【1-1】追放と夜明け、辺境へ
――俺は今日、勇者パーティーを追放された。
「……以上だ。お前はもういらない」
焚き火の火は小さく、勇者アレンの声だけがやけに冷たかった。
魔法使いセリアは鼻で笑い、神官マリナだけが目を伏せて祈るように沈黙している。俺――リオの手に残ったのは衣服と乾いたパン一切れ。それで終わりだと、そういう顔だった。
俺のスキルは【創造】。
壊れた鍋を直し、靴紐を予備で用意し、折れたテント棒を継ぐ。
戦場で光らず、会議で褒められず、数字にならない働き。だから“雑用”。
「……わかった」
背を向けた俺に、アレンが短く言い捨てる。
「魔物に食われても助けない」
「大丈夫。俺は丈夫だから」
負け惜しみを置いて、夜の草原へ。黒い空。汗を冷やす風。振り返らない。振り返ったらたぶん泣く。
歩きながら、昔の夢を思い出す。
白い場所。音のない静けさ。金の瞳の女――女神だと直感した。
『あなたに、【創造】を授けましょう。世界に一つだけの権能です』
『俺に? 俺は平凡だ』
『平凡な人ほど、人を救える。あなたの願いが穏やかである限り、この力は優しく働く』
『……馬鹿にされず、静かに暮らしたい』
『では、与えるための創造を』
目覚めた朝、手の甲に紋があった。
――与えるための創造。いい言葉だ。でも現実は、派手さのない“与える”は点数にならない。だから俺は追放された。
東の地平が白む頃、王都の外れを抜けた。朝露が靴を濡らし、空腹は痛みに変わる。固いパンを噛む。まずい。でも自由の味がした。
「行くか」
枝道を選び、辺境へ。
誰の期待も失望も届かない場所。畑を耕し、木陰で昼寝して、夜は湯気の立つスープ。そんな暮らしを、いつか。
やがて、林の切れ目に小さな集落が現れた。
古い柵、苔むした屋根。朝なのに、顔色は曇天のまま。広場の中央に石積みの井戸がある。縁に老人が座り、乾いた桶を抱えていた。
「旅の人かね。……すまんが、今は水が出んのだ」
「井戸が?」
「春先の地震で亀裂が入ったらしくてな。泥が詰まり、水脈がずれた。昨日までは持ちこたえたが、今日はもう空だ」
家々の前で女たちが空の壺を抱え、子どもは頬がこけて泣く元気もない。胸の奥がざわついた。
「修理の職人は?」
「呼ぶ金が要る。金を作るにも、水が要るのさ」
井戸の縁に触れる。石はひび割れ、苔の下で砂がこぼれる。底の方に重い濁り。手の甲の紋が、かすかに熱を帯びた。
【創造】――雑用と呼ばれた力。
鍋の穴を塞げるなら、石の亀裂も。泥を沈め、石積みを補強し、水脈をやさしく導く。もし、できたなら。
「兄ちゃん、やめておきな。落ちたら命がない」
背から声。肩幅の広い若い男が腕を組み、隣には茶色の髪の娘。日焼けの頬、麦色の瞳。
彼女は心配そうに俺を見上げた。
――のちに名前を知る少女、エルナ。
「見てみるだけ」
井戸の内側に身を屈め、湿った土の匂いを吸い込む。掌を石に当て、頭の中で形を描く。
浄化する石。ひびを繋ぐ“骨”。土砂を沈める重い粉。水脈を導く薄い板。
言葉より先に、願いがある。誰も喉が渇かないように。子どもが泣かなくてすむように。スープがもう一杯増えるように。
紋が熱を灯す――その時だった。
視界の端で黒い影が揺れる。
痩せた狼? いや、背骨が棘のように突き出て、腐った匂いがした。
「魔物だ!」
広場が凍り、男たちは鍬を握り、女たちは子どもを抱き寄せる。
俺は掌を離し、短剣を抜いた。勇者隊で支給された安物。刃は薄いが、握りは手に馴染む。
「下がって」
エルナが一歩出かけて止まる。細い指が震えていた。
魔物が低く唸り、井戸へ一直線に――
……俺は深呼吸し、柄を握り直す。
雑用でも、やる時はやる。やらなければ、誰かが死ぬ。
その瞬間、老人が俺の袖を掴んだ。
「待ってくれ、若いの。水が出なきゃ、この村は持たん。どうか――」
乾いた声が、井戸の縁に滲む。
俺はうなずいた。視線の先、井戸の底は暗く、空の桶は軽い。
この村で、俺の【創造】は“雑用”じゃないのかもしれない。
与えるための創造――ここなら、価値になる。
俺は井戸に両手を置き、静かに告げる。
「助ける。だから――」
井戸の底へ、最初の一滴を、必ず。




