14 ダイアログ・イン・ザ・ダーク
最初に会った時は、変な人だな、って思った。急に叫び出して、どうしたんだろう、って思った。
私はこんなだから、きっとずっと、他の人より人間関係に疎くて。
だから、いきなり叫んだ人がいきなり倒れたらしいことが分かった時は、とってもびっくりした。
どうしていいか分からなくて、混乱して、介抱とかした方がいいのかなって考えるうちに、つい、膝枕……なんてしてしまって。
今考えたら、とても恥ずかしい。なにしてるんだろう、私。
もういっぱいいっぱいで、なんて声を掛けていいかも、たくさん迷っちゃって……
でも、いつの間にか目を覚ましていたその人から、話かけてくれて。
気絶しちゃう前とは打って変わって、彼は落ち着き払っていて。
とっても綺麗な、聞き惚れてしまいそうな透明な声で。
どこか諦めのようなものを孕んだ……けれども、心の底から絞り出すような、不思議な声で。
私に会えて、嬉しかったって、言ってくれた。
そんなこと、初めてだった。
もちろん、パパやママに愛されているのは伝わっている。
けれども、それはやっぱり、家族だから。
私はよく、私が娘じゃなかったら、二人は私を愛してくれたかな、って考える癖が、昔からあって。
そんなの無意味だって分かってるけど、やめられなくて。
だから、その男の子が。何の関係もない人が、私の言葉が嬉しいって、私に会えてよかったって言ってくれた時……意味もなく、嬉しくなった。
彼にもなにか理由があるんだろうことは察しがついてたけど、それでも。
人よりもちょっと特別なこの耳が、全部本音だって聞き分けた言葉が、私を求めてくれたのが、とてもとても嬉しくて。
だから、つい名乗っちゃった。あれでお別れなんて、なんとなくヤだったから。もしかしたら、また会えるかもしれないって。
――そしたらびっくりしたんだよ。その男の子、とんでもない名前だったんだもん。
その日の昨晩、新宿で事件を起こした張本人だったんだもん。
数年前から、長野北部に人類史を覆しうる生命体が確認されているという事実は、世間に疎い私の耳にすら入ってくるほどだった。
――更科優。
曰く、人間。
曰く、妖怪。
曰く、魔術師。
曰く、宇宙人。
とにかくよく分からない存在。
その信じがたい美貌、度を越した神的なオーラ、卓越した話術等によって、人間、殊に女を破滅へと導く、最悪のオム・ファタール。
齢15にして、数々の人々を魅了し、操り、その人生を狂わせてきたと伝わる……伝説のような存命人物。
――私には、それが信じられなかった。
私が会ったあの男の子は。あの辛そうな、苦しそうな声で自身の身の上を語って、私に会えてよかった、と言ってくれた彼は。そんな、超然的な存在には思えなかった。ただの一人の、悩みに悩む、人間のように思えたから。
だから、彼に手紙を書いた。ちょっと無警戒すぎたかな? でも、今では書いてよかったって思えるから、この時の私の迂闊さを、やっぱり褒めてあげたいな。
それから、インターネットでも繋がって、たくさんお話して、たくさん会って、たくさんの優くんを知っていった。
いちばん印象に残ってるお出かけ先は、やっぱり、最初の秋葉原。
優くんはマスクをしてれば大丈夫だと思ってるみたいだけど、全然そんなことないからね?
駅前で立ってて、優くんが来たとき、明らかに周りの音が増えたもん。
周囲の反応でしか外見の善し悪しを判断できない私でもすぐに、あ、この人は本当にかっこいいんだな、って分かったもん。
そんな優くんと……まともに話すのはほとんどそれが初めてみたいなものだったのに、すごく話しやすかった。
ネットの関係ってすごいね。初めて会う人なのに、ほとんどお互いのこと分かってる気になれるんだね。
それで気分が良くなって、ついエロゲショップに直行して、驚かせちゃったりしたけど。
でもそのおかげで、優くんもエロゲーマーだって知れたし、とてもいい思い出になったから、やっぱりよかった。
もちろん、秋葉原だけじゃないよ。
これまでに行ったところ、私、全部覚えてるよ。
一緒に明治神宮にお参りして代々木公園でお散歩した日も、浅草花やしきで遊んだ後仲見世通りをゆっくり歩いたとき、優くんが人ごみを嫌そうにしてた日も、台場のグルメフェスで調子に乗ってお財布がすっからかんになっちゃった日も、池袋のサンシャイン通りで軽く迷子になった日も、高尾山のビアガーデンに参加した日も、靖国神社で思想強めのおじさんに絡まれた日も、見栄を張って表参道とか歩いてみたけど何が楽しいのか全く分からなくて、優くんとここにはもう来なくていいねと頷きあった日も、全部覚えてる。
……だから、だからこそ、ぱったり優くんと連絡がつかなくなった時、胸が割かれる思いだった。
優くんには、弱みを見せないようにって、面倒だと思われたくないから、ずっと頑張ってたのに。
ようやく返信があって、優くんと会えた時、泣きたくなったの、我慢できなかったよ。
それまでずっと、臆病で卑屈な私は、隠してたのに。
こんな価値のない私に、なぜか付き合ってくれる優くんに、申し訳ない気持ちでいつもいっぱいで。
私なんかと一緒にいていい人じゃないのに、私と一緒にいてくれるのが、どうしてだか分からなくて。
なんでこんな私と一緒にいてくれるんだろうって。
そんな風に、優くんの気持ちを素直に受け取れない自分が、情けなくて、許せなくて。
