第1話 就活、失敗
「どうしてここに呼び出されているのか、理解していますか? リジー」
王国内屈指の紋章魔術の学び舎ヴェルム・レウル。敷地内で最も高く聳える石造りの塔の最上階――学長室に、一人の女子生徒が呼び出されていた。
リジー・アウルム十六歳。紋章魔術の名門ヴェルム・レウルの卒業生の一人。輝かしい未来を約束された新星として明日この学び舎を巣立つ――と、誰もが思っていたのだが。
「どこにも就職できなかったからですか?」
早々に路頭に迷っていた。
同期の中でも圧倒的最速であった。
「……そうですね」
あっけらかんと言い放ったリジーを前にして学長ワイズワードは頭を抱えた。若くして学長の座に就いた彼の、唯一と言ってもいい挫折。それが今この瞬間だ。
歴史ある紋章魔術の権威であるヴェルム・レウル。その卒業生のリジーが、何故どこにも就職していない?
「これは与太話、だったら良いなと思っているんですがね。風の噂では国家紋章魔術士の採用試験で大きな火柱を上げた生徒がいる、と」
「上げました」
「筆記試験で?」
「筆記試験で」
なんでだよ、と叫びだしそうなところをワイズワードは寸前で堪えた。学長たるもの、生徒の一挙手一投足の心乱されてはならないのだ。長い学長生活にて彼は高水準のアンガーマネジメントを身につけている。
「紋章魔術研究機構も宮廷魔術師も落ちてますよね」
「落ちてますね」
「何をしたんですか」
「何も。普通に頑張りましたけど」
「……明日からどうするか、考えているんですか?」
「もちろんです。ご心配には及びません」
あくまでリジーは冷静だった。背筋を伸ばし凛と立つ姿はまさに優等生そのもの。自信に満ちたその様子を見てワイズワードは目を眇める。納得できる答えを聞かせてみろ、という圧力である。
言ってみなさい、とワイズワードが促した。刃物のように冷ややかな言葉にたじろぐことなく、リジーは堂々と答えた。
「炭焼きです」
「炭焼き?」
「ご存知ないですか? 焼くんです、木を。長い時間をかけて。炉で、こう」
「黙ってください。黙って。お願い」
炭焼きを知らないわけじゃない。荒げそうな声を必死に落ち着けながら、ワイズワードは呼吸を整えた。こういうときは六秒間ほど呼吸に集中するといいのだ。一、二、三、
「私、世界一の炭焼き職人になります」
「黙ってって言ってるでしょうが!」
ワイズワード四十六歳。痛恨の敗北である。
「名門ヴェルム・レウル卒業生の進路一覧の中に炭焼き職人を混ぜるつもりですか!? 広報に国家紋章魔術士、紋章魔術研究機構、宮廷魔術師、炭焼きって書かないといけないんですか私は!?」
「炭焼き職人を軽く扱わないでください」
「軽んじているんじゃありません! ヴェルム・レウルに入りたい人は炭焼き職人を目指さないし、炭焼き職人を目指したい人はヴェルム・レウルに興味が無いんですよ!」
ばしょーんと机上の書類が飛んだ。ワイズワードが思い切り手を叩きつけたためだ。じんわりと響く手の痛みが辛うじてワイズワードを冷静の側に引き戻す。
紋章魔術。
何もない空間に火を生み出し、人体の損傷を直ちに修復する。そんな奇跡とも言うべき魔法――の模倣。
魔法は極一握りの才ある人間にしか使えない。しかし紋章魔術が付与された魔導具であれば、万人が魔法に似た力を行使することが可能となる。
紋章魔術とは、遍く人々に魔法の力を再現させる、唯一無二にして必要不可欠な技術なのだ。
ただし。創ると使うの間には、大きな隔たりが存在する。
複雑な魔術文字を幾重にも組み合わせ、目的に合った材料や染料を的確に選び出し、付与する。新たな紋章魔術を創るというのは、非常に高度な教育と才能によってのみ成せる所業だ。
紋章魔術の最たる学び舎ヴェルム・レウルの卒業生とは、紋章魔術士の金の卵。当然、リジーの細い双肩にだってこの国の未来と発展がかかっているのである。
というのに。
「よく聞きなさい、リジー。貴方は比類ない才能と知識を持っている。それをただ炭を焼くことに使うというのは、国レベルの損失なんです」
「ですが、実際に就職に失敗してしまったわけで」
「……貴方、まだ例の癖が直せていないんでしょう。その癖さえなければ本来引く手あまたの人材のはず――」
その時、学長室にノックの音が響いた。リジーとのやりとりに若干の疲弊を感じつつあったワイズワードは、これ幸いとノックの主を迎え入れた。
扉を開けたのはヴェルム・レウルの教師の一人だ。彼は何故か床中に散らばっている書類の束に驚きながらも、言った。
「伝書が届いています。リジーと面談がしたいと」
「……どこのものです?」
「都市メルキルエトの聖篝火教会です」
「今すぐ承諾の返事をしなさい」
この機を逃したら後がない。そんな確信めいた予感がワイズワードにはあった。
「リジー。いいですか。絶対に、何があろうとも、この面談で就職先を決定しなさい」
「えー」
「えーじゃありません。見たいですか? 学長の本気の土下座が」
大人の迫真の土下座が見たいかと言われれば、……もちろん見たいが、一応リジーにも慈悲はある。
渋々了承したリジーは、ワイズワードに追い立てられるような形で学長室を後にした。聖篝火教会とやらは都市メルキルエトにあるらしい。急ぎ出立の準備をしなければならない。
散らかり放題の学長室に一人残ったワイズワードは、独りごちる。
「あの異常なこだわりさえ無ければ、本当に優秀な生徒なんですけどね……」
リジー・アウルム十六歳。紋章魔術の名門ヴェルム・レウルの卒業生の一人。
火の魔術一筋で学生生活を駆け抜けた、真の天才にして真の奇人である。




