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15 というかわりと近くにいたのに二人のこと何も気づかなかったユカリ、間抜けすぎじゃないですか!!

 今日はサボっちまおうかという思いも、ないではなかった。ユカリのやつに女々しいと笑われちまうのが癪だったし、まったくオレらしくなかったから、結局登校したんだが。

 それほどに、この週明けの学校が問題だった。過去一憂鬱だった。

 先週はちぃとばかし、いろいろありすぎた。

 

 我ながら、神経は図太い方だと自負していたんだがな。


 ……未だ人もまばらな朝の教室。

 オレは席に着くなり、デカい溜息を吐いた。


 ――いや、ダメだな。


 いつまでも引きずるのは性に合わねえ。周囲にいらない心配をかけるわけにもいかない。アンニュイぶるのはこれで終わりだ。


「……っし」


 腹を括るような深呼吸一つ、オレは顔を上げる。

 気持ちを切り替えるように、無理やりに口角を上げてみせた。すると面白いもので、感情の方が表情に引っ張られるように、重苦しい気がいくらか和らいだ気がする。空元気ってのも悪いもんじゃねえな。


「おはよう、ヨウ」

「……っ」


 だが、そんな立ち直りかけた精神が、背後からかかった声により大きくぐらついた。


「……お、おぉ。今日は早いな、スグル」

「いつもより早く家を出ると、なんか損した気分になるよな」

「……そうか?」

「僕はなるよ」

「……そうか」

「うん」

 

 親友の……親友のスグルが、嘘のように精緻な微笑を浮かべて、オレの前の席に座る。


 オレは、そんな親友の姿を、真正面から見てやることができない。


 オレが源さんに振られた、その翌日。

 スグルと源さんはいつも通り登校し、オレとユカリに対して――今まで隠し事をしていたことを謝罪してきた。


 正直、オレたちはどうしたらいいか分からなかった。

 許せばいいのか? 怒ればいいのか? 距離を置けばいいのか? 

 どれもどこかしっくりこねえ。


 訊きたいことは山ほどあった。……はずなんだが、本人たちを前にすると、思うように口が動かなかった。

 唯一口にできたのは、源さんと付き合いながら、オレの恋路の味方をするというスグルの矛盾した行動の理由。

 

 スグルは……オレのためなんだとか言いやがる。源さんの恋人としての自分、オレの親友としての自分、この二つを分けて考えて、自分はそれぞれのために相応しい行動を取っていたのだと。

 オレに関係を隠していたのは、オレに恋を諦めさせないため。あいつは、自分たちの関係が露わになることで、オレが源さんへの恋心を捨てることをなにより恐れていたのだ。あいつは……オレが他人の女を取るようなろくでなしではないと、強く信じてくれていたらしい。


 ……ああ、分かる。理屈としては、分かるぜ。確かに、源さんとオレのこと、どちらも選ぼうとしたらそうなるかもな。


 源さんと恋人のままでいたい。

 親友に恋を諦めてほしくない。


 自分たちの関係を秘密にしておけば、しばらくの間、それは成り立つだろう。事実成り立っていた。一挙両得だ。


 ……だが、やっぱ、分かんねえよ。なあ、お前は、なんでそんなことができるんだ? いったいどういう気持ちで、こんなことをしていたんだ?


 お前の考えることが、オレにはさっぱりだ。理屈は明快だ。しかし、理解しがたい。納得しがたい。理解を拒むものの正体はなんでもいい。社会通念でも倫理道徳でも、それは好きに呼べばいい。ただオレには、分からない。お前が分からない。


 ――分からないが、まあ、これだけなら、ちょっと変わった失恋話だったかもな。

 

