毒薬 ①
【悪魔も聖書を引用できる——】
衝撃のラスト!
あなたはきっと騙される!!
拓海は夜の歓楽街を抜け、人影の少ない裏路地へと足を踏み入れた。
街灯のない裏路地はとても薄暗く、どことなく不穏な空気が漂っている。やがて目的の雑居ビルにたどり着く。七、八階建てほどのコンクリート打ちっ放しのビルで、壁に描かれたグラフィックアート風の落書きが人目を引く。
道路に面した鉄製のドアをくぐると、地階へと続く下り階段が現れる。階段の壁にも落書きが目立つ。階段を降りきると、サビの浮いた黒いスチール製の扉が立ちはだかる。分厚い扉の向こうからは、重低音の振動がかすかに伝わってくる。
拓海は扉の前で目を閉じ、握った拳で自分の太ももをトン、トン、トンと三度叩く。大事な場面に臨む前の自己流の儀式だ。舞台の本番前にも行っている。
目を開けてスチール製の扉を開けた瞬間、ハードメタルの爆音が鼓膜を震わせた。いつも通りの騒々しさに閉口する。だが、ここは盗み聞きされる心配もなく、密会にはうってつけの場所だった。
入ってすぐに、煙草の匂いが鼻をつく。さらに充満する白い煙のせいで、店内は靄がかかったように霞んでいる。これにも閉口するが、これから会う相手が愛煙家とあっては我慢するしかなかった。
薄暗い店内はかなりの広さで、左側にはL字型の長いカウンター席が伸び、中央の開けたスペースにはいくつもの丸テーブルが間隔を空けてゆったりと配置されている。まだ時間が早いせいか、客の入りは三分の一ほどだ。黒いTシャツを着た店員たちは、やる気のない表情を浮かべて壁際に立っている。だが、なぜかその無愛想さが、この店の雰囲気にしっくり馴染んでいた。
拓海は中央の席へ向かう。約束の時間よりも早めに来たというのに、相手の男はいつも通り先に席に着いていた。煙草を吸いながらスマホに視線を落としている。横柄な態度には毎度うんざりしていたが、時間をきっちり守る点は評価できた。年齢は拓海より二つ上で、油断ならない雰囲気をまとった目つきの鋭い男だ。
拓海に気づくと、相手は小さくうなずき、すぐにスマホに視線を戻した。拓海は男の向かいに腰を下ろし、やる気のなさそうな店員を呼びつけてバドワイザーを注文した。注文したものがテーブルに置かれると、拓海はグラスを手に取った。
スマホを見ながら佐藤が口を開く。
「……二十六歳の数学教師が、十五歳の少女に金を渡して淫らな行為をして逮捕だとよ。こんなの別によ、女は金をもらってんだから、お互いウィンウィンなわけじゃねえか。まあ、未成年は正しい判断ができないから全面的に大人が悪いっていう話なんだろうが、自分らが十代のころを思い出してみろよ。善悪の判断くらいできてたはずだろ? だから、男を逮捕するなら、十代のガキも売春容疑でいっしょに逮捕すべきだと思うね。それでこそ男女平等ってもんだろうが。性犯罪が男側に不利に働くのも、結局は男女差別じゃないかっておれは思うけどな」
拓海はいつもの御託をビールを飲みながら聞き流す。
佐藤はどこか悦に入った様子で口を動かし続ける。
「教師のほうは実名さらされちゃってるから人生アウトだよな。でも女のほうはノーダメージなわけだ。やっぱり不公平だろ? 男女平等を謳うなら、女にも何らかのペナルティを課すべきだよな。とりあえず、受け取った金くらいは男に返すのが筋だろ。て言うか、そもそもこんなことで警察が動いてるのがおかしいよな。買春した教師なんてほっといて、もっとやばいやつらを逮捕しろよってんだよな」
一通り持論を語り終え、佐藤はすっきりしたようだ。ギネスビールをぐいっとあおると、彼はようやく本題に入った。
「で、どんな感じだ?」
「かなり親密になってきましたよ」
「ほう。そうか」
佐藤は満足げな笑みを浮かべた。
「念のため確認するが、その親密ってのは、男女の関係になったって解釈でいいんだな?」
「ええ、その解釈で間違いありません」
「さすがだな」
