水が飲みたい鬼娘
早く仲間を集めて欲しい、切実に。
ひとしきり勝利の余韻を味わった私は、ふと、床に倒れるオーガの死体に、何かキラキラとしたものが纏わり付いているのを見つけた。
痛む体で起き上がり、近くでじっとオーガの体を見回す。
……むぅ。なんという筋肉の量。さすがは牙鬼、小鬼の天敵であり憧れの存在なだけある。
「って、そうじゃなくて」
ぶんぶんと頭を振って邪念を振り払う。
もう一度オーガの肉体を見回す。纏わり付いている光は淡い黄色で、ゆらゆらと火のように揺れていた。……いや、少しずつ薄くなってきている……?
「むぅ? お洒落さんなのかな」
うーん、さすがにそれはないか。
あっ……もしかしてオーガには、死んだ後にその死体を発光させることで勝者を讃える伝統でもあるのかもしれない。さすがは誇り高き鬼族の第二階級種族。鬼族の端くれたるゴブリンも見習わなきゃ。
でも、これだと食料にするのは気が引けるなぁ。生まれてから一度も食べ物を口にしていないから、空腹で倒れてしまう前に魔物を殺して食べようと思っていたんだけど、発光する食材はちょっと……。
と、そんな時、私のお腹がくぅ……と音を鳴らした。
うぅ……食べ物を意識したら、余計にお腹がすいてきたよぅ。
腹部を手でさすりながら、私は依然として光を纏ったままのオーガを見詰める。
……これ、食べちゃって良いよね? 徐々に光は収まってきているから、食べられる部位を切り分けているうちに消えちゃうと思うし。
「よし、食べよう!」
覚悟を決め、オーガの肉体に触れた――その時だった。
オーガの体に纏わり付いていた光が、接触した私の手ヘと急速に集束し始める。
「わっ、わわわっ!?」
驚いて反射的に手を引いたけれど、一度私の手を認識した光は、オーガの肉体を離れて私の手を追いかけてくる。
そして光はオーガの肉体から完全に離れ、全て私の手に纏わり付き――まるで吸収されるかのように、私の手の中に溶けていった。
「え、ええ? 何なの? オーガの魔法なの?」
まさか、呪い? そうか。オーガは殺された恨みを暴発させて、死後に私を呪ったんだ!
そう思ったけれど、どういうわけか、しばらく待っても私の体に不調はない。
……というより、むしろ、少し体が軽い?
「ん、んん?」
首を捻ってみるけれど、その身から光を失ったオーガは答えてくれない。
光に触れた時、なんだか温かいものを感じた。直感だけれど、呪いではないのかもしれない。実際、何か私の体に悪影響が起きたわけでもないし。
……害がないなら、別にいっか。
分からないなら、悩んでも仕方がない。
それよりも――。
「肉。そう、食料は私の前にあるっ!」
目の前の食事の方が大事だからね。
◆ ◆ ◆
皮は堅くて食べられないだろうし、切って中の肉を取り出したいけれど……刃物がない。
仕方ないので、オーガの指から生えた爪を使い、ガリガリと皮膚を削る。……でも、切れ味は最悪だ。堅いのは確かだけれど、あまり尖っていないから切断には向いていない。
けれど時間をかければ、なんとか穴を開け、広げて中の肉を抉り出すことに成功する。飛び散った血飛沫が目に入りそうで大変だったけれど、沸き立つ食欲でなんとか我慢した。
内臓を避けて、肉をほじくる。筋肉質なせいで堅いけれど、食べられないことはないだろう。……あ、でも噛み切るのは大変かも。
けれどそんなこと、空腹の私には関係ない。
「はむっ」
勢いよくオーガ肉を口の中へ放り込み――。
歯を立てた瞬間、生臭い臭いが鼻を突き抜けた。
「お、おぇえええええっ」
不味い。とてつもなく不味い! それも吐き気がするほどにめちゃくちゃ不味い!
……どうしてだろう。ゴブリンは雑食で、何でも食べられるはずなのに。
「ぺっ! ぐえええ。苦い。臭い。気持ち悪いっ! なにこれ、こんなの食べ物じゃない!」
水が欲しい。今すぐ口を漱ぎたい。このままにしておくと気が狂いそうだ。
けれど見渡す限り石の床、壁、天井。他には所々の苔くらいか。
でも、さすがに苔にかじりつくのは嫌だ。というかそもそも食べられない気がする。
「ぐぅうううう……」
耳を澄ませろ。全力で水音を探すのだ!