 極めつけは、放課後だ。


 下校中のオレは初め、幻覚を見ているのかと思った。失恋が思った以上に心にキていて、ストレスでおかしくなったのだと。


 しかし、あいつは違った。あいつは存在した。


 宙に浮かぶ巫女服のガキ。


 理解を超えた超常現象に呆気に取られるオレへ、奴はこう名乗った。


 地元民ならどっかで一度くらいは名前を聞いたことのあるだろう、三手白神社の神様――シラガミ様。


 突如現れたシラガミが――オレに、この力を与えた。


 ――《片恋目》。


 スグルのこととは違って、こっちの詳細は手に取るように分かりやがる。


 ――自分が惚れた相手を惚れさせられる力。


 フィクションでよく出てくる魅了系魔法、あれの使い勝手が悪い版ってこった。


 頭がイカれちまったのかと思った。病気かと思った。あるいは妄想の類かと。


 だが分かる。魂レベルで、この力が現実のものであると、直感的に理解できる。


 一晩経てば驚きはなくなった。実感は未だない。が、“オレはこの力を扱える”という確信だけはありやがる。


 無論、そこまで含めてオレがキマっちまってる可能性は少なくない。というか、高い。普通に考えたらな。


 その上で言わせてもらうが――こんな力は、オレが持つべきじゃねえ。人の身にはあまりに過ぎた力だ。どこか寺でお祓いでもしてもらえば、消えてなくなってくれるかね。


 だいたい、片思いっつったって、もうおせえ。


 なんせオレはついこの間、決定的な失恋を――


「おはよう、更科くん」


 ――――。


「ああ、源さん。おはよう」


 柔らかな女生徒の声。

 それに応じるスグル。


 未だに恋人関係は隠し、クラスメイトのフリをしている二人の声が……聞こえてくる。


 源さんだ。源エーデルワイス……オレがずっと恋焦がれていて、そして先週、失恋したばかりの相手。


 そんな人が――


「芝蘭堂くんも、おはよう」


 軽く手を振って、オレにも挨拶をしてくる。


 視界に長い金髪が映る。綺麗な黒の双眸がオレを見ている。


「……おう」


 …………ああ。

 

 分かってしまう。


 失恋しただなんだと、口では言ったものの。


 あの日、屋上でユカリに長々と迷惑をかけちまったくせに。


 ――まだ、本心では割り切れていない。


 ゆえに…………“使える”のが、分かる。


 《片恋目》。片思いした相手を惚れさせることのできる魔眼――


 源さんを、前にしたことで。明確になってしまう。はっきりとしてしまう。


 ――オレは源さんに、《片恋目》を使うことができる。


 今ここで、オレが彼女にこの力を使えば。


 誇りも尊厳も捨てて、この力を使えば。


 この右目を、開いてさえしまえば。


 源さんを……彼女にできる。スグルから奪って、オレのものにすることが、容易く……。


「…………」

「……えっと、紫蘭堂くん……?」


 彼女は……オレがまだ先週のことを気にしていると思って、心配しているようだった。たしかに、それも多少はあるっちゃあるが……


 違う。……違うんだ、源さん。オレはそんな繊細な悩みで悩んでるんじゃない。


 オレは、あなたを――


「…………」

「ヨウ、大丈夫か?」

「……ああ……」


 この右目を開けば、スグルを超えられるだろう。

 

 反則的な美、万物を魅了する男。人である以上、その点でスグルに敵うわけがなかった。

 

 だが、この魔眼なら。


 神の力なら。


 一生及ばないと思っていた、並ぼうとすら考えていなかった、スグルを……超越することができる。


 逆に言えば、今だけだ。この機会だけだ。今を逃せば、オレは一生こいつの下のまま……。


「……………………」


 使う、のか。


 こんなバカげた力を、使うなど……


 ありえないと思っていた。

 論外だと断じていた。


 だが。


 いざ、本人を目の前にすると……この女をオレはもう何があっても、モノにできないのだという嫉妬と羨望が心に渦巻いて……その判断を狂わせる。

 

「………………………………」


 使うのか。


 使うのか、オレは――

 

 源さんを――スグルから――


 ――――。


 ――。


 


   ☽



 結論から言えば、なんとかその選択をすることは避けられた。

 

 それ自体はよかった。あんなのは間違っていると今のオレなら胸を張って言える。


 問題は、その選択を避けるために採った方法だった。


「最悪だな……」


 男子トイレで両手を入念に洗いながら、鏡面に映る自分の怖いまでの無表情に絶望する。


 先程までのモラルとインモラルの間で苛まれる沈鬱な気持ちは息を潜め、今は、不気味なほどに空虚な心。


 まさか、自分がここまで情けないヤツだとは思わなかったぜ。これは少し堪えるな。


 ――が、まあ……厭な気は治まった。もう平気だ。あれが最後だ。あとは何も考えず、胡乱な力のことなど忘れて、優雅な学園生活を送ろう。思考停止は良くないが、無駄なことを延々と考え続けてドツボにハマるのは、もっと悪いことだしな。


 ホームルームの時間まで、まだ10分ほどある。あの二人とはまだ、なんとなく顔が会わせづらい。適当に中庭でもぶらついて、リフレッシュを――


「あ、アキラくん!」


 ……と、男子トイレを出たところを後輩に見つかっちまった。

 

