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32 私はお弁当のおかずだったらたれづけ唐揚げが好きだわ!

「ねえ」

「…………」

「ねえスグル、ちょっと待って」


 昼休み。席を立ち、教室を出ようと歩いていたらノワキに後ろから呼び止められた。


「なんだい」

「一回無視したでしょ」

「聞こえなかったんだ」

「……どうしてそんな不貞腐れたみたいな顔するの」


 なにか言い返してやりたかったが、周りの目もあるのでやめておいた。


「そんなつもりないんだけどな」

「ならいいけど」


 ノワキもそれほど本気で気にしてはいなかったようで、すぐに流された。


「一昨日のリベンジしたいわ。今日も屋上に行きましょう」

「…………」


 そういえば一昨日、弁当を作ってもらうという約束をしていたんだった。結局その日は紆余曲折を経て、ピザをデリバリーすることになってしまったが。


 ……すっかり忘れていた。


「なんで毎度屋上なのかな」

「雨が降ってるのが見えるところならどこでもいいわ」


 雨がどちらかと言えば好きなんだったか。


「…………」

「ほら、着いてきて」


 黙っていると、傲慢なノワキはそれを肯定と受け取ったらしい。僕の腕を引っ張って歩き始めた。


 よく見るとノワキはもう片方の手に、雪結晶のワンポイントのランチバッグを持っている。二人分の弁当が入っているのだろう。


 屋上に着いた僕らは、雨を避けるように庇の下に移動し、そこでようやく立ち止まる。


 ノワキは振り返ると、ランチバッグのなかからごそごそと弁当箱を取り出し、両手で持って僕に差し出してきた。


「はい、お弁当。作ってきたわ」


 一昨日は至って落ち着いたすまし顔だったというのに、今日のノワキはなんだかそわそわしていた。


 期待半分、不安半分というような目で、僕を見ている。



「――いらない」

 


 そんな目の色が僕の一言によって、驚愕の一色に塗り替えられた。

 

「自分の分があるからね」

「またそのネタ? そんな三度も擦るほど面白いやりとりでも――」


「違う。本当にいらないんだ」


「…………え……?」


 僕の言葉が冗談ではないことに、ノワキも気づいたのだろう。


「……どうして? やっぱり一昨日のお弁当、不味かったの?」


 自分が拒絶されている――それを悟ったノワキは、わずかに震えるような声色で訊ねてくる。


「でもスグル、ちゃんと味見もしたの。今日のは絶対、一昨日のより美味しくなってるわ。ツツジみたいに上手じゃないけど、でも」


「何を言われようと――()()()の作った弁当なんて、いらない」


 僕が突っぱねると、ノワキは心底困惑しているといった顔で疑問をぶつけてくる。


「野風……それ、わたしのお母さんのこと? どうしてスグルがわたしの母親の名前を知ってるの? ユキから聞いた?」


 そう、疑問だ。僕の言動をノワキが疑問だと思っている事実それ自体が……僕をイラつかせる。


「昨日、家でノワキの父親がそう呼んでたじゃないか」

「……そんなことあった? 昨日は……お父さんはわたしの名前しか口にしてなかったじゃない」


 ああ、だろうな。ノワキのセカイでは……そういうことになってるんだろうな。


「なら僕も聞いていいか? その弁当は、本当にお前が作ったのか?」

「お前じゃなくてノワキ」

「はぐらかすなよ」


 いつものお約束で誤魔化そうとでもしているのか……否、まだ僕のこの猛りが、この激情が通じていないのか。だからこのように茶化してしまうのだろう。見下げた女だ。


「えっと……スグルが言いたいこと、分かったわ」


 どこか申し訳なさそうな笑みを浮かべるノワキ。


「わたし、今まで料理したことなかったから。だからこれは今日の朝、お母さんに教えてもらって作ったの。そういう意味なら、たしかにスグルが言うようにお母さんが作ったものとも言えるわね。ごめんなさい。わたし、ちょっと見栄を張っちゃってたわ。……よく分かったわね?」

