吸血姫と白鬼娘
「うぎゃあ!? な、何をするんじゃ! 離れ……って、痛い! 凄く痛いのじゃ! え、なにこの魔力……もしかして『白』!? ぎやぁぁあああああ闇の眷族たる吸血鬼になんてもの浴びせるんじゃぁぁあああっ!!」
「可愛い可愛いよお人形さんみたいっ!」
「良いから離れるんじゃ! わらわ、このままだと目覚めて一分で昇天してしまう!」
「はぁはぁ……彼の知識に、確かこんな言葉があった気がするよ……『可愛いは正義』ってね!」
「こ、の……良いから離れるのじゃぁぁぁああああああああああ――ッ!!」
絶叫と共に少女から膨大な魔力が放出され、その圧力によって私は吹き飛ばされてしまう。
なんて重厚で苛烈な魔力なのだろう。ルシフェードの冷酷でありながら悪を浄化する清純さを持ったものとは違い、他者をその圧倒的な力で平伏させ、されど同格の者には互いに闘志を激しく燃え上がらせるような熱を宿している。
独裁的な支配者の力だけれど、その内に苛烈な戦闘意欲を秘めているような感じだ。それを感じ取れたのは、きっと、私の力が大分高まったおかげなのだろう。
しかし……それにしても、だ。
「はぁー、はぁー……」
肩で息をする彼女を見ていると……なんて言うんだろう。胸の奥で、こう、ぎゅっと締めつけられるような感覚がして……今まで感じたことのない熱が湧き上がってくるのだ。
彼女をいきなり抱き締めたのも、その不可思議で抗えない感情が爆発的に溢れてきたがゆえの行動。
その甘ったるい声も、華奢で小柄な体も、薔薇と血の香りも、この世の美を詰め込んだ容貌も、鮮血のような髪も、宝石の如き瞳も――そして、彼女の静かに、されど力強く燃える魂も。
全てが尊くて、決して何者にも犯されないよう守りたくなってしまう。
けれど同時に、私が彼女を滅茶苦茶にしたいとも思う。
その相反する感情は――一つだけ、ルシフェードの知識にあった。
正確には、他にも候補がいくつかあるけれど……直感的に一番当てはまると感じたのは、その一つだけ。
それは――。
可憐で魅力的な少女に感じる、『萌え』という罪深き衝動――!!
「ん、んん? なぜかは知らぬが、誤った道へ堕ちる純情な少女を止めねばならん気がしてきたぞ……?」
小首を傾げるその動作も、私の胸を熱くさせる。
初めて見た女の子だから……とか、魔王と別れてから久しぶりに会話を交わした人だから……とか、そんな理由ではないと思う。
彼女の魅力が抜きん出ていて、私を魅了するのに十分な可憐さを有していた。それだけの話。
容姿の美醜なんて今までの私には分からなかったけれど、進化の影響か、それともルシフェードの知識を受け継いだからか、目の前の少女が『美』の方向に振り切れていることは分かる。
この娘と、もっとお話ししたい。
そう思ったけれど、何を話せば良いのだろう? というか、話の切り出し方が分からない。
うーん……ルシフェードは結構勝手に話しかけてくれたから、楽だったんだけどなぁ。あ、もしかして彼が気を遣ってくれていたのかもしれない。
と、別れてから気付く彼の優しさに感動していると、空咳が私の鼓膜を打った。
「おほん。……お主が、わらわの封印を解いたのじゃな?」
少女の問いかけに、私は首を傾げながら、
「封印? それって、ドラゴンを斬り倒したこと?」
「それもじゃな。番人の撃破と、憎き『天幻』めが施した魔法を解呪すること。その両方の達成により、わらわの封印は解けたのじゃ。……というか、ドラゴンを斬ったのか……」
「思ったより柔らかかったよ。あ、一緒にドラゴン肉食べる?」
背中の鞄から肉を取り出して見せると、「寝起きに肉は重いのじゃ……」と断られてしまった。残念。まぁ、他人に振る舞うような料理の腕なんてないから良いんだけどね。
「まったく、調子が狂うのじゃ……」
溜息を吐く少女。疲れたのかな? それとも、寝起きだから体がだるいとか?
「とにかく! お主は勇者でもないようじゃから、見事わらわの封印を解いてくれた褒美として、何でも望むものをくれてやろう。さ、言うのじゃ」
「褒美……? うーん、別に欲しいものはないかなぁ……」
というか、ついさっきまで封印されていた少女が、何か他人に与えられるようなものを持っているようには思えない。ルシフェードみたいに彼女の武装が一緒に保管されていたとしても、さすがにそれをくれるとは考えにくいし……。
――あ、そうだ。
ぴんっと閃いた考えに、私は自然と笑みを浮かべながら、尊大な態度を取っているつもりなのかその小ぶりな胸を張って私の答えを待っている少女に、思い切って要望を口にした。
「私と――友達になってよ!」
「そうか良かろう、くれてやる――って、え? 友達?」
「うん、友達!」
だって、友達になれば、もっといっぱいお話したり遊んだりできるんでしょ?