目を閉じて、私は体の全神経を両耳に注ぎ込む。
我慢だ。今は口の中の不快感を堪えろ。水を手に入れるまで無視し続けるのだ!
――カツコツ、カツコツ。どこか遠くに反響する足音。
――ギィン、ガギッ、ガギャンッ。通路を震撼する鉄同士の衝突。
そして――。
ちょろちょろ、と。
確かにその音は、私の鼓膜を叩いたのだ。
「――見つけたっ!」
叫ぶや否や、私は地面を蹴り出した。
代わり映えのない石壁の景色が勢いよく後ろに流れていく。オーガに肉薄した時と同じか、もしかしたらそれ以上の速度が出ているかもしれない。でも、私はただ一点、水音がしたその方角だけを睨むように見詰める。
そして、一分も経たないうちに、それは私の視界に飛び込んできた。
――池。
ひび割れた壁の隙間からこぼれ落ちる細い水流を受け止め、長い間溜め続けた、水場だ。
「みずぅぅうううっ!!」
絶叫を上げて、私は勢いよく池に顔を突っ込んだ。
そして、一心不乱に啜る。
口内を撫でる液体の感触が気持ち良い。冷たい温度が戦闘と疾駆で火照った体に染みて心地よい。
あぁ――これがまさに、『生き返った』という感覚なのかな。
「ふぅ……」
頭を上げて、水面から顔を離す。
まだ少しだけ口の中に苦いものは残っているけれど、大分マシになった。それに、足りていなかった水分も補給できたようだ。心なしか、頭もすっきりした気がする。
落ち着いたというか、やっと落ち着けたというか。
水場を見つけただけで随分と心情が変わるなぁ。物質的な肉体を持つ魔物は生きていく以上水が必要だから、それを補給できる場所があるっていう事実が心に余裕を作っているってことはなんとなく分かるけど……たぶん、それ以上に、環境の変化が嬉しいのかもしれない。
だって、今までずっと灰色の石材ばっかりだったし。
「はあぁぁ」
そんなことを考えていると、不意に溜息が零れた。
と同時に、疲労感がぐっと押し寄せてくる。
白き魔王との戦いから食料と水分を求めて歩き続け、オーガと戦い、そして水場へ全力疾走。これだけのことが重なれば、意識の外に追いやっていた疲労も相当なものだろう。
……でもそれ以上に、お腹がすいた。
でも、手元に食料はないし、オーガの所に戻って死体を食らうのも嫌だ。餓死するよりは我慢して食べた方が良いのだろうけど、本当に倒れる寸前まではあんな不味いもの食べたくない。
……とりあえず、水でお腹を満たそう。
そう考え、私は膝立ちの体勢で池を囲むちょうど良い高さの岩に手をつき、体重を掛ける。
と――水面に、見知らぬ少女の顔が映り込んだ。
「っ!」
誰――などと誰何しようとして、気付く。
水面のなかにいる、驚いた表情をしてじっと此方を見詰める少女は――決して見知らぬ存在などではない。
見開いた赤い目をぱちぱちさせると、水面の中の少女も同じ動作をする。手を振ってみても、寸分違わず振り替えしてくる。
背後に振り向いてみても、誰もいない。
もう一度水面を覗き込むと、やっぱりさっきと同じ顔が此方を見詰めていた。
…………。
認めがたいけれど、およそ小鬼のものに見えないこの顔は、私のものなのだ。
人間の少女のような――実物は見たことないけど、なぜか知識としては思い浮かべられる――目鼻立ちに、ゴブリンやオーガには生えないはずの髪が、銀色にキラキラしながら垂れている。そして、額にはなんと、上位鬼族の証たる二本の紅角が屹立していた。
「おぉお!」
目鼻立ちの美醜は良く分からないけど、この角はとってもカッコイイ。
だって、ゴブリンではどれだけ願っても手に入らない、憧れの『強者の象徴』なのだから!
……んぅ? でも、角が生えてくるのって、第三階級の鬼人からじゃなかったっけ……?
まさか、私――鬼人!?
牙鬼とか呑鬼とか諸々の第二階級種族を通り越して、すでにそこまで進化してたの!?
「むむむ、む?」
でも、いつの間に進化したんだろう?
というか、何がきっかけで進化したのやら。
思い当たる節は…………まさか、オーガ?
