第42話 雷鳴
翌日、魔術会館に入ると、一斉に魔術師たちが藍とGrailに群がった
いつもは軽い挨拶だけをして通り過ぎていくというのに。
「ヴェクターさん、あの地図はなんなんですか!?」
「シーナさんの魔法は物を飛ばせるって本当!?」
「あなたたち、なんで見習いなの!?」
「公認魔術師の指輪を早く貰いなさい!!」
耳が痛くなるほどだった。
Grailに助けを求めて指先を握ると、手を取られて駆け出した。
魔術会館の持つ中庭へ行き、茂みに隠れる。
あっちに行ったぞとか、こっちじゃないかとか、人々が藍とGrailを探していた。
「……すごいことになっちゃった……」
「伊能忠敬のように歩いて測量を行っている人々からすれば、航空レーザー測量は少し行き過ぎだったようですね」
「あ、あはは……あんなに広い範囲で取れると思わなかった」
「大成功でしたね。おめでとうございます」
「他人事みたいに言っちゃって」
文句を言ってやろうと思ってGrailを見上げると、同時にGrailも藍を見下ろし、鼻同士がつんとぶつかった。
藍ははっと下を向いた。
「ご、ごめんね」
「いや、僕こそ不要な接触をしたね。ごめんね」
何故か気まずい空気が流れる。
いや、Grailは何も感じていないだろうが、藍は少なくともどうしたら良いか分からなかった。
「椎名さん」
「は、はひ」
「またベールマスクを着けた方がいいかもしれませんね」
「確かに……。この顔も目立つ要因ですもんね……」
二人は人並みが去ったことを確認すると、どちらともなく立ち上がり、研究室へと戻った。
ヴィヴィアナとやらなくてはいけないという仕事をしたり、見習いらしく掃除をしたり、花を飾ったり。
藍はなんでもない顔をして本を虫干しするGrailを観察した。
(私の顔もそうだけど、Grailの顔も尋常じゃない綺麗さだから……マスクした方が良いんじゃないかなぁ)
などと思っていると、Grailとふと目が合う。
Grailは藍に微笑み、藍ははっとすると目を逸らした。
その日、アルベルトは研究室には来なかった。
いや、ヘルマンと出ていってから、何日も何日も、アルベルトは来なかった。
◇
それから数日。
ぽつぽつと雨が降り出すと、藍とヴィヴィアナは窓を閉めた。
Grailは一心不乱に大量の本を読んでいる。
「今日もアルは来ないんでしょうかねぇ」
「全く室長なのに何やってんだかね」
ヴィヴィアナがミニキッチンへ向かう。
その時、研究室の扉が、珍しく乱暴に開いた。
「何?」
たくさんの人が流れ込み、空気が一気に変わる。
先頭に立っていたのは、見慣れない魔術師たちだった。
そして、その少し後ろに——アルベルトがいた。
彼は、苦しそうな顔をしていた。
「アル、お帰りなさい。この人たちは?」
「……ごめん」
藍はよく分からず、首を傾げた。
いつの間にか隣にGrailがいて、どこか険しい顔をしている。
「アイ、グレイル。君たちは、この魔術会館を出なくちゃいけない」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「……え?」
藍の声は、かすれていた。
前へ出た男が、巻物を広げる。
肩書きと権限が、嫌になるほど明確な声だった。
「先日の地図作成は、魔術省上部の目に留まった。貴君らには——国境全域、および首都アルサニア周辺の地図化を命じる。当ルビオン魔術会館からは、本日除名となった」
藍は思わず一歩、後ろへ下がった。
「以降はエル・レシア神政国直轄地である、聖典領ルメルディー、アルサニア魔術会館所属とする」
巻物をたたみ、男が藍へ向ける。
「……私、ここにいたいです」
巻物を受け取りもせずに、言葉が出てしまった。
「この研究室で、見習いとして……」
横で、Grailが息を吸う。
すぐに言葉を選び始めているのが、藍には分かった。
「我々は、ルビオン魔術会館、アルベルト・グランハルト持ちの研究室に所属するために魔術会館の門を叩きました。本来は神官であり、聖女と呼ばれる身でありながらもそうしたのは、当研究室の研究に——」
「できない」
遮る声。
「アルベルト・グランハルト、および当研究室は、現在ルビオン魔術会館の職務を負っている。個人を留め置く裁量はない」
一切の意思の介在を許さないという冷たさ。
藍は、助けを求めるようにアルベルトを見た。
アルベルトは、一瞬だけ目を伏せ——それから、藍の手を取った。
「大丈夫」
強くもなく、弱くもなく。
「ここは、いつでも残っているよ。行っておいで」
首を振りたかった。
言葉にしたかった。
でも、できなかった。
ここがどれほど居心地が良かったか。
ここにどんな未来を見てしまったか。
ヴィヴィアナが、思わず声を上げる。
「……せ、せめて私が行きます!」
「その必要はない」
答えたのは、ヘルマンだった。
「ここからは、俺が連れていく。ルビオン魔術会館の上級公認魔術師として、同行を命じられている」
既にレールは敷かれている。覆せない種類の決定だと言うのが否応なしに伝わってくる。
アルベルトは、深く、深く頭を下げた。
「……お願いします。二人を」
「……あぁ」
ヘルマンの答えを聞くと、アルベルトは藍を抱きしめた。
強くはない。軽い抱擁だった。
「体だけは、大切に」
「……あなたも」
「俺は大丈夫。一人で生きていける男だからね」
小さく笑ってから続けた。
「——グレイルと、喧嘩しないように」
藍は、何も言えなかった。
ヴィヴィアナが慌てて道具鞄を漁り、杖ペンを取り出す。
「アイ、持っていって」
「で、でも——」
「いいから! お守りだと思って!」
押し付けられるように手に渡され、藍は礼を言う間もなく、背を押された。
「行こう」
ヘルマンの低い声が体の芯に響く。
そのまま人の波に呑まれ、振り返ることすらできずに藍は部屋を出た。
扉が閉まる。
静寂。
次の瞬間——
「……なんで行かせたのよ!!」
ヴィヴィアナの震える声が静寂を破った。
「見習い魔術師は受け持ってる公認魔術師が頷かない限りそばから離れないでいられるはずなのに!!」
アルベルトの瞳がぞろりと動き、ヴィヴィアナを捉える。
「そんな規則すら、突破する連中があの二人を呼んだんだ」
アルベルトの声は、どこまでも低かった。
「俺に、何ができる」
一瞬、ヴィヴィアナは言葉を失った。
雨が窓を叩く音が異様に大きく感じた。
アルベルトはアイとグレイルのために迎え入れたばかりの机を眺めると、飾られている花を取った。
物を欲しがらなかったアイが大切にした習慣。
「——……さぁ、働きましょう」
それはいつもの声だった。
「私たちにも、やることはたくさんあります。手紙は来るでしょうし、落ち込んでも仕方ないです」
ヴィヴィアナが静かに頷く。
アルベルトは春の終わりの嵐へ視線をやった。
「……グレイル」
小さく、祈るように。
「アイを、泣かせないでくれ……」