ルシフェードの知識には『友達なんてものは買えないし付録に付いてこない、伝説の存在』ってあるけれど、同時に『何よりも尊く、失いたくなかった存在』ともあるから、きっと、とっても大切なものなのだろう。
そしてそれは、性別や種族に関係なく、仲良くなった者達がなるものだ。
波長が合ったから。共闘したから。認め合ったから。――理由は何だって良い。自分が大切だと、そしてより仲良くなりたいと思った相手がいるならば、友達になるべきだ。
「く、くくくっ……」
私は真剣に言ったつもりなのだけど、なぜだか少女には笑われてしまった。
おかしいこと、だったのかな?
そう思ったけれど、どうやら少女にとって私の言葉は異質だったようで、彼女はしばらく笑いに耽ったあと、僅かに体に魔力を奔らせながらこう言った。
「この『紅血の魔王』たるわらわと、友人になることを望むか……! 身の程知らずと言うべきか……いや、百年の眠りの内にわらわの名が忘れられてしまったのが原因じゃろうな。よい、小娘。わらわが吸血姫と恐れ崇められる力、お主に見せてくれようぞ――ッ!」
初動は、紅く塗られた床を砕くほどの踏み込み。
迸る魔力によって強化された両足が、少女の体を爆発的に加速させ――。
「あ、ちゃんと服着ないと色々見えちゃうよ?」
「え? ……ぁ、にぎゃぁぁぁあああああああああああああ――ッ!?」
私の言葉を受けて即座にブレーキを掛けた少女は、ダボダボの布が辛うじて肌を隠す程度の自分の姿を見下ろすと、奇声を上げて、己の体を隠しながらその場にしゃがみ込んでしまう。
ルシフェードの時もそうだったのだけれど、封印する時に魔法の効果が掛かった服を着ていると問題が発生するのか、何の効果もないただの布の服に着せ替えられているようだ。全裸じゃないだけマシ……なのかな?
彼女の今の服は、布を適当に縫い合わせただけの簡素なワンピースで、派手な動きをするとすぐに捲れ上がっていろいろなところが見えてしまう。現に先ほど少女が強く踏み込んだ時も、湧き上がる魔力によって瑞々しい白桃色の太股が顕わになっていた。いやぁ、眼福だなぁ。
「わ、わらわの服はどこじゃ!?」
「たぶん、近くに保管されてる……かも?」
まぁ彼女を封印した人が、ルシフェードを封印した人と同じような考えをしていて、武装を近くに保管しているとは限らないけど。
というか普通、処分するか戦利品として持ち帰ると思うんだけどなぁ。
と……どうやら私の考えは当たっていたようで、途中から私も手伝ったけれど、この部屋には彼女の武装はおろか代替になりそうなものさえ存在しなかった。あり得ないとは思っていたけれど、一応隣の部屋――ドラゴンの死体がある部屋――も探ってみたが、案の定見つかることはなかった。
「そんな……わらわのお気に入りが……」
体感時間で三時間の捜索の末、ついに自身の武装がここには無いことを悟った少女が、床に手をつき項垂れてしまう。
「三千世界の知識を集結し、天界の彼方の楽園や魔界の常闇の渓谷から極上の素材を集め、達人級の職人を総動員して、吸血姫たるわらわに最も似合うごすろりなるものを作ったというのに……」
さめざめと涙を流す少女に、私は掛ける言葉がなかった。
彼女がどれほど苦労してその服を手に入れたのか、その過程も苦悩も私には分からないし、容易に共感なんてするものじゃない。同情の言葉も、かけるべきじゃない。
……でも、友達になりたい人が落ち込んでいるのに、何もしてやれないなんて、嫌だ。
けれど……実際問題、私は彼女に対して何ができる?
服を渡すにも、生憎今着ているルシフェードの和服以外に服はないし、作ろうにも技術も素材も足りていない。
何もないから……言葉で励ますしかないんだ。
……ん? あれ?
というかそもそも、この場で装備を調える必要、無かったんじゃない?