「ユカリ」

「おはようございます!」

「ああ……」


 決まりきった朝の挨拶への返事を、オレはいたって普通にしたつもりだったんだが、


「……? アキラくん、なんだか妙に落ち着いてると言うか……いつもの小ワル感がないですね? そんな悟ったような顔して、どうしたんですか!」

「気にすんな。30分もすれば元に戻る」

「ほえー……??」

「てか、んだよ小ワル感って」

「んー……イキってるというか、正しい意味で粋がってる感じですね!」

「あぁ……? ダリぃな……」

「あーほらやっぱり異常ですよ! いつもならここで怒鳴ったりするんです、アキラくんは!」


 現在のオレを支配する、あの特有の満たされた倦怠感の影響を、ユカリは鋭敏に見抜いてやがるらしい。まったく背筋が凍る思いだ。

 

「解釈違いですよ、ぷんすかぷんぷん!」

「悪かったな」


 あんまつつかれてもまずいんで、オレはそれを捨て台詞とし、当初の予定通り外の空気を吸いにいく。


「教室に戻らないんですか?」

「ああ。まだ時間あんだろ」

「じゃあユカリも着いていきます」

「なんでだよ。いや、悪かねえが……」


 一年生であるユカリの教室は4階、オレの教室があるこのフロアは3階だ。鞄も持ってないんで、わざわざ上から降りてきたのが分かる。

 てっきり、オレの教室に用があると思ってたんだが。いつもはそうだしな。


「ユカリもまだ少し先輩たちと会うのは気まずいので、いいんですよ」


 歯に衣着せぬ物言いだが、不思議と不快感はない。

 オレが粋がっているとしたら、ユカリは粋の女だ。こいつが先日見せた、適度に脱力した懐の広さに、オレは救われたのだから。


 それはそれとして、素直に称賛するのもアレなので程よく罵っておくか。


「は、お前にも“気まずい”なんつう繊細な感情があったんだな」

「失礼な! こう見えてユカリは豆腐メンタルなんですよ!」

「そのわりにゃ普段と変わらねえ態度だな」

「豆腐は豆腐でも木綿豆腐なので、ちょっとくらいは平気です!」

「そうか」

「今のアキラくんやだ! 全然ノッてきてくれません! えーんえんえん!!」


 別に今のは平時でもスルーしてたと思うがな。


「で、教室に寄らねえならお前は何しに来たんだよ」

「何ってそんなの、アキラくんに会いに来てあげたんですよ! ――こんなにかわいい後輩に慕われて、アキラくんは果報者ですね!」

「…………」

「……あ、あれ? いつもみたいに否定しないんですか? もしかしてツッコミ前提のボケをあえてスルーしてスベらせる系のやつですか!? だとしたらあんまりですよぉ!!」


 ……そうか。

 

 ずっと違和感があったんだ。


 喪失感があった。絶望感があった。明日がどちらか分からなかった。

 突然はしごを外されて、途方もない困惑だった。これから先のウンザリするような悪路を、どうして進めばいいのか分からなかった。


 だが。


 それでもオレは一度たりとも、不幸だ、とは感じなかった。


 人がその幸いを手放すときは、孤独に陥ったときだ。


 オレは……親友に裏切られ、大きな失恋を経て、それでも。


 ……自分を孤独だとは、感じていなかったのだ。


 そんな理由は、分かり切っている。


 そうか……それなら、確かに……


「そうだな……オレは、幸せ者だな……」

「あわわどうしようはわわどうしよう、アキラくんが本格的におかしくなっちゃいました……!!」

 

 何か失礼な勘違いをされているが、訂正する気も起きん。オレの幸福に水を差すな、空気の読めない後輩風情が。


「ちょっとこっち向いてくださいアキラくん! 大丈夫ですか、熱とかありませんか!」

「やめろ、ウザったいぞ……」


 慌ただしくオレの前方に回り込み、不躾にもオレの額に手を当てだしたユカリのやつは……

 かなり本気で心配しているらしい上目遣いで、オレの顔をのぞき込んでくる。


「……っ?」


 ふと、右目がちりちりと、焼けて焦がれるような熱のごときものを帯びる。


 どうやら、あの物騒な魔眼が開きかけていたらしい。とんだ初期不良品だ。こんなもん使わなくて正解だったな。


 オレは何度か瞬きをして、その不思議な魔力の誤作動を正していくが……


「アキラくん、ドライアイですか?」

「似たようなもんだ」


 ダメだ。なかなか治らん。


 治らんが……まあ、まだまだホームルームの時間までは、5分ほどある。

 それまでにゆっくりと、調整していけばいい話か。


「分かりますよ、ユカリも水泳やってると塩素の影響でたまに目が痛くなるので……うーん……あんまりドライアイと関係ないですね?」

「見切り発車すぎんだろ……」

 

 まずはこの時間を大事にしよう。

 そう思って、オレはなんだか無性に晴れやかな気持ちで、生意気な後輩を連れだって廊下を歩いていくのだった。

これにて「黄金の夜明け」編が終わり、次回から「白銀の巫女」編となります。よろしくどうぞ!

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