自分に自信が持てないなんてことを言い訳に、優くんを疑う自分が、なにより憎くて。
やっぱりそんな私は、ダメなんだって。悲しむ資格すらないのに、のうのうと心打ちひしがれている自分なんて。
距離を置かれて当然だって。
嫌われて当然だって。
そんな考えばっかり湧いて。
ついには涙と一緒に、なにかにつけて優くんに嫌われることに怯えていた醜い私を、打ち明けちゃった。
――フィクションだと、視覚や聴覚に障害のあるヒロインって、すごく純粋なことが多いけど。
そんなの、幻想だよ。
ハンディキャップを持って生まれた人が、すくすくと育つのって、どれだけ難しいだろう。
きっと、私の心に感光器を当てたら、すごく低い音が出るだろうな。
人によっては、これが「ハンデ」じゃなくて「個性」だなんていうこともあるけど、そんなわけない。
塙保己一や葛原勾当も、もし晴眼者として生きてたらもっと優秀だったと思うし。
やっぱり、ハンデはハンデでしかなくて。
だから、やっぱり、たまに死にたくなることもあったんだ。
他の視覚障害者がどうかは分からないけど。
私は、普段は自分の目が不自由なことなんて何とも思ってないような楽天家のフリをしながら。
やっぱり心のどこかでは、自分が大きなハンデを背負って生まれた、不幸な人間だっていう意識が拭えなくて。
両親には迷惑をかけっぱなしで、なのに返せるものなんて何一つなくて。
晴眼者よりもたくさん人を頼らないと生きていけなくて。
こうやって自分の不出来を障害のせいにする卑怯な私が。
そんな私が、存在してていいのかなって。
ずっと、思ってた。
……だから、ね。
優くんが――私とお話したいって、私と会いたいって、私がいいんだって、言ってくれた時。
いつかの、「私の眼が見えなくてよかった」っていう優くんの言葉。この、あまりにひどい発言。私の気持ちを考えない最低な言葉。
その時になって、この言葉が、私には……嬉しく感じられたの。優くんは、私を傷つけることだと思って、それ以降あんまり口に出さなかったけど。
――私を不幸に感じさせるなによりの原因が、同時に、優くんとのつながりになっている。
こんな皮肉はないと思うけど、それなのに、私は嬉しいって思うようになった。本当なら傷つくべきところで、私、喜んじゃったの。
ねえ、これってどういうことだと思う?
私はね、優くん。もう、とっくに優くんが――
「エル」
――声のした方へ、身体を向ける。
「久しぶりだね、エル」
優くんだ。
「…………」
私が手を差し出すようにすると、優くんがぎゅっと握ってくれる。暖かくて、大きな、男の子らしい手。
「そっか、卒業式の後そのままだから、制服なのか」
「うん」
「何気に初めてみたよ。かわいいね」
あたたかい。
「連絡くれてありがとな。騒ぎになってる身としては、どうしても僕からは言い出しにくくてさ」
あたたかい。
「エル……ずっと会いたかったよ」
――――。
「…………」
「エル? どうした?」
「好き」
「……」
「好き。好き。好き……優くん、大好き」
あぁあ。溢れちゃった。
「もう離れたくない。ずっと一緒がいいよ。優くん、私と――」
「エル」
握っていた手を、いちだんと強く、ぎゅぅっと握られて。
「あ、え……」
その胸の高鳴りで、続くはずだった言葉が、止まっちゃって。
「僕もエルが好きだよ。僕と、付き合ってくれるか?」
不思議なことに、私の喉の奥で止まったはずの言葉は、優くんの口から発せられた。
「……はい」
恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい、嬉しい。
「ごめんね。どうしても僕から言いたかった」
「優くん」
「ん?」
「…………」
「……エル」
ちょっとだけ上を向いて、黙っていたら、唇に柔らかいものが触れた。
「……んっ……」
「…………」
優くんが、私を抱きしめる。肩が強張って、つま先は折り曲がる。その果てしない緊張ごと私が、優くんの腕の中に溶け入るみたいだった。
「……エル」
「もういっかい……」
離した唇は、またすぐにお互いを求めた。頬と頬が間近で、ぴりぴりと熱が伝わるようなくすぐったさがある。
――どうしてこの時間が永遠じゃないんだろう。
優くんも同じことを思ってくれていると、根拠もなく、信じてしまった。
ずっと陳腐で、ずっと力の抜けたところに、ほんとうのさいわいはあるのかな。
優くんは、闇のなかで、私の光だね。
「……騒ぎにならないな」
何度目かの接吻の後、優くんが、静かな高揚の中で、呟いた。
「あ、そういえば……」
今の優くんは、当然マスクを外している。
そして、すっかり忘れているけど、ここは駅前(最寄り駅でしちゃった……! 明日からすごく利用しにくい……)で、人もたくさんいる。
なのに……周囲の誰も、優くんに寄ってこない。
前は、あれだけ創意工夫して、何の意味もなかったのに。
「エルに気持ちを告げて、通じたときに」
私は優くんの懐に抱かれたまま、彼の言葉を聞き続ける。
「自身の美を、制御できるという確信が降ってきたんだ」
「どういうこと?」
「分からない、感覚的な話だよ。でも、少なくとも……」
上手く隠してるみたいだったけど、私には聞き分けられる、どこか弾んだ声色で、優くんが言った。
「数年後には、僕もマスクを外せそうだ」




