第一章「ベイルのように駆け抜けろ」-3-
帰りにおれは本屋に寄って、スポーツコーナーで、今まで素通りするばかりだった、サッカーの教本と向き合っている。
人生なにが起こるかわからない、とは言ったものの。
あの応接室をノックし、校長に座るよう進められたときでさえ、野球部コーチの面接だと思っていたのだから、驚天動地というよりほかない。
そして校長が、あの求人票をそっと差し出し──
ぼんやりしていたのだろう。
すぐそばに人がいるのに気が付かなかった。あろうことか、体だけが資本の前職の職業病というか、体幹に鋼を通したようなおれの体は、悪気なく人を弾き飛ばす形になってしまった。
わ、という驚きの入り混じった声。
「あっ、すみません」
あわてて謝罪する。
「お怪我はありませんか?」
言いながら相手の様子を確認して──
ひぃっ、と喉元に叫び声がでかかる。
相手が明らかに未成年の女子で、学生服を着ていたからだ。身長は百六十くらいか。長い髪を後ろで一つにまとめている。
このご時世どのようなトラブルに発展したものではない。
おれは相手が荷物を落としたり、明らかにどこか体を痛めてはいないものか、とっさに確認した。
「大変申し訳ありません。ぼんやりしていました」
「あ、いえ、全然、何も。わたしこそ、考え事をしていて……すみませんでした」
女子生徒はこちらの瑕疵を責めるでもなく、頭をぴょこんと下げた。
「サッカー、お好きなんですか?」
「え?」
さっきから何冊もの教本をとっかえひっかえ、あの本がいいのかこの本がいいのか、頭を悩ませていたおれは、一冊の本を手にしていた。
『小学生一~二年生からはじめる初心者のためのサッカー・メソッド』
「良さそうな本ですね」
「あ、ああ。ええ、そうですね。これがいいのかな。うん。これにしようかな」
「サッカーは何と言っても基礎が大事ですからね。ご存知ですか。ディヴィッド・ベッカムは子どもの頃、お父さんと近所の公園で、何度も何度も反復して、ただただ真上に高いボールを蹴るという練習をしていたらしいですよ」
そう、なんだって基礎が大事だ。ただ、そのときおれが考えていたのは一つだけだった。
ベッカムって誰だろう。
初対面の人間にしゃべりすぎたと思ったのだろう。はっとした顔をして、ぺこりと頭を下げると、身を翻した。人間、話題が好きなものとなると、相手が誰とて饒舌になるものである。
女子生徒のおそらく学校指定のカバンに、ユニフォーム型のアクリルキーホルダーがついていた。
そのときのおれはまだ知らなかったのだが──、キーホルダーはかつてのレアル・マドリードの右ウィング、栄光の11番、ギャレス・ベイルのものだった。




