44 あだ名なんて単純なのが一番なんだわ!
「おねえちゃんおっぱい大きいねえ!」「制服が、はち切れんばかりだ! わたしもそれほしいなー」「少しくらいわけてー?」
「まあ、まあ……リノの深層心理が多分に反映された子たちですのね~、よしよ~し」
「「「きゃっきゃっ♪」」」
すっかり三人娘に懐柔されて喜色満面のさざれは放っておいて、僕はノワキに向き直る。
「聞いてくれ、ノワキ。僕は、ノワキと話をしにきたんだ」
「してるじゃない、今も」
念のため、確認しておく。
「……ノカゼ」
「なあに?」
僕に向ける目。僕に向ける言葉。
これがすべてノワキであり、ノカゼでもある、彼女のものであると考えるだけで……
僕は嫌気が差してこの場から逃げ出してしまいたくなる。
激情のままに怒鳴りつけて、彼女を従わせたくなってしまう。
あるいは徹底的に距離を取って、彼女のことなど忘れてしまいたくなる。
だが、それではいけないのだ。
――僕は『ノワキ』と話がしたい。
そして、僕が『ノワキ』とどうしたいのか、どうありたいのか……その答えを、見つけなければならない。
否……見つけたい、と。他でもない僕自身が、そう願っているのだ。
こんな気持ちは初めてなんだ。
委縮も、恐怖も、緊張も……あらゆる負の感情と、それを大きく上回る、彼女自身を希求する感情を、目の前の女は僕に与えてくる。
こんなことは初めてなんだ。僕は確かめたいんだ。
僕は――
「何か言いたいことがあるの、スグル?」
黙りこくっていた僕を見かねて、ノワキから訊ねてきてくれる。
「ああ、ノワキ。僕はさ――」
「――いいじゃねえかよ」
僕の言葉を、氷床の上に座り込んでいたノワキ父が遮ってくる。
……なんなんだよ、この男は。
☽
「いいじゃねえか、このままでよ。別にノワキだって困ってなさそうだぜ?」
「お前は娘のことなんかどうでもいいんだろ? 黙っててくれよ」
「本人がそれを望んでねえなら、無理して『ノワキ』に戻す意味もねえだろ」
「なんだよあんたは。自分で俺はもう父親じゃないとか言ってたよな? なら口を挟まないでくれ」
――スグルとお父さんが、言い争いを始めてしまった。
「てめぇだって今更何がしてえんだか。言ってることもやってることも先週とはまるでちげえ。突然俺らに吐き捨ててった暴言はなんだったんだ?」
「……イラつくんだよ横からグチグチと。若者が未来について話をしてるんだ、人生とっくに終わった老害はすっこんでてくれるか?」
「――!」
――鬼の形相になったお父さんが、スグルに襲い掛かる。
「都合が悪くなったらすぐ暴力か? DV夫らしいな! そうやってノカゼも殺したのか! ノワキを虐待したのか!」
「人のこと煽っといて何言ってんだてめぇ! どの立場からモノ言ってやがる! 今それ関係ねえだろ!」
「そうだよ! お前は関係ないんだ! 部外者は口出すな!」
――……どうして?
――どうしてなの?
――せっかく、幸せになれたと思ったのに。
――カネコリサマとして、わたしは!
――わたし……わたし、が……
――わたしって……誰……?
――ノワキ……ノカゼ……
――目の前にいるのは、誰?
「ノワキは俺の娘だ! てめぇみたいな得体のしれない男に好き勝手させるか! ノワキは『ノカゼ』でいいんだよ!」
――わたしの夫? ……そして、わたしの……お父さん……
「ここにきて父親面か!? しつこいぞ! さっきからお前はなにを怖がってるんだよ!」
「俺が怖がってる? ……何をだよ」
「ノワキが『ノワキ』になることをだよ! お前は――自分の娘に嫌われるのを恐れてるんだろ!?」
「はぁ!? 意味分かんねえよ! 今更そんなことをビビる理由ねえだろ!」
「お前はずっとノワキを『ノカゼ』と呼ぶことで、娘から面と向かって嫌悪されることから逃げてたんだ! だから僕がノワキを『ノワキ』にしようとするのを妨害してる! そうだろ!」
「――っ」
――頭が、割れるように痛い。
「……んなこと、ねえよ!」
「なにを否定することがあるんだ! 親が子に嫌われたくないなんて当然のことだろ!」
「だから! そんなことを思う資格が俺には――」
「ああああああ! 気色悪いな! 愛される資格だの自分を責める資格だの、そういうのキモいんだよ! いつもDVだのなんだのしてるくせに、なんでそこだけ傲慢になれない!?」
「そこ踏み越えたら人間として終わりだからだろ! 好き勝手振舞って、それでも拒絶されたくないだ? そんな甘えた考え持っていいはずないだろが!」
「黙れ黙れ! いちいち言われなくたってそんなこと自分が一番分かってるよ! でも怖いものは怖いじゃないか!」
「だからデカい声で威張り散らすのかよ!? それこそ最低の行いだ! んなことしてねえで少しは好かれる努力でもしろ!」
「その方法が分からない! しなくてよかったから! 今まで努力なんてしなくたって全部上手くいってたから!」
「それが許されると思ってんのかよ! 知らないからできない!? そんなクソみたいな言い訳周りは聞いちゃくれない!」
「ならどれだけ辛かろうと、願うことがあるなら立ち止まってはいけなかったんじゃないのか!」
「その通りだ! へこたれてねえで進み続けろや!」
――やめて。
「だから僕はこれから前へ進む!」
――もうやめて!
