31 このホズミックちゃんの不当な扱いに異議あり!
朝からいやに頭が透き通っている。これはなんだろうか? 喜びだろうか? 悲しみだろうか? 怒りだろうか? 楽ではないことはたしかだが。
「……いってきます、母さん」
「うん、いってらっしゃい」
台所で朝食の洗い物をしている母さんに挨拶をして、家を出る。
……すると。
「あぅ……すぐるぅ……今日もノワ来てないんだわ……くぅーん……」
しょんぼりと頭を垂れた地雷系ツツジが、目の前に立っていた。今週の初めから、ツツジとノワキと三人で登校し始めたのだ。こうしてツツジと朝から顔を合わせるのも、もう五回目である。
ツツジはその鳴き声も相まって、頭には犬の垂れ耳が幻視される。
「よしよし」
「きゃうっ……わんわんっ!?」
なんとなく黒髪ピンクメッシュの頭を撫でてやると、ツツジはびっくりしたような嬉しそうな声を上げててんやわんやだった。
「あいつは心配ないよ。昨日ノワキの家に行ったけど、ピンピンしてたからね」
「……本当なんだわ?」
大切な親友と二日も会えず、弱りきった上目遣いで確認してくるツツジ。
「僕が嘘をついたことがあるかい?」
「今この場じゃ数えきれないんだわ……」
「それに、ツツジにそんな暗い顔は似合わないよ。僕はいつも笑顔な君が好きなんだ」
「え、えへへ! 私は完全完璧地雷系美少女十六夜躑躅だわ!」
「そうそう」
「わんわんっ」
少しは元気を出してくれたようでなによりだ。
……まあ、ツツジの言う「親友」というのが本当に「ノワキ」であるか、今となっては怪しいところなのだが。
☽
ノワキの欠席の理由は、案外すぐに明かされた。
教室にやってきた僕を見つけたエルは、けろりとした様子でこう語る。
「あ、ノワキ? それなら私が、昨日あいつの家に行って自転車パンクさせたからじゃないかな? 今頃ノワキ、仕方なく徒歩でここに向かってるんだろうなあ」
「……エル、それは犯罪行為だ」
「知ってるよ?」
「知ってるならいいか」
昨日さざれからノワキの家の住所を教えてもらった後、LINEで【私にもあいつの住所教えてね 絶対だよ】とか言ってきたから、何のつもりかと思ったらこのためか。エルも随分強かになったものである。変わらないものなんて何一つないのだった。
「ちなみになんでそんなことしたんだ?」
「そんなの、嫌がらせのためだけど……?」
もう手の施しようはなさそうだった。
「……エル、愛してるよ」
「うん、私も……♡」
エルがとても幸せそうだったので、僕はこれでいいのだと思った。
「ノワはとっても運動不足だから、ちょっとくらい動いた方がいいと思うんだわ」
当の親友もこの調子だったので、多分ノワキの日頃の行いもあるんだろうなと思った。
「――お久しぶりですね、センパイ!」
突として声を掛けられたので、必ず毎日ある知らない生徒からの告白イベントかと思って振り向いたら……
「狭衣。先日ぶりだな」
「はい。気持ち的にそろそろセンパイたちを許せそうな感じになってきたので、今日からまたここに通い詰めですよ!」
そこに立っていたのは、狭衣縁。どうやらエルの一件で僕たちに恨みを抱いていたらしく、ヨウ失恋の日からしばらく顔を見ていなかった後輩の女生徒である。
だがこのからっとした物言いを聞く限り、自分のなかで僕たちの仕打ちに対する諦めでもついたのだろう。大抵の問題は時間が解決してくれる。時間は偉大である。
「エルなんて毎日のように『部活でユカリと顔合わせるの気まずいよ~』って嘆いてたから、助かるよ」
「え、そうなんですか……? 先輩、いつもめちゃくちゃ気持ちよさそうに泳いでますけど……むしろユカリが遠慮してしまうくらい……」
