第四十話 リーデ=ヒム=ヨルトミアという人の巻
「ふぅん…“はぐれ転生者”の話は聞いていたけど…ユキムラにそんなことを…」
状況を整理しよう。
リーデ様はどうやら先ほど報告を受けてハンベエの話を知ったらしい。
そして今日俺たちが会いに行ったということを知ると居ても立ってもいられずやってきたそうだ。
しかし夜中に大公がお供もつけずに出歩くのは如何なものか…
おそらく城ではラキ様率いる護衛兵団がてんやわんやの大騒ぎになっているだろう。
「それで、ハンベエとやらにどう言い返していいか分からなくて荒れていたと…」
「お、お見苦しいところをお見せして申し訳ない…」
ユキムラちゃんは酔いが醒めたのかただひたすら恐縮している。
リーデ様はそんなユキムラちゃんを物珍しそうに眺めた後、コップに注がれた酒に口をつけた。
そして顔を顰める。どうやらこんな安酒を飲んだのは初めてらしい。
軽く咽て、リーデ様は改めてユキムラちゃんへと向き直った。
「ねえユキムラ、貴女は何か勘違いしてるんじゃないかしら」
ざくり。
再び言葉のナイフがユキムラちゃんに刺さる予感がした。
俺はジェスチャーで止めようとするもリーデ様は意に介さない。この人はこういう人だ。
「“ヨルトミアに天下を取らせる”…と言ったわよね、違うわ、“私が天下を取る”の」
リーデ様は先ほど咽た安酒を一気に呷る。
そしてカン、と高い音を立ててコップを置いた。
「貴女は“転生者”だけど私の配下…天下を如何するなんて貴女が考えるのは烏滸がましいわ」
思ったことをズバズバと言ってくれる。
だが御尤もな意見でもあった。ユキムラちゃんにはどこか一人でなんでもこなそうとしている風に感じる時がある。
それは出会った時、あの会議室で人形姫であったリーデ様を誑かして戦乱に巻き込んだことに対するほんの僅かな負い目からだろう。
だがあの時ユキムラちゃんがつけた火は既にヨルトミアの皆が心中に持つ炎になった。最早他人事ではないのだ。
「内政ならナルファスたちに任せておけばいいの、きっと良い方向に動かしてくれます、そして…」
ずい、とリーデ様がユキムラちゃんに寄る。
ユキムラちゃんは思わず身を引こうとしたが両腕が小さな肩をがしりと捕まえた。
燃える色の双眸がユキムラちゃんの双眸を覗き込む。
「何のために戦うと問われたら私をタイクーンにするためと答えなさい、小賢しい問答に惑わされないで」
その言葉には力があった。
お飾りの君主だった時とはまるで人が違ったような覇王の風格があった。
澱んでいたユキムラちゃんの気配が張り詰めていくのがわかる。
きりっと表情を締め直したユキムラちゃんは改めてリーデ様に向き直った。
「では聞かせて頂きたい…リーデ様は如何して天下を狙っておられるのですか」
結局のところ、ハンベエへの答えはそこにある。
何故ヨルトミアが天下を狙っているのか…何故大陸西部の平定だけで満足できないのか…
敢えて戦火に飛び込んでいくその理由は一体何なのか…
その問いに、リーデ様は軽く笑い…
「あら…そんなものは決まっているわ、“欲しいから”…ただそれだけよ」
あっさりと、そんな言葉が返ってきた。
呆然とする俺とユキムラちゃんの前でリーデ様はさらに安酒を注ぎ、呷る。
「戦乱に苦しむ民も、世に蔓延る悪逆非道も、そんなものは私の知ったことではないわ」
さらにもう一口。
決して美味くはないだろうに、呷る手は止まらない。
「私は私の欲しいものを手に入れるだけ…そして手に入れたものは決して手放す気はない」
もう一口。
「すべてが私のものになった天下…どんな天下を目指すかと言われたら、私ならそう答えるわ」
飲み干した。
コップが置かれ、リーデ様は熱い吐息を漏らす。
「その結果として戦乱の世が終わり、民が救われるというならそんな王でもいいと思わない?」
ひと時の静寂が訪れた。
なんという強欲…なんという傲慢…
間違いなく大陸全土を征服したタイクーンの血脈がここにあった。
だがリーデ様が突き進む覇道の後には平穏と繁栄がある。大陸西部も大きく様変わりした。
そして民は皆リーデ様のカリスマ性に心酔している。作られた名声では留まらない人気がそこにある。
リーデ様は決して振り返らないが、民が望む英雄の姿がそこには確固として存在しているのだ。
もし…もし本当に天下を取ってしまったとしたら、その時はこの大陸全土も…―――
「……やはりリーデ様、貴女は天下人の器です」
振り返ると、ユキムラちゃんは晴れやかに笑っていた。
一切の迷いが吹っ切れたように、深々と頭を下げる。
「もはや惑いませぬ…どうか今後とも覇道を邁進なされよ、わしが全力で御支え致します故」
「元よりそのつもりよ、これからもどんどん使っていく気なのだから覚悟しておくことね」
二人は顔を見合わせ、笑みを浮かべる。
よかった…これで一件落着だ。一時はどうなることかと思ったが…
「これサスケ!何をしておるか!リーデ様が来ておられるのだからもっと良い酒を出さぬか!」
「ええっ!?まだ飲むんスか!?」
「当り前よ…わた、私だってようやく成人したのだから…もっと飲めます…ひっく…」
「リーデ様!?突然呂律回ってないですよ!?」
却ってなんだかえらいことになってきてしまった。
先ほどまでの湿っぽい空気はどこへやら…二人はけらけらと笑いながら次々と酒を空けていく。
歯止めが利かない無礼講に俺は困り果てながらも、どこか一安心していた。
ハンベエが何を言おうと気にする必要はない。この二人が歩いていく道はきっと正しい道だ。
どちらかが迷えばどちらかが引っ張る…そうして少しずつ前に進んでいくだろう。
俺は晴れやかな気分で二人の酌を続ける…
「―――…何を…やっておられるのですか?」
静かな激怒に色違いの双眸を煌々と光らせ、あちこち駆け回った満身創痍のラキ様が現れるその時まで…
【続く】




