第一章:見えざる門
#ミステリー #杉沢村 #都市伝説 #創作 #拡散希望
青森県の霧は、並の霧とは違っていた。厚く、冷たく、そして湿った土の匂いに、錆びた鉄のような生臭い何かが混じり合っている。
江戸は車のハンドルを強く握りしめた。ハイビームの光はわずか一メートル先を照らすのが限界で、その先は深い松林の闇が迫り、狭まり続けるアスファルトを押し潰そうとしていた。スマホのナビは一時間前に死んでおり、真っ黒な画面には「圏外」という文字だけが無機質に浮かんでいる。
「杉沢……」江戸は小さく呟いた。その名は舌の上で苦く残った。
古い記録で読んだ伝説によれば、その村は数十年前の虐殺事件の後、日本の公式な地図から抹消されたという。しかし、江戸にとって杉沢村は単なる都市伝説ではなかった。そこは、亡き母が描いた奇妙な絵画たちの背景そのものだった。巨木が連なるこの森のどこかに、古い警告の看板があるはずだ。『ここから先へ立ち入る者、命の保証はない』。
突如、車のタイヤが硬い何かを突き上げた。車体は激しく揺れ、ついにエンジンが完全に停止した。沈黙がどっと車内に流れ込む。
江戸はエンジンをかけ直そうとしたが、聞こえてくるのは枯れた機械の咳き込みだけだった。その静寂の中で、彼は別の音を耳にする。……コツ、コツ、コツ。
何かが車の後部座席の窓を叩いている。人間のノックではない。長い爪がガラスを引っ掻くような音だ。
江戸は振り向く勇気がなかった。母から聞いた『陰山』の話を思い出す。この場所では、影が自らの意志を持つという。車内の温度が急激に下がり、江戸の吐息が白く濁った。その時、彼はルームミラーに映る光景を目にした。
そこに映っていたのは幽霊ではなく、朽ち果てて崩れかけた木造の鳥居だった。さった今通り過ぎたはずの道の真ん中に、それは毅然と立っていた。一秒前には、そこには何もなかったはずなのに。
杉沢村は、人間が見つけるものではない。杉沢村の方が、見つける人間を選ぶのだ。そして今夜、村は一人の「陰山」を選び出した。