いや、それより前の――白き魔王との戦いだろうか。
……そっか。そうだよね。
魂だけとはいっても、相手は魔王なんだ。そんな奴と体の主導権を相争って、最後には勝利したのだから、ゴブリンから進化するには十分の経験だろう。
進化の理論なんて知らないけど、なんとなくそんなものだと分かる。魔物としての基礎知識が働いたのかな。
じっと水面に映る少女――つまり自分の顔を見詰めてみる。
うん。やっぱり角がカッコイイ。
でもこれで、ゴブリンじゃないことは確実だね。
……まぁそうでもなきゃ、オーガと一対一で戦って勝った意味が分からないか。
階級の高さが絶対普遍のルールってわけでもないけど、それでも強者を打ち倒すというのは非常に難しいことだ。普通、ゴブリンがオーガに勝利するためには、百倍近くの人数差で押しつぶすか、特殊な職業――騎士や魔法使い、僧侶など――を掻き集めて戦略的にハメ殺すしかない。まぁ戦術を考える脳なんてただのゴブリンには無いのだけれど。
……うん? なんで私は『普通』なんて分かるんだろう?
『普通』のゴブリンになんて、出会ったことないのに。
……これも生まれた時から持ち合わせた基礎知識、なのかな? うーん、それはなんか違う気がするんだよね。
「ま、考えても仕方ないか」
呟き、思考を切り替える。
まず、目下やらなきゃならないことから考えよう。
……いやまぁ、当たり前に食事なんだけど。
どうにかして食べられるものを探さないと。でも、今まで移動してきて、食べられそうなものはオーガ以外見当たらなかった。そのオーガもとても食べられたものではなかったし……。
と、考えていた時だった。
私が水場を死ぬ気で探していたように、他の生き物だってここを生命線にしていることは想像に難くない。だというのに、私はそのことを欠片も考えていなかったのだ。
警戒心を欠いた弱者は格好の獲物だと、オーガの襲撃を食らった時に勉強したはずなのに。
始めに耳に入ったのは、翼が空気を叩く重い音だった。
数秒遅れて天井を仰いだ私の体を襲ったのは、一撫でで矮躯を吹き飛ばす凶悪な風圧。
グォォォオオオオオオオオ――ッ!! と。ビリビリと迷宮を震わせる強者の咆哮が、ボケた私の脳を乱雑に掻き混ぜる。
「や、ばい」
濁った緑の鱗に包まれた体。爬虫類を思わせる四つん這いの巨体は、けれど本来腕であるはずのものが一対の翼に変容し、その威容を何倍にも偉大に見せる。口に生える牙も、石材を易々と抉る爪も、オーガの時はそれらが強者の象徴であったのに、これに至ってはちょっとしたアクセサリー程度でしかない。
竜族。
言わずと知れた、生物が本能的に畏怖する絶対強者の系譜に連なる者――。
「ワイ、バーン……」
◆ ◆ ◆
◆鬼人(固有名未設定)
年齢:0(生後数時間)
性別:女
階級:C
種族:鬼族・鬼人
職業:ファイター
恩恵:『???の祝福』……※情報開示権限レベルが不足しています。
『白き魔王の怨嗟』……白き魔王を喰らった際に魂に付着した呪い。(白属性適性Ⅲ 青属性適性Ⅲ / 狂気Ⅰ)
称号:『反逆者』……運命に抗う者に与えられる。(幸運Ⅱ 特殊技能『因果の打倒』獲得)
『英雄』……魔王を討伐した者に与えられる。(魔力上昇Ⅱ 筋力上昇Ⅰ 幸運Ⅰ 特殊技能『英雄謳歌』獲得)
『魂喰い』……魂を喰らった者に与えられる。(特殊技能『霊魂捕食』獲得)
技能:『???・下級』……※情報開示権限レベルが不足しています。
『???・下級』……※情報開示権限レベルが不足しています。
『???・下級』……※情報開示権限レベルが不足しています。
『???・下級』……※情報開示権限レベルが不足しています。
『因果の打倒』……不運操作の影響を受けない。不利な運命操作の影響を受けない。
『英雄謳歌』……強者特攻Ⅱ、悪性特攻Ⅱの補正をかける。
『霊魂捕食』……倒した敵の魂を喰らえる。
『怪力・並』……筋力上昇Ⅲの補正をかける。New!
武装:
特徴:背中まである銀髪。ぱっちりとした紅い瞳。額から二本の紅い角が生えている。身長148センチ。
やったね、食料がやってきたよ(どう考えてもこっちが食料)。
ちなみに、オーガがクソ不味くて食べられなかったのは、進化と、もう一つの原因のせいで味覚が変わってしまったからです。焼けば食べられないこともなかったのでしょうが、そもそもオーガ肉を焼いて食べるという知識が無いので捨ててしまいました。……まぁ焼いても美味しくないと思いますが。