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残酷だと思った。

君はやっぱり、あの子の事を知らないのか。

仕方ないと頭では理解している。だってあの子がいなくなった時、彼は未だ二歳だったじゃないか。


仕方ない、仕方ない。私が憶えているから良い。言い訳しても心臓が冷たくなる感覚は拭えない。如何して、如何して。皆揃ってあの子を消そうとするんだ。ずっと心の中だけで叫んでいる悲鳴を噛み殺す。



私はあの子を。

あの子だけをずっと、憶えていたいだけなのに。








ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





静かな夜のことだった。

学園の卒業式も近くなった或る日、弟に遠乗りに出掛けませんかと誘われた。深夜だと言えば今更でしょうと笑われ、頷かなければと感じたので付いていく事にした。

物音一つしない屋敷で弟を追い掛ければ厩まで先導され、馬の後ろに乗るように手を差し出される。


「別に一人でも乗れるわよ?」


「知ってますが後ろに乗って下さい。一緒に行きたい所が有るんです」


ガバーリョとは違う大型馬の背に足を揃えて乗れば、一気に視界が高くなる。

馬が駆け出して初めて、何処に行くのか聞かなかった事に気付いた。蹄の音だけする静けさの中、明かりを頼りに十歩先も見えない道を駆ける。月の下木々を抜け、よく知る道を二つの体温と共に。

暗いなと手綱を握る弟が呟いた。いつもこんなに暗い道を、一人で?

繰り返せば慣れるわと答えて溜息を返されながら、不自然に整備されている良く見知った道を抜けた。




森を抜けた丘の上、星空の下に煉瓦造りの建物が建っている。明かりの無いあの家は、紛れもなく何度も訪れた別荘だ。


弟がこの場所を知っていたのか、知られたのか。何方でも良い。驚きはしないが、直に心臓に触れられるような不安があった。

甲斐甲斐しく馬から降ろされ、屋敷へと先導される。何時の間にか鍵が彼の手の中に有って、物音一つしない廊下を連れ立って歩いた。

人の気配は無い。ベルの私室は此処から遠いが、寝ているのか居ないのか。違う所に向かっている今、確かめる手段は無い。何処まで行くのかと思ったが、目的地は直ぐ其処だったらしい。



面白い所に連れてきたね、と知らないうちに声が出ていた。面白くありませんよと、噛み殺した返事があった。


窓から夜空が良く見える位置、地味な木の扉を開けば質素な自分の私室が有る。

殆ど使ってなくてベットには埃が積もっているが、用意されている事はされているのだ。最近使ったのは手紙を書く為か。

弟が自分を此処に連れてきたなら理由は一つしか思い浮かばないので、どうやら自分はやらかしたらしい。



埃の拭われた机の上、封の開いた便箋が有った。



見なくても分かる。あれは遺書だ。

自分が書いた、自分の遺書だ。

………一番読まれたく無い相手だったのに、よりによって弟に見つかるとは。


壁にもたれて視線を巡らす。蝋燭の炎が映した彼の顔は、酷い顔をしていた。


あなたはなにを、みているんですか。

彼の、思いの外力低い声が部屋に満ちた。





心臓が止まるかと思いました、と彼は言った。

貴女が時々何処かに行っているのは知ってたから、父に尋ねたんです。そうしたら鍵を渡されて。虱潰しに探したらこの家に辿り着いた。

誰も居なかったけど生活痕があって、花の飾られた部屋も在った。その隣の部屋の机にこの紙が置かれていた時、それを読んだ時。殺してやりたくなりました。なにも知らず、なにもしなかった自分を。


貴女の事を、俺は何も分かって無かった。

兄妹だと言った癖に、貴女の大切な物も知らなかった。

血を吐くような言葉だった。




あの時書いた手紙は全部書き損じて塵箱を太らせる結果に終わったのだがしくじった、もう言い逃れられない。本当に舐めていた、此処には踏み込まれないだろうと高を括った結果がこのザマか。