「あの……貴女は魔王だったんだよね?」
「……、そうじゃが? 今は自分の服すらも失い、しかも一銭の財産も持たない憐れな吸血鬼じゃが」
い、いきなり卑屈になったな、この娘。
「だ、だったらさ。封印される前に拠点にしていた場所に行けば、装備も調えられるし、財産も補充できるんじゃ……?」
「――――っ!」
がばっ! と顔を上げる少女。その紅い瞳と目が合うと、彼女は少し恥ずかしそうに目を逸らしながら、
「そ……そうじゃった……なんでわらわはそんな初歩的な考えも忘れていたのじゃ……」
と呟き、それから何事もなかったかのように立ち上がる。顔が赤いままなので、誤魔化し切れていないけれど。
「おほん。……うむ、わらわもそのくらい分かっておったぞ」
嘘吐け。完全に忘れてたって言ってたじゃん。
「じゃが、外でどのくらい時が経ったのか、わらわは正確に把握し切れていなくてのう……じゃから、わらわの『城』が無事なのかどうか判断が付かなかったのじゃ」
「あれ? 百年の眠りとか言ってなかったっけ?」
私の指摘に、少女は「うぐっ」と言葉を詰まらせる。
それから三十秒くらい視線を空中に彷徨わせてから、また空咳を打って、
「か、勘じゃ! わらわは第六感も優れていてのう、寝起きの感覚から大体このくらいって予想は付いておったが、それでも正確なことが分かるまで迂闊なことは言えなかったのじゃよふははははっ!」
「へー……寝起きの感覚で分かるなんて、魔王って凄いんだね!」
ルシフェードもそうだったのかな?
「お主、それ、馬鹿にしておるのか……?」
「え、なんで?」
「天然って恐い……いや、何でもないぞ」
またまた空咳を打つ少女。癖なのかな?
「おほん。とにかく! わらわの城に行けば、わらわが集めた服や至宝がある。お主にも、わらわを封印から解き放った報酬をそこで与えようぞ」
「え? 報酬は友達になることだって――」
「ええい、うるさい! わらわに……魔王に友達など要らぬのじゃ! ……せ、せめて、お主が魔王種であれば考えてやらんでもないが……」
魔王種っていうのは、魔王になれる素質を持った高階級の魔物のこと……らしい。
今の私は第四階級の霊鬼だから、まだ魔王種と呼ばれるほどの力は有していない。だから彼女の希望には当てはまらない。
悔しい……けれど、彼女がそう宣言している以上、それを曲げるのは難しいだろう。
あー……早く進化したいなぁ。『白』の力を完全に解放してかつ完璧に制御するためにも、ルシフェードが果たせなかった夢を追うためにも、進化は必要だし……。
ああ――でも。
「……友達は報酬でなるようなものじゃないから、やっぱりいいや」
「え、ええ? 本当に良いのかえ? この偉大で美しいわらわの友人になるなぞ、王侯貴族にも果たせぬような快挙じゃぞ?」
「うん。友達はいつの間にかなっているものだって、彼の知識にあるしね」
「……? ならば、何を報酬に望むのじゃ?」
と言われても、そう簡単には思いつかない。
だって、報酬で友達になるのは違うって思っても、結局友達になりたいってこと以外に願いはないから。
あ……そうだ。
望むものが何もないなら、彼の夢を追うために必要なものをその報酬で貰おうかな。
「なら、知識を貸してよ。私、やらなきゃいけないことがあるの」
「ふむ……わらわの配下や城の書庫の知識があれば、大抵のことは答えられるじゃろう。よし。お主……何と言ったかのう?」
そういえば、自己紹介もしてなかったね。
自分で考えて、そしてルシフェードに認めて貰った名前を、私は誇りを込めて告げる。
「私は、ルシェ=ヴァイス。よろしくねっ」
「ヴァイス……? お主、まさか――」
「それで、貴女の名前は?」
こっちだけ名乗っておいて、そっちは答えないだなんて不公平だ。
まぁ、そんなことを言っても、結局私が彼女の名前を呼びたいって思っているだけなんだけど。
って、何か言いかけていたのを遮っちゃった?
気分を損ねてしまったのではないかと心配したけれど……彼女は少しの間だけ瞼を閉じた後、どこか力の籠もった目で私を見詰めながら名前を教えてくれた。
「わらわの名は、ディアナ。かつて『紅血の魔王』と恐れられた吸血姫、ディアナ=ブラッドフィールドじゃ」
その名を口にする時の彼女の表情は、これ以上無いほどに自信に溢れていて。
それが、カッコイイと思うと同時に、どうしようもなく可愛く思えて――。
「ディアナちゃん、とっても可愛いっ!」
「じゃから抱きつくなぁぁぁああああああああああああああああ――ッ!!」
衝動的に跳びついてしまっても、仕方ないと思うんだよね!
新たなスキルの習得がないのでステータスは表記しません。
ちなみにディアナの身長は百四十二センチで、ルシェより十四センチほど小さいです。