「なにも知らねえガキが! 俺にできなかったことがてめぇに――」
「――いい加減にしてっ!! 二人とも!!」
――《立氷》!
「――!?」「――ッ!」
瞬間、二人の全身を氷が覆い尽くして、強制的に言い争いが止まる。
ずっとこのままだと凍死しちゃうから、すぐに氷を溶かしてあげるけど。
でも――
「どうして! どうしてよ! どうしてここまでしたのに、ようやくわたしは理解したはずだったのに、仲良くなれないの!? なんでこんなに苦しいの!」
心に立ち込めるこの靄を、二人にぶつけないことにはわたしは治まらない。
「だいたい二人とも、誰かを非難できるような人じゃないでしょ!」
「え、ちょ……ノワキ?」「急に……なんだよ……」
狼狽する二人の男を見て、ついにわたしはこれまでの――これまでの八年間のすべてが、爆発したみたいだった。
☽
「まずお父さん!」
「お、おぅ……」
突然怒り出したノワキに僕らが困惑するも、彼女はそんなのお構いなしに畳みかけてくる。
「いったいどれだけ厚顔無恥なら、スグルにお説教なんてできるの! わたしのお母さんを殺して、本当なら今頃牢屋にいるはずの人なのに、年長者ぶったって滑稽なだけよ! 恥ずかしいからやめて!」
「いや、別にそんなつもりは……」
「そんなつもりあるでしょ! お父さんはお母さんにたくさん酷い言葉をぶつけた! たくさん殴った、たくさん蹴った! わたしにも! 挙句の果てにはお母さんを殺した! お母さんはどうだか知らないけど、少なくともわたしは体も心もたくさん傷つけられたわ! 痛かった! 辛かった! 苦しかった! お父さんはそこまでしたのに、わたしには嫌われたくなくて『ノカゼ』に逃げてた臆病者よ!」
「ち、違うんだよ、俺はそこまで含めて分かってて……自分が何したかも理解してて、その上で……!」
「すぐ否定から入るのやめて! 言い訳しないで! そんなに自分に罪の意識があることをアピールしなくたって、ちゃんとわたしも理解してるわよ! 家族なんだから! わたしはお父さんの娘なの、不知森野分なの! 親だって子を頼っていいのよ、一度でいいから手を伸ばしてくれたら、どうとでもなったでしょ! でもそれをせずに、お母さんが死んだ後もわたしに暴力を振るい続けたのはどこの誰!? 本当に贖罪する気があるなら、まず何より先にわたしに謝るべきだったでしょ!」
「……そ……そうだな……」
まるで……これまでずっと我慢していたものを、ずっと心の奥底で思い続けていたことを、今ここに全部ぶちまけているかのように……
あのノワキが……『ノワキ』として、怒っている。
不知森野分としての不満を、自分の『父親』に、ぶつけている。
「スグルも!」
「え、は、はい」
第三者目線で観察していたら急にこちらを向かれてドキッとした。
「あなたほど自分勝手で我儘な人、わたし知らないわ! 散々わたしに意味の分からない理由で罵詈雑言を吐いて、わたしのお弁当を叩き落して、わたしのお父さんを殺そうとして――いいえ、それよりずっと前から! 出会った時からあなたは、自分都合でわたしやツツジのこと振り回して、もう散々だったじゃない! たしかにわたしもおかしかったかもしれないけど、それにしたって故意にわたしを傷つけるような言葉選びをしてたのちゃんと憶えてるわ! スグルは人間として最底辺なの! まずそれを自覚して!」
「今では自覚してるよ、僕は同じようなことを先週末エルにも言われて……」
「自覚してるならどうしてそんなに偉そうなの? あれだけわたしに酷いことしておいて、自分だけ土日の間に覚悟完了して“さあノワキを助けるぞ”って、そんなバカみたいな話あっていいわけないわ! なんでも思い通りにいかないとすぐに不機嫌になる子どもよ、あなたは! わたしのお父さんにとやかく言えるような人間じゃないわ!」
「……ごめん」
「ねえスグル、どうしてそんなに嬉しそうな顔してるのよ。わたしが怒ってるの分からない?」
「……?」
……意味がよく、分からなかった。僕が嬉しそう? そんなわけない。僕はノワキに図星を突かれて落ち込んでいるというのに。
