第2話 職場(予定)訪問
そんなこんなでリジーは翌日には都市メルキルエトに降り立つこととなった。物心ついてから十数年、学術都市エルオーンしか知らないリジーにとっては見るもの全てが新鮮である。
所狭しと建てられた美しいレンガ造りの建物。整然と敷き詰められた石畳と、その上を行く人、人、人。古びた学び舎や研究所ばかりの辛気臭い都市エルオーンとは全く違う、都会の雰囲気。
「おおー」
「感動している時間はないですよ。もうすぐ約束の時間です。ほら荷物を持って。きりきり歩く」
リジーは小言の主を仰ぎ見た。余所行きのコートに身を包んだワイズワードはしきりに懐中時計を気にしていた。
ちなみにリジーもきっちり余所行きの服装だ。おろしたての白いシャツに膝を隠す長さのプリーツスカート。ローブの胸元には金の刺繍で校章が入っている。ヴェルム・レウル式の正装だ。アッシュゴールドの髪を三つ編みにまとめるリボンだって、リジーの一番お気に入りのものである。
「というか、私の面談ですよね。なんで学長も来てるんですか」
「貴方、エルオーンを出るのは初めてでしょう。心配してるんですよ。それに、貴方に面談を望んだ方と私は旧知の仲でして」
いざとなれば土下座をしてでもリジーを雇ってもらいますから、とワイズワードは至極悪そうに笑った。土下座という選択肢がかなり上位にはいっている辺りにワイズワードの苦労が伺い知れた。
リジーとしては就職先なんて本当にどうでもいいのだが。逆を言えば、ワイズワードの強い執念を無下にするほどの意思もない。
さぁさぁ行きますよと忙しなくワイズワードが促す。学長って大変なんだなーと他人事のように思いながら、人で賑わう大通りを行くワイズワードの背を追った。
「今向かっている聖篝火教会とは、ここメルキルエトで最も大きい教会のことです。貴方と面談したいと言っているのは、そこの祭司長。まぁ、一番偉い人と思っていれば間違いはないでしょう」
「聖篝火教会ってテレジア教の教会ですよね。人を愛する女神テレジアを信奉しているっていう。私、信徒じゃないんですけど、いいんですか?」
「いいんですよ、たぶん。祭司長が言ってるんですから」
一秒でも時間が惜しいのか、ワイズワードは歩きながらリジーに語った。勉強に多くの時間を費やしてきたリジーはあまり世間のことを知らない。学長として、ヴェルム・レウルのカリキュラムが非常にタイトである自覚を持っているが故の配慮である。
「紋章魔術士が教会で何をするんですか?」
「転移や魔物避け、治癒の紋章魔術は教会の管轄ですね。開発、付紋、布教辺りが主な仕事ではないでしょうか。テレジア教は国教ですから、きっと大きな仕事ができますよ」
「へぇー」
何とも気の無い返事がリジーの喉から出て行った。大きな仕事なんて別にリジーは求めていない。いや、正確に言えば、リジーは未だに仕事に対して具体的なヴィジョンを持っていない。
自分は何がしたいのか。……気の向くままに紋章魔術を勉強し、のんびりとしたいように生きていきたいだけだ。
生きていくには金が要る。だから働く。それ以上の意味が見いだせないまま、リジーはなんとなくふわふわした足取りでワイズワードについていく。
■ □ ■
「ここが聖篝火教会です」
連れられた先は立派な教会であった。
まず目に入るのは中央に据え付けられた大きなバラ窓。そして教会全体に施された美しい幾何学模様だ。
「この模様……魔物避けの紋章魔術ですか?」
「良く学んでいますね。その通りです。テレジア教の威信がかかった、本気の紋章魔術ですよ」
知識として知ってはいたが、建物の全面を埋め尽くす大きさの紋章魔術を見るのはリジーはこれが初めてだった。機能性は言わずもがな、装飾としても優れたこの紋章魔術は、とても一朝一夕でできる仕事ではない。
「すごい」
「でしょうとも。聖篝火教会所属ともなれば、貴方もこの規模の紋章魔術を扱うことができる、……かもしれませんよ」
リジーをその気にさせるために言った言葉だろうが、やっぱりリジーにはあまり響かなかった。すごいと言ったのは嘘じゃない。が、自分がこれを開発したり付紋したりしたいかと言うと……分からない。
「あ。見てください学長。あのランタン、魔術式ですよ。旧型の回転起動紋章だ。直接光の魔術を使うんじゃなくて、ちゃんと火を灯すやつです。すごい、旧型なのに火力が――」
「おっといけない。眺めるのは後にしましょうね。どうせ後で沢山見れるようになるんですから」
ワイズワードに腕を引かれてリジーは歩き出す。目線をランタンに――火の紋章魔術に向けたまま。
巨大な紋章魔術より、優美な紋章魔術より。やっぱりこういうのの方が自分に向いている、とリジーは思う。
広大な敷地を暫し引き摺られつつ、リジーは教会入口に辿り着いた。ワイズワードが重厚な扉をノックすると、直ぐに扉が開かれる。その先には一人の女性が立っている。
「ごきげんよう、ワイズワード学長。そして始めまして、リジー・アウルム。私はフルクエ。ここ聖篝火教会の祭司長をしている」
二人を迎え入れたのは、シンプルな黒の祭服を纏った女性――フルクエであった。長い銀の髪と色素の薄い肌。強く、美しく、どこか冷たい雰囲気は白金に似ている。胸元では祭司長の階級を示す首飾りが差し込んだ陽光を受けて輝いていた。
すごく偉い人だ。リジーは直感した。だが物怖じするタイプではなかったので、フルクエの差し出した手にほぼノータイムで応じることができた。
「始めまして。リジーです。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく。朝早くからの訪問感謝する」
「お久しぶりです、フルクエさん。まさか祭司長自らお出迎えしていただけるとは」
「呼びつけてしまったんだ、出迎えくらいしなくてはな。それに、……早く会ってみたかったんだ。噂の天才に」
さぁ中へ、とフルクエは教会の奥へと歩き出した。その背を追いながら、リジーはヒソヒソ声でワイズワードに話しかけた。
「学長。私、天才ですって」
「ブイサインを下げなさい。……さては貴方、結構喜んでますね?」
「褒められたら誰だって嬉しいじゃないですか」
「異論はないですが、ブイサインを下げなさい。左手にしろって意味じゃありません」
とても小さい声だったが、朝の教会はそれ以上に静かだ。二人の声は思った以上に響いていたのだが、幸いにしてこの細やかな攻防を聞いていたのはフルクエ、そして女神テレジア像だけであった。