それでもどうか。

知らないでいて欲しかったよと呟く声は、自分の声か疑う程に暗かった。

知りたくない訳ないでしょう、貴女は何も言わないから。如何して貴女は何時も笑って、何も言わないで一人でいこうとするんですか。



同じ言葉を、つい最近聞いた気がする。

ああそっか、殿下だ。見殺しにしてくれとお願いしたら怒鳴られたんだっけ。怖かったなあと思い出して小さく笑う。あれは驚いた、まだ自分に恐怖という感情が残っているとは思わなかった。

手こそ出されなかったけれど、何度か殴られた方が良いんじゃないかと思う程酷い顔をさせてしまった。

彼の激怒も泣きそうな顔も、その時初めて見た。十年も共にいて碌に表情も知らなかったのだから笑える話だ。


結局は巫山戯るなと巫山戯ていませんの応酬になって、騒ぎを聞きつけた妹君に止められた。決着こそ付かなかったが言いたい事を伝えて、させないからなと捨て台詞も頂いた。美形、怒り顔、まじこわい。

彼が自分に生存を求めているのは理解しているが、未練より遥かに自殺願望が勝る。出来るだけ迅速に自分の事を忘れて欲しいが、多分どうしようもなく難しいだろう。


何も言わない癖に巫山戯るな、押し付けるなと叫ばれた。

何も言わないんじゃなくて、何も言えないの間違いだ。死の恐怖心と生の執着両方を失った人間を生きているとは言えない。殿下も目の前の弟も、またとなく美しい生の持ち主だ。伝えるべき言葉を失う程、その眩さを遠い物に感じてしまう。


美しいと、尊いと、其の儘健やかに在ってくれと願う事は出来る。けれど、寄り添うには眩し過ぎる。

彼らは光や正義に近い人間だ。誰からも好かれて、誰からも求められる人間だ。最初こそ悪意ある誰かに踏み潰されて消えてしまわないか心配だったが、きっともう大丈夫。嫌な人間を拒否する強さも、こんな人間の為に手を伸ばそうとする優しさもある。光を際立たせすら出来ない影のなり損ないなど必要無い。



だから最低限の言葉だけで消えようと思ったのに、目の前の弟は尚手を伸ばそうとするのか。何度も君を突き放した非道い姉の為に、こんなに暗い所に来て、必死に涙を堪えて。

彼に何も言わなかった。何度怪我の理由を問われても、関係無いと、君は知らなくて良いと一度も真実を答えた事は無かった。自分一人で苦しめば良い事だったから、何度も彼を一人にした。


優しすぎるだろう。

あの子に似ていると錯覚するほどに、泣きたくなるくらいに彼はやさしい。これは、尊敬という感情だ。賞賛で敬服で、いっそ畏敬に近い感情だ。


その手を尊く感じると共に、何も返せない事が心苦しい。彼が、誰がどんなに言葉を尽くそうが何をしようが足は止まらない。どんなに縋られようが首を刎ねる刃を待ち望んでいる。



自分の顔からその想いを悟ったのだろうか、彼が泣きそうな顔をする。ぽとり、紅い目尻から零れる雫を美しいと思った。

それは、貴女のためですか?それとも、逢いたい人の為ですか、と声がした。


やっぱり君は、其処まで辿り着いてしまっていたか。

私の為だよと、笑って答えた。全部あの子を想ってやることじゃない、あの子を想う自分の為にやっているエゴだ。暴力と人殺しの理由を、あの子に擦り付ける訳が無いだろう。




見開かれた眼が、信じられない物を見たかのように歪む。

ずっと昔の事でしょう。どれだけ長い間引き摺っているんですか、あり得ない。



姉は、十三年前に死んでいるでしょう?







あの子と同じ亜麻色の持ち主からあの子の話が出た事が嬉しくて、思わず笑った。


少なくとも自分にとって、唯一に、時間は関係ない。






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