【1-2】枯れ井戸と最初の創造
(前回)追放された俺――リオは、枯れた井戸に苦しむ村へ辿り着いた。
井戸の縁に両手を置き、深く息を吸う。冷たい石のざらつきが掌に残る。
手の甲の紋がほのかに熱を帯び、意識の底で光が形を探し始めた。
――創造。
まず“浄め”。見えない汚れを絡め取る白い核を思い描く。
次に“繋ぎ”。ひび割れた石を骨のように補強する薄板のイメージ。
最後に“導き”。迷った水脈をやさしく井戸へ招き入れる細い糸。
願いは簡単だ。誰も渇かないように。
石組みの内側に白い灯りがにじみ、ひびの線が静かにふさがっていく。
底に沈む泥がほどけ、しずくが――ぽとり、と落ちた。
「……水だ!」
最初の一滴が合図だった。ぽた、ぽた、と間隔が詰まり、やがて連続音へ。
女たちが壺を差し出し、男たちが桶を運ぶ。老人は「助かった……」と膝をつき、両手を合わせた。
茶色の髪の娘――エルナが、目を潤ませて笑う。
「リオさん、ありがとう!」
胸の奥の固い結び目が、ほどける音を立てた。
“雑用”と呼ばれた力が、ここでは命をつなぐ。――それだけで十分だ。
けれど同時に、別の気配もあった。井戸の縁で、空気がわずかに軋む。
風の向きが変わり、腐った草のような臭いが鼻先をかすめた。
……嫌な匂いだ。
「子どもたちを下がらせて!」
声に反応して、若い男たちが動く。俺は短剣を握り直した。
広場の端、廃小屋の陰から影がほどける。背骨が棘のように浮いた痩せ狼――いや、目が空っぽだ。
何かに引かれるように、まっすぐ井戸へ向かってくる。
「魔物だ!」
鍬と棒が上がり、悲鳴がいくつか。
俺は前へ出る。戦士じゃない。それでも、やる時はやる。
魔物が飛んだ。爪が閃く。
俺はしゃがみ込み、爪をやり過ごして右へ滑る。
返す刃で前脚の腱を払うと、乾いた手応え。
絡むように麻網が降り、若い男たちが全力で引いた。
「押さえろ!」
「今だ、リオ!」
網に引かれた魔物の首筋へ、俺は短剣を深く突き立てる。
刃が骨に当たって止まり、ぐ、と力を足す。
吠え声が途切れ、体から力が抜けた。
沈黙。
次の瞬間、歓声と泣き声が一度に広がる。
「助かった……助かったぞ!」
「水も出て、魔物まで!」
肩で息をしながら、俺は刃を拭った。
戦い慣れているわけじゃない。手は震えている。
それでも、誰も傷つかなかった。――それで十分だ。
ふと、倒れた魔物の爪の隙間から、黒い砂のようなものがぱらぱらとこぼれ落ちた。
風に乗って、井戸の縁に触れ、すぐに消える。
「……今の、見たか?」
「灰か? いや、砂……?」
鼻を刺す腐臭。皮膚の下を針でなぞるような、嫌なざわめき。
俺はそっとエルナを庇うように一歩下がり、目を細めた。
「この匂い、さっき水を“導いた”時にも一瞬だけ……」
「リオさん?」
「大丈夫。今日はみんな、家で戸締まりを。夜は見張りを増やしたほうがいい」
村長が大きくうなずく。
「恩人の言葉だ。今夜は全戸で灯りを絶やすな。見張りは交代で二人一組――」
灯り。
そうだ、夜が暗すぎる。水は出た。だが護るには光が足りない。
俺は井戸の冷たい石に手を置き直し、さっきの白い灯りの残響を確かめる。
“照らす”形。街道の松明よりも強く、長く、扱いやすいもの。
魔石の層を変え、光を引き延ばす結晶の設計なら――いける。
「明日までに、夜が明るくなる道具を作る」
「そんなものが?」
「少し試す。俺の創造は、そういう時のためにある」
広場の隅で、子どもが桶を抱えてぴょんと跳ねた。
冷たい水が、太陽を映して揺れる。泣き笑いの声が、朝の空にほどけていった。
それでも俺は、倒れた魔物の爪先から、なおもこぼれ続ける黒い砂に目を離せなかった。
風が運び、地面に触れ、痕跡も残さず消える。
まるで“どこか”へ戻っていくみたいに。
風が運んだ粒が、爪の隙間からまた一つ、黒くこぼれた。
――あの砂は、どこから来ている?