「はっ。んだてめぇ、マゾかよ」
「お前こそ自分で自分を追い込んで、自傷癖でもあるんじゃないか?」
「あァ!?」
「お、キレるか?」
「……どうしてわたしのまわりにはこんな男しかいないのよ……」
落胆するように両手で顔を覆うノワキに、僕とクソ野郎は顔を見合わせて渋面をつくる。これと一緒にされるのは御免なのだが。
「というか……」
僕は先程からずっと確かめたかったことを、恐る恐る訊ねる。
「ノワキ、お前、『ノワキ』なのか……?」
「誤魔化さないで」
「誤魔化すつもりはないよ! でもそれと同じくらい大事だ! 今、お前はノワキなのか!?」
ノワキはどこか憑き物が落ちたみたいに微笑んだ。
「……ええ。ノワキよ」
「……ノカゼ」
「それはお母さんの名前」
確認のための呼びかけにも、そんな反応をする……!
「ど、どうしてそんな、いきなり……」
「あなた方の醜態に、ノカゼが呆れてしまったのではありませんの?」
いいところだったのに、口を挟んできたのはさざれだ。
〈白雪〉や〈深雪〉の頭を撫でながら、彼女はなんとも失礼なことを言ってくる。
「小さなノワキに随分デレデレしてたのは、もういいのか?」
「う、うるさいですわよっ」
僕に指摘され、羞恥心を掻き消すように声を張り上げた。
「……そういえば……ユキはどうして、ここにいるの?」
かなり今更な疑問を、ノワキは口にする。先程はとにかく僕と父親と三人でいたくて、さざれを邪魔者としか考えていなかったのだろう。
「学校が燃えた日も、来てくれたけど……もしかしてユキ、カネコリサマの事情を知ってるの?」
白住が全焼した……あの日もなにかあったのだろうか。ノワキが、魔術師であるさざれのことを怪しんでいる。
「……そうですわ。わたくしはそもそも、リノが果野に来たのを追ってきたんですの」
誤魔化すのも難しいと判断したか、素直に白状するさざれ。
白日の下に晒されたさざれの事情に、目をぱちくりとさせたノワキは――
「……えっと……わたしのストーカーってこと?」
「言い方ですわ!」
さざれは絶対に認めないだろうが、まあそういうことになるだろう。
「……そうなのね。ならわたしは、ずっとユキを付き合わせちゃってたのね」
「……え?」
「わたしみたいなのと長年一緒で、大変だったでしょ。ごめんなさい」
「そ、そんなことありませんのよっ!」
美少女JKをストーカーしてるのが本人にバレたけど、幼馴染だったから許されたさざれは、必死にその言葉を否定する。
「今ではもはや、家の任務も野風との約束もおまけみたいなものですわ! わたくしの意志でリノと一緒にいるんですのよ!」
「……お母さんとの約束?」
「あっ……」
つい言うつもりはなかったことまで零してしまったらしいさざれが、慌てて口を抑えるも時既に遅し。
「……ユキ……わたしのお母さんと会ったことあるの?」
「…………」
観念したとばかりに、さざれがその事実を告げる。
「ええ……まあ……一度だけですけれど」
☽
――九年前。小学二年生のわたくしは、クラスメイトの不知森野分と接点を持つことにも成功し、家の様子の方は、普段は盗聴器や監視カメラをチェックすることで概ね把握しておりました。
しかしその日ばかりは、一度くらいは自分の目と耳でも状況を確認しておこうと考え、十二分に注意を払いながら、不知森家にて出歯亀のような行為を働いておりました。
ですが。
『……あら? 誰かいる? ……女の子?』
『……ッ!?』
姿は完璧に隠れていたはずですが、魔力の方を探知されてしまったようで、外に出てきた不知森野風に、わたくしは見つかってしまいました。
『――《土雷》!』
見つかってしまった以上、わたくしはノカゼを拘禁する目的で彼女の腕をめがけて電撃を放ったのですが、
『《樹氷》』
『なっ……!?』
『……もう。出会い頭に攻撃したらダメよ?』
カネコリサマの防御術式であっさりと跳ね除けられてしまい、わたくしは血の気が引く思いでしたわ。
