも綺麗に見えた。
「……九条先輩」
俺が名前を呼ぶと、先輩はゆっくりと近づいてきた。
そして。
「……本当に、私でいいの?」
震える声で尋ねた。
「……はい」
俺は、迷わず答えた。
「……九条先輩がいいんです」
先輩の瞳から、涙がこぼれた。
「……私、完璧じゃないのよ?」
「……知っています」
「……嫉妬深いし、負けず嫌いだし」
「……それも、知っています」
「……あなたの小説に、また口を出してしまうかもしれないわ」
俺は、少しだけ笑った。
「……そのときは、ちゃんと話し合いましょう」
「…………」
「……俺も、先輩の気持ちをちゃんと聞きます」
先輩は、しばらく俺を見つめていた。
そして。
「……桜庭くん」
「……はい」
「……私も、あなたが好きです」
その言葉が、静かに響いた。
「……ずっと、好きでした」
先輩は、涙を拭いながら微笑んだ。
「……あなたの小説も」
「……あなたの夢も」
「……そして、あなた自身も」
俺は、胸がいっぱいになった。
ずっと探していた読者。
ずっと支えてくれた先輩。
その人が、今、目の前にいる。
そして。
俺の気持ちに、応えてくれている。
「……ありがとうございます」
俺は、心からそう言った。
先輩は、小さく首を振った。
「……こちらこそ」
そして、少しだけ照れくさそうに笑った。
「……これからは、私にもあなたの知らない部分を教えてちょうだい」
「……はい」
「……私も、ちゃんと自分の気持ちを伝えるわ」
俺は、頷いた。
きっと、これからも意見がぶつかることはあるだろう。
俺の小説の展開をめぐって、喧嘩することだってあるかもしれない。
けれど。
それでも、いいと思えた。
俺たちは、小説の登場人物ではない。
誰かが決めた結末を、演じる必要なんてないのだから。
だから。
俺は、もう一度、先輩を見つめた。
「……九条先輩」
「……何かしら?」
俺は、少しだけ照れながら笑った。
「……これからも、俺の隣にいてください」
先輩は、目を細めた。
そして、今までで一番優しい笑顔を浮かべた。
「……ええ」
夕焼けが、二人を照らしていた。
相合傘から始まった、奇妙な出会い。
小説の展開をなぞるように進んだ日々。
けれど。
今、この瞬間だけは。
誰かが用意した展開ではなかった。
俺が、自分の意志で選んだ未来だった。
そして。
九条栞先輩もまた、自分の意志で答えてくれた。
だから、俺は思う。
人生は、小説のようにはいかない。
予想外の出来事ばかりだ。
それでも。
自分の言葉で想いを伝えれば、物語は新しく始められる。
俺は、九条先輩をまっすぐに見つめた。
そして、もう一度、はっきりと告げた。
「……九条栞先輩。俺は、あなたが大好きです」
その言葉に、先輩は涙を浮かべながら微笑んだ。
「……私もよ、桜庭悠馬くん」
こうして。
俺が書いたラブコメとは、少し違う結末が訪れた。
けれど。
これこそが、俺たち自身の物語なのだ。
――第一章・完――




