(1)これは、なぜこういう状況?
なんでこんなことになっているのだろう。
私は軽やかな音楽を聞きながら、冷や汗が出ていた。
昼下がりのマリエルの室内では、外から柔らかな日差しが降り注ぎ、チェルアが優雅にバイオリンを弾いている。
「はい、いいわよ。そのまま横に二歩進んで、大きく手を持ち上げてターン」
話しながら、マリエルが私の手を引っ張る動作に慌てて足を動かす。急いで指示どおりに回ろうとしても、長いドレスの裾が足に絡まって、いつものようには、すぐに体の向きを変えることができない。
「うわ、ま、待って……」
動揺のあまり、音楽のテンポよりも回るのが遅くなってしまった。
「大丈夫、最初はみんなそうよ」
焦る私に、向かいで手を繋いでいるマリエルが、にっこりと微笑みかける。なんてステキな笑顔なんだろう。優しく笑って、ステップが遅れた私をうまいこと導いてくれる。
「そのうち自然に動けるようになるから」
励ましてくれるのがわかる。だが、この言葉に今の私が返せるのは引きつった笑いだけだ。単純な動きなはずなのに、着ているのがドレスなせいか、微妙に難しい。その私に、背後から追い打ちをかけるように声が響いた。
「そうですとも。姫自ら教えてくださっていますのに、できないはずがありません。牢で手足を拘束されているのでもない限り!」
(ウィリル長官! それって、牢屋で手足を拘束されたくなければ、覚えろという脅迫にしか聞こえないんですけれど!?)
まさかとは思うが、この姫馬鹿だったらやりかねない。
思わず意図を確認したくて、後ろに視線をやった。首を向けてみても、その先で、ウィリルは平然としている。
なんでこんなことになったのだっけ?
必死でマリエルの動きに合わせながら、こうなった理由を思い出した。
そうだ――たしか、衣装が届いたからと、この部屋に呼ばれて……。
コンコンと部屋の扉を叩いたのは、つい一時間ほど前のことだった。休憩している私を、ミーティが騎士隊まで呼びに来たからだ。
「マリエル――姫様?」
部屋の持ち主の名前を、つい、扉のところでいつものように呼びそうになり、周囲にいる衛兵たちの存在に気がついて、慌てて敬称をつけた。
かちゃりとチェルアが開けてくれると、中ではマリエルが美しいドレスと一緒に立っているではないか。
「うわあ」
あまりにもステキなドレスに思わず声がこぼれた。柔らかな薄桃色のドレス。胸から胴にかけて、白銀の糸で繊細な花の刺繍が施され、袖とスカートには、ひだを重ねた絹がたっぷりと使われている。
「今度のお披露目式で着るドレスが届いたの?」
「ええ」
私が尋ねると、マリエルが嬉しそうに頷いた。
「そうかあ、もうすぐだものね」
明後日には、マリエルはこの離宮を出て、正式に王宮へと入る。その際に、各地の領主を招待して、お披露目のパーティーが行われるのだ。これは、王宮以外で育った王位継承者が、王宮に入る際に行われるレードリッシュの慣例らしい。
ウィリル曰く、過去には、父王との仲が悪くて、僻地に追いやられた王子や、後継者がおらず、縁戚にあたる者が王位を継いだ時に、レードリッシュに伝わる星形の王の紋章を身につけて王宮に入り、その正統性を周囲に示したらしい。
その日は、このレードリッシュの主要な貴族すべてが集められ、マリエルが次期女王として公式の場に初登場することとなる。
華やかなドレスを見ながら、私はその光景を想像するだけで、嬉しくなってきた。
いよいよマリエルが女王様になる。
「うん、このドレス、マリエルにすごく似合うと思う」
きっとこれを着たマリエルは、とても美しいだろう。若い新女王陛下をみんなへお披露目するのに、気品と華やかさがあってぴったりなドレスだ。
だから、微笑みながらそう言えば、マリエルは嬉しそうに私を見た。
「ありがとう。それでね、実はアンジィにも別なドレスを作ってもらったの」
「え? 私?」
聞いた言葉に、思わず固まってしまった。
すると、チェルアがうしろの箱から、もう一枚の藤色のドレスを取り出したではないか。
マリエルのほどではないが、胸に銀糸で細かな花の刺繍が施され、貴族たちの前にも出られるような美しいドレスだ。
「私が戴冠するまでは、側で護衛をしてもらう約束だったでしょう? とはいえ、せっかくのパーティーなのだから、アンジィにも楽しんでほしいし」
「え、でも私は騎士の任務があるから……」
ドレスを纏うのは難しいと慌てて断ろうとすると、マリエルがにっこりと続けた。
「私が貴族にダンスを申し込まれたら、側で護衛をすることができないでしょう? アンジィが女性なことは、まだ公表していないし。だから、顔を隠したら、私が踊っている時でも、すぐ側にいてもらうことができるかなと思って」
「えええ!」
それって、まさか私もパーティで踊るということ!?