「………………」


 ――この女は何を言ってるんだ。


「でもねスグル、料理自体はわたしが――」


「ノワキの母親は――ノカゼはとっくに死んでるだろ! お前の父親が殺した!」


 耐えきれなくなった僕は、思わず声を荒げてしまう。だがそれを悪いとは思わない。悪いのはノワキだからだ。


「ユキ、そこまで喋っちゃったの? ……ええ、そうよ。もう八年も前に……亡くなったわ」

「なら矛盾してるよな? ノワキは、その死んだ母親に今日、料理を教わったって言うのか?」

「だからそう言ってるじゃない。なんなのよ」


 それはこちらの台詞だと、言い返してもなんの意味もないことは明白だ。理性と感情は使い分けが肝要だ。僕はここは、あくまで論理的にノワキを説き伏せなければならない。


「自分で言ってておかしいと思わないのか? 死んだ人間は動かないんだよ。喋らないんだよ。もういないんだよ。ノワキになにか教えるなんて無理だ」

「死んだけど生きてるの。いないけどいるのよ」


 僕はここで感情的にノワキを怒鳴りつける。


「それはノワキの思い込みだ! お前は自分のことをノカゼだと思い込んでるんだよ! 本当は元から料理できるんだろ! でもそれは『ノカゼ』としてやってることだから、『ノワキ』はできないと思い込んでるだけで!」

「人を二重人格みたいに言わないで……!」


「みたいもなにもその通りだろ。……母親を目の前で殺されたショックで、頭に障害ができたんだよお前は!」


「っ……!?」

「僕は何かおかしなことを言ってるか?」

「……なんで……どうしてそんなこと言うの……? ……っ、なに……?」


 黙ってノワキに近寄った僕は、彼女の腕を掴み上げた。その左手の先、細くて白い指の先を凝視する。


「柔らかくて綺麗だけど……ちょっとだけ荒れてるぞ。日常的に水仕事をしてる指だ。……家事ができないとか言ってたけど、それも全部ノカゼ(おまえ)がやってるんだろ。そりゃそうだよな。あんな漫画みたいなダメ親父が掃除や洗濯なんてするわけないもんな。ノカゼがやるしかないもんな」

「だからわたしがやってるのよ」

「…………」


 確認が終わったので離してやる。無意識のうちに少々力が入っていたらしく、ノワキの手首は赤くなっていた。頭の病気で僕を騙していた報いとしては軽いものだろう。


「お前は家事をしたことないんだよな?」

「そうだって言ってるわ。わたしは家事なんてできないわよ」

「それなのに、お前がやってるのか……?」

「そうよ。ずっと家事をしてくれてたお母さんが死んで、生きてたからわたしがやってるわ」


 僕は頭を抱えた。もうここに立っているのも馬鹿らしく思えてきたが、ここで引いてはダメなのだ。僕はこの女を分からせないといけない。


「さっきから当たり前のことばっかり訊いて、スグル、どうしたの? 体調悪い? ――わたしはわたしよ」

「その『わたし』がどっちのことなんだって話をしてるんだろ!」


 ノワキは即答した。


「わたしは   よ」

「は?」


 まるでその部分だけ検閲されたように、音がなかった。

 

「だから、わたしは   」


 否、これは現実である。実際には、ノワキが声を発していないのだ。名前を言わなくてはいけない部分だけ、口を閉じて何も言わない。しかし本人は何かを言った気になっている。


「お前はノワキか?」

「ええ。わたし以外に誰かノワキを知ってるの?」

「お前はノカゼか?」

「ええ。誰かと見間違えるような見た目してないでしょ、わたし」

「…………どっちだよ」

「   」


 当然だとでも言わんばかりの応答。


「……僕は大人じゃないから。だから、ノワキとしてのノワキ、ノカゼとしてのノワキ、どっちもお前だ、全部全部でお前自身なんだ、とか……そんな甘っちょろいことは言ってやらないぞ」 

「なんのこと?」

「……お前は不知森野分なんだよ……母親は死んでるんだ……いないんだよ……お前はノカゼじゃない……」

「……スグル、大丈夫?」


 僕の呟きに、ノワキは心配そうな目をしながら、背伸びをして、僕の頬を撫でてくる。僕を慰めるように、優しい言葉を掛けてくる。


「知らない間に、わたし、あなたになにかしちゃってた? それで気を悪くしちゃって、こんなことを言うの?」

「…………」


 違う。


「もしそうなら、ごめんなさい。スグルを怒らせちゃったわ。気が済むまで言いたいこと、わたしに言っていいわ。できるだけ聞くようにするわ。あなたの嫌がることは、しないようにするわ」

「………………」


 やめろ。


「わたしのせいで気分が悪かったのね。そういう時はお腹空かないものね。なら、少しだけ残念だけど、お弁当は食べなくてもいいわ。また明日……じゃなくて、週明けの三日後、作ってくるわ。……それなら、許してくれる?」

「………………」

 

 僕に優しくするな。僕に笑いかけるな。


「……って……だ」


 ――それはノカゼなんだろ! 


