6 まるで白昼夢のような
東京メトロ有楽町線・麹町駅の改札口前に、彼女の特徴的な金髪がちらちらと揺れていた。
「お待たせ、エーデルワイス」
「更科くん?」
「ああ。……あんまり僕の名前を口にしないように」
「あ、そっか」
彼女ははにかむように微笑んだ。僕がここにいると周囲の人間に知られたら、また騒擾が起きてしまう。公の場で僕の名前を出すのは賢い選択とは言えなかった。
幸い(?)にして、このコロナ禍で皆マスクをしているので顔バレの心配はない(僕のポカで歌舞伎町が大騒ぎになったことは早く忘れたい)ので、よっぽどジロジロ見られない限り、僕の正体が露見する心配はないだろう。
いずれにしてもエーデルワイスは、声だけで僕を判断する必要があるのだった。
「はやく更科くんの声を覚えなきゃだね」
失態を恥じ入るように言うエーデルワイスは……ちょっとテンパってるんだな。こうして実際に会うのは二度目だし。僕を僕と分かっていながらあんなミスをしたのもそのためだろう。
「そうだな」
一方の僕は、もうあまり緊張というのはなかった。エーデルワイスと話していて分かったことだけど、どうやら僕は初対面で、相手の素性が分からない場合の何気ない世間話というのだけが苦手だったらしい。だから新宿御苑では、驚くほど会話の糸口が見つからなかったのだ。逆に言えば、スマホで何度もやりとりして互いの趣味・嗜好をある程度把握している現在は何も問題がない。「更科優」と「源エーデルワイス」という二つの円の共通項から話題を探せばいいだけなんだから、気楽だった。
それに……
「それでね、電子レンジの『あたためスタート』にだけ丸ポチがあるんだよ。でもあのボタンは元々大きいから、そんなのなくても分かるし、他のボタンに点字が欲しいなって」
「たしかに言われてみると、あたため時間の単位とかの方が知りたいかもな」
「あと自販機もね、商品そのものじゃなくて自販機の方に点字が欲しい……買い終わってから何かわかったんじゃ意味ないもん……」
「それはなんか聞いたことあるな。何が出るか運任せだとか」
「でも、それはそれでちょっと楽しいの。今日は何が飲めるのかなって」
「それは分かるかもだ、僕の近所の自販機にも『何が出るかな』ってラベルの缶が売っててさ。自販機なのに商品がランダムなんだよね。子供の頃、通るたびにそればっかり押してて……」
メッセージでのやり取りの中でも思ったことだが、エーデルワイスはわりにおしゃべりだ。おっとりとした第一印象とは違って、なんというか自分の意志を表明することに迷いがない。彼女が何かを口ごもっているときは、決まって僕に気を遣っているときだった。僕はその気遣いは無用だと思ったが、無理にやめさせるものでもなかったので、これを彼女の優しさだと思って微笑むのだった。
☽
エーデルワイスは実家がそこそこ裕福だと言っていたが、最寄りが麹町ってそれほんとうに「そこそこ」か? ……などと疑心暗鬼になりながら、僕たちはひとまず市ヶ谷で降りる。ここで有楽町線から乗り換えるのだ。別にもったいぶることでもないので言うと、目的地は秋葉原。なんでわざわざ女の子連れてそんな場所行くんだよと思われるかもしれないが、先ほどの共通項の思考法を導入した結果、ここが無難だという結論になったのだ。つまり、僕もエーデルワイスもオタクなのだった。
「それじゃあ、ここからは……」
「……ああ」
有楽町線からの乗り換え……ということはつまり、ここからはエーデルワイスの不慣れなルートを辿ることになる。今までは慣れ親しんだ道だったため、白杖と点字ブロックさえあれば一人でも歩けたものの……今やそうはいかない。そもそもエーデルワイスは歩行訓練中の中学生だ。一人で出歩くのにはまだ少し不安が残るだろう。彼女が一人での遠出を許されたのも、遊び相手の僕に視覚障害のある家族がいると知って、それなら任せても大丈夫かと彼女の両親が判断したからだという。まあ、「男友達との外出」とかいう全く別の理由で心配されたりもしたらしいけど……そこはエーデルワイスが「私もう中3なんだよ? パパとママには感謝してるけど、交友関係まで口出しするのは過保護すぎだよ!」と年頃の娘らしく顔を赤くして意地を張ってくれたらしい。彼女が僕のために親に刃向かったという事実が、なんだか嬉しかった。
