Track47「無邪気な笑み」
「あの……入ってもいいかしら?」
清澄な声音は透子さんのもの。僕達は顔を見合わせながら停戦の合図を交わし合った。
「はいはい、いいですよ~! すみません、今、彩斗が着替えてたんでー」
「あ?」
不機嫌そうに顔を顰めた彩斗さんが威嚇している。無論、二階堂さんの嫌がらせであることは僕にも分かった。透子さんは「あら、本当に入っても大丈夫?」と言いながら、ドアの隙間から顔を覗かせている。招き入れる二階堂さんに先程の面影はなく、彩斗さんもいつも通りで、数分前の出来事が夢のように思えた。
「そこでモモちゃんと隼君にも会ったから一緒に来たの。合わせって聞いてたんだけど来るのが遅かったかしら?」
「ちょっと、それだと私が遅刻したみたいじゃない」
「時間通りなのに」
「ご、ごめんなさい! そんなつもりはなかったのよ!」
文句を連ねるモモさんと隼さんに透子さんが慌てている。相変わらず怖そうな様相の隼さんは、目が合うと挨拶するわけもなく目を逸らした。なんとなく居心地の悪さを感じ、彩斗さんの背に隠れる。縋るようにパーカーの裾を掴むと、僕を振り仰ぐ彼がいた。
「どうした?」
「いえ……」
「彩斗さん! 見てください!」
否定を口にして、すぐさま考え直す。もう一度、唇を開いた時モモさんに遮られた。無邪気な笑みで鞄を漁った彼女が紙切れを取り出す。それを睨み付けるように眺めていれば、テスト用紙であることが分かった。
「全部八〇点以上なんです!」
「モモ、凄いな! どうやったんだ?」
「ふふん、透子さんが教えてくれたんです!」
「へぇ、透子さん凄いですね」
「いや、私はなにも……モモちゃんが頑張ったからよ。頭がいいから理解も早くて教えやすかったわ」
「透子さん、教え方がメチャクチャ上手いんですよ! 私、こんなに高い点数取ったの初めてなんです!」
「そうなのか。頑張ったな」
テスト用紙に落されていた視線がモモさんに注がれる。先程まで僕に向けられていた優しい眼差しを彼女が独り占めしていた。褒め言葉だけでも羨ましいのに、僕の胸裏など知らない彩斗さんは、当たり前のようにモモさんの頭を撫でている。勝ち誇ったように僕を見る彼女の眼が腹立たしい。頬肉を噛めば、口内が血の味で染まった。
「ぼ、僕にも! 僕にも勉強を教えてください!」
「え、えぇ、構わないわよ。私で力になれるなら」
「えー、透子さんは私のものだったのにぃ」
僕に対する当てつけなのだろう。わざとらしく透子さんに抱き付いた彼女は、見せつけるかのように僕を見た。透子さんはと言えば嬉しそうに笑っているし、彩斗さんの表情を伺うと、二人の仲の良さを微笑ましいとでも言いたげだった。
「……じゃあ、いいです。彩斗さんが教えてください! 大学行ってたんですよね!?」
「え、あ? んー、俺は教えるの向かないからな」
「僕、彩斗さんに教えて貰いたいです!」
「ちょっと! ずるいわよ! 彩斗さんを一人占めするつもりでしょ!?」
「モモさんは透子さんに教えてもらえばいいじゃないですか!」
「喧嘩するな!」
彩斗さんが、いつも通り僕達の喧嘩を制止する。鶴の一声に口を噤んだものの、僕達は睨み合うのをやめなかった。
「幸」
「はい」
「俺、教えるくらい頭良くないからさ、透子さんに教えて貰いな? 透子さん、いいですか?」
「ええ、喜んで。よろしくね、幸君」
「……はい、よろしくお願いします」
「……やっぱり彩斗君が教えた方が……」
「いえ、透子さんがお願いします」
「分かったわ」
揺るぎない声音に透子さんが頷く。少しばかり衝撃を受けた僕は、発散できない感情をパーカーを掴む右手に込めた。