 ――僕を見ていないから言えるセリフなんだろ!


「なに? 聞こえなかったわ」


 言いながら一歩踏み出したノワキに、とうとう僕は我慢の限界に達する。


「だからお前の弁当はいらないって言ってるだろ!!」

「――っ!?」


 ノワキが手に持っていた弁当箱が目障りだったので、僕は衝動のまま、それを地面に叩き落してやった。


 強い衝撃で打ちつけられた箱の中身が、地面にぶちまけられる。色とりどりのおかずや白米が埃塗れになり、雨風に晒される。そのなかには一昨日、僕がリクエストしていたカニコロも認められた。律儀なものである。


「………………」


 ノワキは、何が起きたか分からないという様子……否、なにをされたのか理解したくないといった様子で、僕に視線を向けたまま、固まっている。

 

「もう食べなくていいんだろ? ならそれをどうしようが僕の自由だよな」

「…………っ」


 もしかしたらノワキは、僕の口からほんのちょっとでも謝罪の言葉が出てくることを期待していたのかもしれない。

 だというのなら、どこまで御目出度い女であり、どこまでも愛情深い女だ。きっとノカゼは、自らの夫にもそのように振舞っていたのだろう。伝聞ではなく直接の経験として、それがよく伝わってくる。


 だがそんな彼女たちであっても、自分の気持ちに嘘はつけない。というより、嘘をつかないからこそ、これほどの愛を貫けているのだろう。


「………………」


 ――屋上の地面、雨雲の下に散らばった弁当を見て。


 それからゆっくり数秒かけて、僕に視線を戻した、ノワキは……


「…………ひどいわ……」


 悲痛などとは程遠い、溜息が出るような綺麗な顔のまま……静かに、頬を濡らしていた。


 ――横殴りの雨が入ってきたな。涙で同情を誘う気か?


 などと、ここで僕が心無い台詞を投げかける意味はもはやあまりないだろう。これは兆しである。あのノカゼ状態のノワキが現れ、僕を非難するような言動を垣間見せた。これは兆しである。ノワキを正常な女に戻すための第一段階が無事に終わったのだ。これは兆しである。これはなんとも喜ばしいことだ。


「――あれ、ノワキが泣いてる……!? 感動のシーンだね、優くん! エロゲだったらここでCGが入るかなあ」


 と、そこで梅雨の空模様とは対照的な、晴れやかな笑みを浮かべたエルが、僕の心の声を読んだようなことを言う。さすがは僕の彼女。そういえば今日は一昨日と違って、エルやツツジの足止めに何も策を打っていなかった。どうやらエルは尾行けてきていたらしい。彼氏がストーカーならその女もストーカーなのであった。


 であれば、今頃ツツジは一人ぼっちでわんわん泣いているだろう。かわいそうに。


「……っ」

 

 エルが現れたのが契機か、それとは関係なく心が耐えられなくなったのか……


「あっ、おいノワキ! せめて弁当片付けてけよ!」


「――ばか!」


 そう一言だけ残して、ノワキはこの場から逃げるように走り去ってしまった。


 彼女の後姿が階段の下に消えていくのを、エルが興味なさげに眺めていた。


「優くん、ノワキと何かあったの?」

「うーん、ちょっとマジレスしすぎちゃったかもね」

「優くんってそういうところあるよね~、このメンヘラサイコパス。男のメンヘラって需要ないんだよ?」


 雨の屋上に二人きりになり、抱き着いてきたエルがそんな手厳しいことを言う。


「直した方がいいかな」

「んーん、私はそういうところも好き」

「ならいっか」

「うん♡」


 そんな感じに、ノワキのマイナス分をエルで中和し、最終的には概ね平和な昼休みなのだった。


「シリアスを感じたらすぐに露悪のユーモア(笑)で誤魔化そうとする優くんも愛してる♡」

「レンでもないのに心のなかを読まないでね」

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