「最近のエルは口だけだからね」
ツツジやノワキの影響か、口では未だ弱気な様子を見せつつも、神経の方がだいぶ図太くなってきている。ノワキの器物を損壊しておいて僕にデレデレできるくらいには。
「ユカリ、寂しかったよ~……この間はごめんね……」
ようやく機嫌を直してくれた狭衣の両手を、エルは半泣きになって握っていた。
「お~よしよし、先輩はユカリがいないと本当にダメなんですからね!」
「ううん別にそんなことはないけどそれはそれとして寂しかったよ……」
「……更科センパイ、これ、ユカリの知ってるのと微妙に違います……」
「あはは、クーリング・オフ対象外だからね」
ちょっと不満そうにしながらも、なんだかんだ眉が晴れたような狭衣だった。
「あの白住の女どもは関わった人間をイカレさせるフェロモンでも出してんのか?」
「アキラくん!」
登校してきたヨウが教室に入ってくるなりそう言うと、狭衣はエルをほっぽり出して(女の友情なんてそんなものだろう)ヨウの元へと駆け寄った。
「ユカリ。もう平気なのか……その」
「はい! 心配してくれてありがとうございます! もう大丈夫なので、これで今日からまたアキラくんとお昼ですよ!」
「そうかよ。ならまあ、よかったな」
「よかったんですよ!」
前々からそうだったのだが、ヨウと話しているときのユカリは普段の三倍増しでキャイキャイはしゃいで回る。それくらいヨウのことが好きなのだろう。よいことだ。
「やあやあやあ、皆さん誰か忘れてないかな! 今日はこの八月一日九ちゃんも登校して――」
「ズミ、これ以上人が増えると面倒だからまた後にしてくれるかい?」
「なんでですか!?」
本人の言う通り、珍しく登校してきていたズミがえんえん泣き出したところで、ホームルームのチャイムが鳴り響く。
……その後も、僕はずっと教室の出入り口を見ていたのだが。
結局ホームルームが終わっても、僕の視界に銀色がちらつくようなことにはならなかった。
☽
ノワキが登校してきたのは、一限目の真っただ中だった。
「ちょっと遅れたわ」
ガラガラガラと教室のドアを開け、大胆に授業を中断して僕の元までやってきた。
学年主任の江川先生は青筋を立てながら、口を開く。
「……不知森さん。先生たちももう学校へ来るなとは言いませんので、せめて教室には後ろのドアから静かに入ってきてくれませんか? 前のドアから大きな音を立てて入ってくるたび、授業が止まってしまうので」
「ノワ! 元気だったんだわ!?」
「心配かけちゃったわね、なんともないのよ」
「……この、クソガキどもがァ……ッ! 絶対犯す、犯す犯す犯してやる……ッ!」
江川がなにやら不穏なことを呟いていた気もするが、聖職者がそんなことを言うわけがないので幻聴だろう。とにかくノワキが来てくれてよかった。
「随分遅かったですね、不知森さん。少しはその貧弱な足腰も鍛えられましたか?」
「なんかもうエルが普通に嫌味な女になっちゃってるんだわ……!」
ノワキ相手だと敬語になるエルが怖いこの頃である。
「ちっ……やっぱりあなたの仕業だったの……」
悔しそうに舌打ちするノワキの反応を見て、エルは机の下で小さくガッツポーズをしていた。たしかな手ごたえを感じたらしい。
「スグルもおはよう。昨日はわざわざ来てくれてありがと」
自然な会話の流れで、柔らかな表情で僕に挨拶をしてくるノワキ。おそらく彼女は「もうおそようの時間だろ」的な返しを期待していたのだろうが、
「……ああ」
僕はあえて適当な感動詞を呟くだけに留めた。
「……?」
僕のそんな素っ気ない応答を不思議がるように、ノワキが首をひねっていた。