「それは……私、社交界のダンスは知らないから、無理で……」
「あら、そうなの?」
しどろもどろに理由を話せば、きょとんとマリエルが瞬いている。よかった。これならば諦めてもらえそうだ。
「うん、だから」
ホッと息をついて、パーティーの席はいつもの騎士服でと言いかけた時、マリエルがにっこりと横を向いた。
「チェルア、ミーティ」
明るく呼ぶ声に合わせて、左右からがしっと腕を掴まれる。この手の持ち方、覚えがある。だけど、今指示をしているのは、マリエルだ。
「はーい、姫様!」
その声で、左右から羽交い締めにされて、素早くコルセットと簡易なドレスを身につけさせられてしまった。
「いたたたたたっ!」
自分ながら過去に覚えのある絶叫が響き渡る。
そして、現在にいたるわけだが、唐突に始まったダンスの特訓に、いまだに展開についていけない。
「大丈夫。ダンスだって、令嬢たちみんながする運動だと思えば、騎士のアンジィにできないはずがないわ」
「いや、でも……騎士の稽古では、こんなふうにコルセットをつけては動かないし」
正直に言えば、かなり動きが制限されている。以前マリエルのドレスを着て戦った時は、コルセットは緩めに締めてもらっていた。旅芸人のお姉さんたちが協力してくれた着替えだったから、苦しさがわかってもらえたけれど……。今回はチェルアとミーティによって完璧な方法で装着済みだ。しかも、長い裾を捌きながらなので、単純なステップの繰り返しでも、動きにくくて仕方がない。
ううっ……裾だけでも足がもつれるのに、腰が固められているせいで派手な動きが苦しい。
その私の顔に気がついたのだろう、途中で来たウィリルが、椅子に座りながら、おやおやという様子で見つめている。
「コルセットに負けてどうします。騎士たる者、苦しみに打ち勝ち、むしろその状況に喜びを見いだしてこそ、最強になれるというもの」
「待ってください。それは違う性癖に目覚めていそうなんですが!?」
「不純ですねえ。ですが、それすらも喜びに変えられれば、間違いなく最強になれます」
「嫌です! そんな切られたがりみたいになるのは」
血まみれの状態で「もっとめちゃめちゃにしてー」と叫びながら襲来する騎士。うん、ホラーだ。
「でも、騎士たちはよく『俺を切ってみろ!』というでしょう? 似たようなものでは?」
「それ絶対に意味が違います!」
嫌だ。想像しただけで引きつった時、後ろで扉がコンコンと叩かれた。
「失礼します。ウィリル長官、こちらにアンジィが呼ばれたと伺ったのですが……」
げっ!? レオス!?
まさか、こんなところを見られるなんて……。
今私が身につけているのは、ダンスの練習用の簡易なコルセットつきスカートだ。とはいえ、女性用の服をまた身につけているところを見られるなんて、どんな顔をしたらいいのか。
(しっかりしろ、私! 女性の服を着たところなんて、今までに何度も見られているんだから!)
ただ、化粧をせずに、女性物を着ているのを見られたのは初めてだ。
変じゃないかな。ふだん男っぽいとよく言われる姿で身につけているなんて……。
焦った私の前で、レオスはなぜかこちらを射貫くように見つめている。
「どうかしましたか?」
怪訝げなウィリルの言葉に、レオスの視線が逸らされた。助かった。ちょっと恥ずかしいのでそう息をつくと、レオスは真面目な顔で答えている。
「はい。そろそろ休憩時間が終わりになるのですが、ミーティに呼ばれたままアンジィが戻ってこなかったので……」
「ああ、アンジィは、今ちょっと特訓をしておりまして」
「なるほど」
――なるほどじゃない。
どう見ても、騎士の特訓ではないのに、なんで頷いているのか。頼むから、助けて!
そう焦ると、なぜかレオスは、またまっすぐにこちらを見つめてきたではないか。
あれ? 怖いぐらい真剣な顔だ。
どうして――と思ったら、レオスがずいっと足を踏み出してきた。
「姫」
近づいて、恭しく身を屈める。
「アンジィの練習相手でしたら、俺が務めさせていただきましょう。こう見えても、姉の練習相手にはよくなったことがございます」
ちょっと待って、止めに来たのではなかったの!?
騎士隊の休憩時間が終わりなので、捜しに来たはずなのに……。
すると、目の前で、マリエルは、なぜかフッと笑ったではないか。
「いいえ、お忙しい騎士の方の手をお借りしては申し訳ありません。それにもうじき休憩時間が終わりなのでしょう? アンジィのことを、伝えなければならないのではないですか?」
「大隊長に、アンジィがミーティに呼ばれて行ったことは、すでに連絡しております。もし姫の御用事ならば、遅くなってもかまわないので、そちらを優先させるようにと命じられております」
「まあ。なんて手際のよいこと――」
レオスの微笑みに、マリエルがにっこりと笑みを浮かべている。
それにレオスもフッと笑った。
「姫にお仕えするのが、我ら騎士の使命です。見れば、姫がお相手されているのは、ダンスでの男性パート。それならば、慣れております男の俺に、お任じいただけないでしょうか」
一瞬だけマリエルが笑みを固めたままレオスを見つめた。
あれ、交代かな。それならば、この隙になんとか騎士隊に戻れるようにしないと――と思った時だった。
「あいにくと」
花のように、私の手を引っ張って踊りながら、マリエルの唇がゆっくりと動く。
「どのような淑女も、最初は身近な者から手ほどきを受けるものですわ。アンジィのダンスの指南相手は仲のよい従姉妹の私が務めますので――」
微笑んでレオスを見つめた瞬間、二人の視線の間で火花が散ったような気がした。
あれれ? どうして、こんなに緊迫した空気が漂っているんだ。ただ、私にどちらが教えるかという話なだけなはずなのに……。
「あ、あの、マリエルとレオス。とりあえず、今日のダンスはここまでで……」
なぜか嵐が来る前のような空気感がある。これ以上頑張っても、私が急に上手になるとは思えないし。休憩時間も終わるので、二人を止めようとした時だった。
突然、後ろで扉が激しく叩かれたのは。
「失礼します! マリエル姫、ウィリル長官!」
「何事です?」
突然の声にも、ウィリルは動じずに返している。扉を衛兵に開けられた男は、部屋の中に慌てたように入ってきた。
「ただいま知らせがまいりまして……。こちらへと運ばれる途中だった王の紋章が、何者かに盗まれたそうです」
「えっ!?」
突然の知らせに、部屋にいた全員の顔が強張ってしまった。




