10 依頼でも出しますか
「……ナナシ」
子爵が鍛冶屋を出て行ったあと、冷えきった誰も動かない空間の中をルーグは1人動き不安げにナナシの服を小さく引っ張った。
ナナシがフィリーのことを大事に思っていることを知っているから、フィリーの意思をガン無視して付きまとう子爵に腸が煮えくり返るほどの怒りをナナシが持ったとしても当たり前だ。不自然なことじゃない。それに関係ない人まで巻き込んでいたんだから。
ルーグだってあの子爵の様子はムッと腹が立ったし、度合いが違うだけだからそれはいい。守るべき人を巻き込んでいても、良くはないがナナシがそれだけ本気で怒っているのがわかるから。
ただ、まるでナナシが遠くに行ってしまいそうな、そんな思いがルーグの胸を締め付けた。レインやドリアードと親しげなナナシが遠い存在に感じた時のような、いや、それよりももっと――。
「さすがに殺したりはしねぇよ。この街名物のケンカくらいだな」
子爵がそそくさと長い階段を下っていくのを眺めていたナナシはそう言ってルーグの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
上手く言葉にできない感情にルーグは何も言うことはなかったが、いつもみたいな緩いナナシが戻ってきたことに安堵をする。
「さーてと、仕事でもしますか」
パンっと手を鳴らしたナナシはフィリーたちに手入れをするものはあるかと意識を切り替えて尋ねた。
「え、あーそうね……」
「そうですね」
ナナシほどすぐに切り替えが上手くいかないシーナたちは、何を預けるべきかと自分の装備を見て確認を始める。
今回の冒険で装備はかなり摩耗しているので手入れはしっかりとしておきたいとも思うのだが、しかし、そうすると時間がかかるのでフィリーの精神面を考えると心配もある。
おそらく子爵は諦めることをせず、フィリーと同じ街にいるとなれば毎日のようにフィリーに付きまといかねない。
「お前ら、俺の依頼受ける気ないか」
「あなたからの依頼ですか?」
「おう。レアモンスターの話を聞いて行きたいのは山々だが、数少ない常連を逃がすわけにゃいかないかんな」
渡りに船というか、かなりわざとらしさがただようが街を出る口実を与えてくれているのだろう。
それがすぐに分かったガラドはどんなモンスターだとナナシに尋ねながら自分の装備の準備に取りかかる。
「鏡蛇。オーウェンの予想じゃアッチ村の方に移動してるはずだとよ」
「そこならこの武器でいいかな」
「オーウェンさんの見立てでしたら間違いはないでしょうね」
今日の夜中から向かうとナナシの依頼を受けることにしたフィリーたちは、すぐさま準備に取りかかる。
そこまで強いモンスターが出る場所ではないが、装備を全て預けるので身につける防具や武器など考えることは多い。
「ついでにロイ、お前も行ってこい。剣にゃ必要ねぇけど上級素材の繋ぎとしちゃいいもんだかんな」」
「擬態が上手なモンスターだから探すの手伝ってくれると嬉しい」
「は、はい。頑張ります」
ナナシはひとまず冒険者たちを街の外に出すことにする。
あの子爵がどれだけの人間を雇っているのかは知らないが、ギルベルトやフィリーの話では街の外まで追いかけてくることはないそうだ。
貴族によくある野宿はしたくないと言うやつだ。
「いなきゃいないで適当になんか持ってきてくれりゃいい。あって困るもんでもないかんな」
「失敗扱いにはならない、ということですね」
「そーだな。10種以上の素材の納品ってことにしとくか。中級モンスター以上の」
冒険者ギルドを間に通すようにするため、細かい依頼内容を詰めていく。
こうしておけば子爵が行くのは冒険者ギルドとこの店くらいだろう。
ナナシは言わずもがなだが、冒険者ギルドも追い返すことだろう。面倒な相手の扱いには慣れているところなので困ることはないはずだ。
そもそも冒険者ギルドに貴族だと傲慢な態度をしたところで何の意味もない。それほど巨大な組織なのだ。
「――承りました」
「いっぱい取ってくる!」
「おー、行ってこい」
フィリーたちは鍛冶屋から出るつもりはないようで、預かりボックスに置いている回復薬などをカバンに入れていく。
わざわざ街に買いに降りなくてもストックしている分で十分こと足りる。
ロイはそういうものがないのでアルゼルが多めにストックしている分をロイに渡していた。
そうこうしているうちに街はオレンジ色に染まり始め、ナナシはルーグを家まで送るために店を出た。
「ねぇナナシ。あの人のこと捕まえることって出来ないの?」
長い階段を下りながらルーグがポツリとこぼすようにナナシに言った。
フィリーに言いよるだけなら無理かもしれないが、ロイまで被害にあった。雇い主として罰することは出来るんじゃないかと。
「出来なくはねぇよ。ただ、今回のことで言うなら罪を問うことは出来ても牢屋にゃ入ってもらえねぇの。貴族っつー立場が邪魔してくれてな」
「なんで……」
納得いくもんじゃねぇよなとナナシは笑いをこぼし、ルーグは素直に頷いた。
貴族が偉いのは分かるのだがそれで処罰が違うというのは納得いくものではない。平等を掲げる国にあって不自然なルールとも言える。
「ま、これが人間社会ってことなんだろ。俺の育ったとこのルールと違うし」
「ドラゴンとはさすがに……」
ナナシがドラゴン社会を引き合いにだし、ルーグはツッコミを入れる気力を失って小さく笑った。
鏡蛇
レアモンスター。
その名の通り全身が鏡のような鱗で覆われており周囲の景色に溶け込む変色をする。
そのため鏡蛇自体は弱いのだがなかなか見つけ出すことが難しい。