『し、しっぱいしましたわ! ころされてしまいますわ……!』
『え? ……もう、そんな物騒なこと言わないの。ねえ、ほら。おばさんがそんなことするように見える?』
『カネコリサマはおそろしいこおりのあやかしなのですわ……! にんげんをたべるのですわ、わたくしたべられちゃいますわ……!』
『……あなた、わたしたちのこと知ってるのね。さっきの力も……』
自分以外に魔術を扱う人間には初めて会ったらしいノカゼは、たいそう驚いたようでしたわ。
『あなた、どこの子なの? あの村にはあなたみたいな子いなかったし……ノワキのお友達かしら』
『わたくしはみすのーさざれですわ! 不知森野分とはおなじくらすのとなりのせきにしてもらいましたの!』
『そう、ノワキのクラスメイトなの』
『……っは! このことは、いわないほうがよかったやつですわ……』
『あなたの目的は?』
『《八幡村から逃亡した不知森家の監視、危険はないと判断された場合は、その生活の援助》ですわ! ……あ、うぅ……これもいったらだめでしたわ……』
『そうなの。……なら、なにも問題はなさそうね?』
『ひみつをしられてしまいましたわ……くちふうじのために、まっさつされてしまうのですわ……ふ、ふえぇ……』
ノカゼは、みっともなく泣き出してしまったわたくしの目線の高さに合わせるように、その場にしゃがんで、わたくしの頭を優しく撫でてくれました。
『そうね、わたしは怖い怖~いつらら女だから、あなたのことを食べちゃうかもしれないわ』
『わ、わたくしなんかたべても、あつさにはつよくなれませんわよ……!』
『そんなに小さいのにカネコリサマについてよく調べてるのね、偉いわ』
『や、やっぱりむらのきんきにくわしいわたくしは、つごうのわるいそんざい……あなたに、たべられてしまいますの……?』
『うーん……そうね』
『ひ、ひえええん、ですわ……!』
『でも……もしあなたがノワキのお友達だって言うなら、つい見逃してあげたくなっちゃうかもしれないわ。あの子から友達を取り上げちゃ可哀想だもの』
『……! ほ、ほんとうですの? うそじゃありませんの?』
『ええ、本当よ』
『なるっ、なりますわ! わたくし、不知森野分のともだちになりますわ!』
『ふふ、ありがとう。……わたしの代わりに、あの子を守ってあげてね。あの子、クラスであまり上手くいってないみたいだから……学校にまで行くわけにはいかないし、それに……わたしだっていつまで傍にいてあげられるか、分からないものね……』
それはまさか自分の死を予感していたわけではないでしょうけれど、その時のノカゼは、なんだかとても儚くて、今にも消えてしまいそうな雰囲気がありましたわ。
『……??』
『ごめんなさい、なんでもないのよ。……えっと、あなたは御簾納さざれ、だったかしら』
『そうですわ! わたくし、みすのー家のさざれですのよ!』
『なら、わたしたちが氷なら、あなたは雪ね』
『……ゆき?』
『ええ。みすのうだからすのう、snowだから雪』
『とってもわかりづらいですわ!』
『ご、ごほんごほん……“贅沢な名だね。今からお前の名前はユキだ”』
『ぬきだすところをちめいてきにまちがえたゆばーばですわ!』
『……ひどいわ……』
本気で悲しんでいるように見えたノカゼに、わたくしは子供ながらに悪いことをした気になって、
『あ……でもでも、もしかしたらそんなこともないかもしれないですわ……?』
『……本当かしら』
『ほんとうですわ! わたくし、ユキですわ!』
わたくしがそれを認めると、ようやくノカゼは笑顔になってくれましたわ。
『それじゃあ、ユキ。ノワキを頼んだわね』
『なんだかうまくのせられたきもしますけれど、わたくしおとなのじょせいですのでぶすいなことはいいませんの! ノワキのことはわたくしに――ユキにまかせてくださいまし、ノカゼ!』
わたくしの言葉に、安心したように微笑むノカゼを、忘れたことはありません。
スグル「ツツジは小さい頃どんな子だったんだ?」
サツキ「私が出会った時にはもう“ああ”でした」