そういうわけなので、エーデルワイスは半歩後ろから、僕のひじ……ではなく、身長の関係から腕の辺りを……ぎゅ、と掴んできた。ここから先は僕がこうして誘導するのだ。
「……っ」
「……どうかしたの?」
僕が黙っているのを不審に思ったか、エーデルワイスが訊ねてくるんだが……
「い、いや……」
どうもなにも、異性に触れられて普通に緊張しているだけだった。
……別に、エーデルワイス以外の女だったらどうとも思わない。あんなのはただ意思を持った肉塊みたいなもんだ。僕を「見てくる」ような女に、緊張なんて今更する方が難しい。
だが、エーデルワイスは僕を見ない。
それゆえに、彼女はこうして僕の横に、その人間としての純粋さを一点の曇りもなく保ちながら、立っていられる。
僕を僕と認識した上で、それでも普通の態度で接してくれる……女の子。
そんな子が、今、僕の腕を掴んで、いかにも無垢そうに首を傾げている。
服の上からでも伝わる、エーデルワイスの手のぬくもりが……なんとも生々しく、彼女という存在を厭でも意識させてくる。
いや、分かってる。ただの誘導のための接触でこんな気を起こすのは……普通によろしくないことだろう。僕を信頼してくれてるエーデルワイスに対して、失礼すぎる。
だが、それはそれ、僕は中学生男子だ。とめどなく膨れ上がる煩悩を払いのける術はなく、母さんを除けば生まれて初めて出会う「異性」にひたすらまごついてしまう。
「あー……その、ここから先って総武線だっけ、山手線だっけ?」
それで慌てた僕は……あはき業に従事する女性の視覚障害者へのセクハラ問題とか、微妙に的外れなことを脳裏に過らせつつ、なんとかそれっぽい言い訳をひねり出す。事前に乗換案内を調べてあるので、秋葉原駅へは総武線で行けばいいことは分かっていた。だが、無言で立ち止まっていた理由に「迷子」はもってこいだろう。
などと、心の中で咄嗟の言い訳の出来栄えを自画自賛していると……
「えっと、秋葉原じゃなくて、岩本町で降りよう? さら……じゃなくて、す……でもなくて……えっと、優くんっ」
僕の呼び名が定まって満足気なエーデルワイス(先ほどのやり取りから、僕の綽名を考えてくれたようだ)から、思ってもなかった返答が返ってきた。いわもとちょう? どこそこ。
「え……なんで? 秋葉原だとダメなのか?」
「優くんいい? 秋葉原で降りるとね、『あっ、あいつらオタクなんだ』って思われるんだよ。それを避けるために、近くの岩本町で降りるんだよ。御徒町でもいいけど」
「そ……そういうものなのか」
よく分からないが、東京住みのエーデルワイスが言うんだからそうなんだろう。東京の交通というのは奥が深いな……僕の地元周辺なんてJR東日本と長野電鉄しか走ってないのに。
「それが東京の常識なんだな」
「え? ……そ、そうだよ?」
「そうなんだ……!」
僕は一つ東京に詳しくなった。
「それはいいからっ……岩本町は都営新宿線だよ、優くん」
「それなら……左だな。よし、行くか」
「うん。……あ、今更だけど、優くんはこの呼び方でもいい?」
のりかえ改札へ向けて歩きながら、エーデルワイスはそんな拍子抜けするような質問を送ってくる。
「なんだ。確認なんて無粋だよ、エーデルワイス。嫌だったら、さっきスルーせずにやめてほしいって言ってた」
「そっか、良かった」
「まあ……ちょっと照れるってのはあるけど」
「照れる? ……『更科優』なのに?」
周りに聞こえない音量で、ボソッと言ったエーデルワイスに……
「どういう意味だそれ!」
「ふふっ」
心外だった僕は、軽く声を張り上げる。彼女はこういう冗談も意外と言うのだ。
「僕にとってエーデルワイスは特別なんだから、嬉しくないわけないだろ。そりゃ照れるよ」
全部口に出してから気づいた、何言ってんの僕!
……これはあれだ、言いたいことは躊躇せずに言うエーデルワイスの気風に影響されたのだ。普段の僕ならこんな言葉は口に出す前に引っ込めていた。東京+エーデルワイスとのお出かけというテンションの上がる組み合わせに浮かれて、やらかしちゃった形だ……。
僕が恐る恐る、斜め後ろの方へと顔を向けると……
「え……えと、えと……。……優くんのばか……」
エーデルワイスはその白い肌を真っ赤に染めて俯いてた。気まずっ。