佐藤の褒め言葉に、拓海は少しだけ気を良くした。
「あの女、感度よすぎるだろ」
拓海は相手の発言に閉口した。そういう下世話な話は好きではない。返事をせずに苦笑するだけに留めた。
佐藤は昔を懐かしむような調子で続ける。
「あの女、マジでいい身体だったな……。とくにあのくびれが……」
拓海の脳裏に、麗子の裸体が浮かんだ。裸で背を向けて眠る彼女の背中はとても美しかった。流麗な背骨のラインは、まるで芸術作品のようだった。しかし、今ここでそんなことを口にしたなら、佐藤は調子づいて下世話な話に終始するに違いない。
拓海は話題を変えるため、店内を見渡しながら言った。
「いつも思うんですけど、ここってガラの悪い連中が多いですよね。わざわざ、こんな店で会わなくても」
「念には念をってやつだ。もし、二人で会ってるところをあの女かその知り合いにでも見られたら、おれらの企みはパーだ。それに、ここみたいな地下の寂れたバーってのがまた、秘密の会合にぴったりじゃねえか」
「人目につかなければ、どこだって同じですよ」
「ならこの店は、うってつけじゃねえか。こんな汚ねえ店、まともなやつは好んで来ないだろ?」
確かにその通りだ。この店は普通の人間が気軽に足を踏み入れるような場所ではなかった。まわりを見渡せば、顔中をタトゥーやピアスで埋め尽くされた怪しげな客ばかりが目につく。全員が一癖も二癖もありそうな雰囲気で、違法ドラッグに手を出していてもおかしくない。良識など持ち合わせていない連中に常識は通用しない。余計なトラブルを避けるために、拓海は彼らと決して目を合わせないよう注意していた。
ところが、佐藤はこんな場所でも平然としていた。まるで自分のホームグラウンドであるかのように、ごく自然と溶け込んでいる。それは、彼自身がここに集まる連中と同種の人間だからかもしれない。そんな男と運命をともにして、本当にだいじょうぶなのだろうか——。拓海の胸に一抹の不安がよぎる。
「今の状況を詳しく教えてくれ」
佐藤にそう促され、拓海は近況を語って聞かせた。
写真展で偶然を装い接触し、自然な流れで自分の舞台に誘うことができたところまでは、前回会ったときに佐藤に伝えていた。その後、舞台を見に来た麗子を二次会に誘い、次に会う約束を取りつけた。一週間後、イタリアンレストランで食事をしたあとバーを訪れ、そこで交際を申し込んで了承を得た。ここまでの展開は驚くほどスムーズだった。このまま誠実な男を演じ続ければ、結婚の承諾を得るのも時間の問題だろうと踏んでいた。
「計画通りだな」
「ええ」
確かに、ここまでは順調だ。しかし、不安なのは結婚後のことだ。当然、好きでもない女と何十年もいっしょには暮らすつもりはない。偽りの結婚生活を続けるにせよ、どのくらいの期間耐えればいいのか目安がなければ到底我慢できない。だからこそ、今日こそは曖昧な点をはっきりさせる必要があった。
「佐藤さん、今日こそは大事な話を聞かせてもらいますよ」
今夜もはぐらかすようなら、この計画から手を引くと脅すつもりだった。
「大事な話ってのは?」
「結婚後のことですよ。佐藤さん、はっきり言いますが、ぼくは好きでもない女と何年も暮らす気はない。だから、結婚後にあの女をどうやって始末するのか、具体的な方法を教えてください。当然、直接手を下すなんていやですからね。仮に事故に見せかけて殺すとしても、ぼくにはできっこない。たとえ実行できたとしても、絶対にばれるに決まってる。だから、本当に警察に気づかれずに彼女を殺せる方法があるなら、今日ここで詳しく聞かせてください。お粗末な方法だったら、ぼくはきっぱりと手を引きますから」
拓海はあらかじめ用意しておいた言葉を一気に吐き出したが、少し感情的になりすぎたせいか、空気がいくぶん気まずくなった。
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