11 見ること・見られること
それは、エルと東京で会うのにも慣れて、そろそろ外出先に困り始めていた頃。
「優くん、私の家に来ない?」
同じことを感じていたのだろうエルから、そんな、とんでもない提案が出された。
僕は皇居外苑のベンチにエルと隣り合って座りながら、楠木正成像をぼんやりと眺めていたのだが……
その視線を移せば、冬の刺すような冷たい大気に耐えかねて巻かれた山吹色のマフラーと、共色の髪によって巧妙に隠されたエルの頬に、朱が差している。それを寒さのせいだと思うほど、僕も鈍感ではなかった。……いや、エルは別にそこまで考えては言ってないと思うけど。
「行きたい」
僕は即答だった。もはやエルに対して緊張も羞恥もない僕に、躊躇する理由はなかった。一時期のあの、変に理屈っぽい精神分析の癖も抜けた僕は、すっかり元の単純な僕に戻っていた。やっぱりこっちの方がしっくりくるよ。
「行きたい、けど……」
しかし、それとは違う別の理由から、僕は怖くなった。
「……無理は、しなくていいんだよ?」
「ち、違うよ!」
エルの気を遣うような声に、自分が情けなくなる。
「エルの家に行くのが、厭なんじゃないんだ。そうじゃなくて、その、僕は……」
彼女にはまだ、僕がこの顔によってこれまで様々な苦労をしてきたことを、打ち明けていない。もちろん、彼女とてインターネットで『更科優』については調べているのだろう。僕が人並外れた容姿を持つことや、それによってさまざまなトラブルを引き起こしてきたことなどは、wikipediaに纏められているのでそれを見ればすぐだった。そうでなければ、アキバでエロゲショップに行ったとき、「優くんって女の子にモテるのに……」なんていう疑問は出てこなかっただろう。
けれど、それらはやはり本人から言うのとは違うだろう。あれは客観で、こちらは主観。そして、僕がエルに知っていて欲しいのは、後者なのだ。
「……エル。少し話をしてもいいかな」
「……? うん、いいよ?」
だから、僕は心を開く。口を開ける。その筐底に秘し隠していたものを、曝け出していく。
「僕は、『更科優』は――」
この披瀝に一体、僕はいくら時間をかけただろう? 少なくとも30分は話していた気がするが、真冬の凍てつく外気に晒されながらも、身体が妙に火照っていることから、僕の独白には相当な熱が入っていたことは確かだろう。こんな仕方のないことにばかり、僕は熱くなれるのだ。
ともかく僕は、これで母さんとの過ちを除くすべてのことをエルに伝える恰好になった。
「……そっか。優くん、最初に言ってたもんね。あの言葉の本当の意味が、ようやく分かった気がする」
「誤解されたくないから一応言っておくけど、僕は別にエルが盲目だから一緒にいるわけじゃないよ。最初はそうだったかもしれないけど、今は……」
「……うん。大丈夫。それだけは、信じられる」
「本当かい?」
「だって、優くん、私が初めての友達なんでしょ?」
と言って……エルがなんか、僕の片腕を抱きしめてきた。
「そうだけど……エル?」
「目が見えないと、座ってる時もバランス取りづらいんだよ? だから」
「嘘つけ」
えへへ、とエルが笑う。それはとても幸せそうな表情で、しかもわたあめみたいな綺麗な金髪からはなんだかバニラのような甘い匂いがしたので、まあよしとする。
というか、彼氏でもない男にこんなにベタベタするの、あんまりよくないんじゃない? 僕が中学生だからそう思うだけかな。
「それで……こんなこと、おいそれと人には言えないだろ? 話の性質上、ナルシストの自意識過剰だと思われるのがオチだ」
「私も、ちょっとだけ思っちゃった……」
こういう正直なところが、僕は好きだった。
「だから、ここまで全部打ち明けたことは母さんにもなくてさ」
「そうなんだ」
「エルには全部言えたから、今いろいろとすっきりした気持ちでもあるかな」
「……そうなんだ」
二度同じ言葉を繰り返したエルは、なぜか、すす……と僕との距離を詰めてきた。ふとももがくっつきそうなくらいまでエルが近づいてきたので、三人くらい座れるベンチなのに、ほとんど一人分のスペースしか使ってない。傍から見たらこんなの、「寒くなってきちゃったから……」とか言っていちゃついてる冬のカップルだよ。
「……長々話してたら、寒くなってきたから。こうすればあったまると……思って……」
ホントに言ったし。所詮エロゲーマーの考えることなんて一緒ってことかな。
「…………」
「ご、ごめんねっ、いきなり、変なことして……」
しかし、少し大胆になったと思えば、元の内気なエルに戻ってしまったようで……
僕の無言を拒絶と取ったらしく、身を引こうとする。
「今のは照れてたんだよ」
それなので、僕はエルの肩に手を回して、やんわりとこちら側に抱き寄せた。
「……っ!」
肩と肩が触れ合い、エルはびくっと顔を赤くして固まってしまう。
「言っただろ、僕はエルを嫌わない。エルはもっとしたいことをしていいんだよ。……つまらない遠慮なんてするな」
「……な、なんで……」
「ん」
「なんで、そんなに優しくしてくれるの……」
エルは肌が白いので、頬から首元まで真っ赤になっているのが、マフラーの隙間からもよく見える。
「言っただろ。僕はエルが好いんだ。だからだよ。もちろん、エルが嫌だっていうならやめるけど」
すると、エルはぶんぶん首を横に振る。
「い、嫌なわけない……っ!」
僕のダッフルコートの裾をぎゅうっと握りながら、エルが絞り出すように言った。
「ならよかった」
「う、うん……」
エルは恥じらいを誤魔化すように、赤くなった顔で、にへへと笑う。
そんなこんなで、何の話をしていたのか半ば忘れかけていたが――僕は強引に軌道修正していく。このままだとただ抱き合うだけでお別れになってしまう。それはそれで魅力的だけど。
「だいぶ話が逸れたけど――要するに僕は、怖いんだよ。僕を見る人の前に出て、その人をおかしくしてしまうのが」
言外に――エルの母親を狂わせてしまうのが怖い、と伝える。エルの家に行けば、専業主婦らしい母親とも高確率で会うことになるだろう。
僕は――せっかく良好らしい家族仲を裂くのが、怖くてたまらなかった。それがエルの家族となればなおさらだ。
そういう理由から、僕はエルの家には行きたくないのだった。
だから、エルもここはすんなり引いてくれると思っていたのだが――
「……なら、やっぱりお母さんとも会おう、優くん」
「え」
予想だにしない返しが来て、僕は絶句する。
「なんでだよ」
「だって、」
「……嫌だよ。僕はもう、これ以上……」
「でも、それじゃあ一生、そうやって人を避けて生きていかなきゃならないんだよ?」
そうだよ。その通りだ。僕はそういう人間なんだ。そういう生まれなんだから、もう、仕方ないんだ。
「別にいいんだ、僕はそれで――」
「それなら優くん、一緒に解決策を探そうよ! コロナ禍が終わった時、優くんもマスクを外せるように!」
「…………」
言葉は理解できた。何を言っているのかは分かった。だけれど、その理由が、動機が、全く分からなかった。
この娘は何を言っているんだろう。疑問に思った僕は、落ちかけていた視線を、彼女に向けて――
「…………」
「ね、優くん」
――エルは、僕を見ていた。
両目は既に義眼で、それも僕の方を見るときは、目を瞑る癖のある彼女だけれど――
その、瞼の向こうから――僕を見ている。
僕を見ているのが、分かる。
そんなことが、可能なのか。
僕を見ずに、僕だけを見るなんてことが。
否……正確には、知覚するのではないのだから、認識ではないのだろう。
だから、「見る」のではなくて、「であることを感じる」ことである、これは……
……ああ。嫌じゃないな。
エルになら、嫌じゃないな。
むしろ……嬉しいとすら思っている、のか。これは。
「私も、たくさん協力するよ! 優くんが素顔で外を出歩けるように、私も一緒に考えるよ!」
「なんでだよ。なんでそこまでしてくれるんだ」
理由がない。僕みたいな面倒な事情持ちの男と関わる理由が、エルにはなかった。だから聞いた。それはきっと何か……一縷の、光のようなものを求めて、問うた。
「だって、ずっとそのままなんて悲しすぎるよ! なんとかなるかもしれないなら、色々試してみないと損だよ!」
……そうだった。
自分の得になることには、とことん自信が持てなくて、臆病なのに。
誰かのことになると、途端に積極的になる……そういう子だった、エルは。
「ねえ、だから……私のお母さんと会っても大丈夫なように、特訓しようよ」
これまでそんなこと、一度だって思ったことなかったのに。
現実と向き合おうだなんて、考えたこともなかったのに。
考えたとしても、次の瞬間には無謀だと諦めていたことなのに。
「……そうだね。少し、頑張ってみるよ。……手伝ってくれるか、エル?」
「うん。もちろん。最後まで付き合うからね、優くん」
差し伸べられたその手を、僕はすぐさま掴んでしまうのだった。




