逃路
思い付きだった。
ちょっと監禁されてくるので助けて頂けませんか、と言ってみた。
比類なく美しい容貌を持ったその人は目を見開き、真面目な顔をして理由を聞いた。
直ぐに否定されないならアリという事なのだろう。
そう判断して、実行に移す事にした。
無茶はしないでね?と繰り返し言われたが笑みを返すだけに留めた。
おそらく大丈夫だ。
自分は婚約者だから。子供が忍び込んだ位で実力行使に出る程あの家は強くないし、精々注意か忠告だろう。
趣味の延長線で調子付いてマナー違反をしたと思われる。
それでももし、間に合わなかったら。
最悪自分が死んだなら。
そのときは、そのときだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「………………それで?何か言い訳は有るかしら?」
机越しに座る美女の凄まじく冷たい眼に、心臓が止まりそうになった。
非常に残念な事に、自分は美人に睨まれ快感を得る趣味は無いらしい。あったらあったで彼女の後ろの目に光が無いメイドに消されそうだが。
相乗りになった馬車の行き先は、当然ながら王城だった。抵抗したが鍛え上げられた兵士達が自分を逃がす筈も無く、担ぎ上げられて応接室までドナドナされると其処に笑顔の王妃様が座っていた。
素晴らしい美貌の藍と群青を混ぜた色の目は、氷より冷め切っている。
自分の首を一瞥し笑みを消した彼女は、首の手当てを侍女に命じその間ずっと無表情無言を貫いていた。普段笑顔の方が無表情の時怖い事は知っていたが、美形は威圧感も増す。
首を絞められる事よりも恐ろしい。
リュコスは部屋から出て頂戴?の一言で殿下も何処かに行ってしまった。最後まで此方を見ていたが、心配するなら見捨てないで欲しい。
心無しか手荒く包帯を巻かれ、そそくさと侍女が部屋から出たと思ったら先の台詞を言われる。
どう考えても御立腹だし冷や汗が止まらない。
しかし、ここで折れるわけにはいかないのだ。
今すぐ土下座したくなるのを堪え、その分身体をほぼ直角に曲げて礼をする。
「お力添え頂き、誠に有難うございます。不手際に関しては私の責任です。如何様な処分も受けましょう。勿論婚約者として相応しくないとお思いなら、破棄も承ります」
要約は自分のやった事だから怪我に関しての文句は受け付けないよ!それでも何か言うなら婚約破棄させてね!だ。
実際自分の一存で破棄など出来はしないが、あちらから捨ててくれるなら願ったり叶ったりだろう。
緊張でかなり敬語が可笑しい気もするが、今更過ぎるので気にしない。だって子供だもの(裏声)。
眉を顰めた王妃の、白魚のような指がコツコツとテーブルを打つ。無茶しないと言ったわね?無茶ではなく手落ちです。
寒々しい視線が交差する。剣呑とした、睨み合うより探り合う為の目だ。沈黙して初めて、王妃様と殿下が似ていると感じた。彼女の無表情は初めて見たからだろうか。
暫くの間重い沈黙の中で自分を凝視し続けていた彼女が、何かを諦めるように溜息をつく。
他に怪我はないかと問われ、有りませんと返す。
何時から悪巧みしていたのかと美しい顰めっ面と共に言われ、思わず苦笑した。悪巧みとは失礼な。
髭の家改めバルベ家に行く前に下調べをしてすぐ、かの領地が予想以上に貧しい事を知った。
産業が出来ない程酷い場所でも無いし交通の弁も良い。不審に思って更に詳しく調べると、当主である髭の浪費癖の所為だった。
本人も言っていた通り髭は商売をやっていたが、彼に商才はないらしい。大枚叩いて偽物の骨董品を買ったり出鱈目な請求書に騙されるなどで、多額の損害を出していた。その皺寄せが領地に来た結果領民の半数まで貧困層が増えていたのだから笑えない。
特にここ数年は出費が多い。高価な宝飾類や衣類が多く買われ、その殆どが娘のメアリーの物になっていた。領地中の孤児全員を養える額を使い果たすのだから恐ろしいものだ。特に弁償は求められなかったが、この間紅茶をぶち撒けたドレスも相当高価だったのかもしれない。反省はしていない。
領地の統治の為に貴族が居るのであって、人より優れているから貴族なのでは無い。
害になるなら貴族では無く唯の獣だ。
想像以上に髭が領主として無能と分かり、それなら探るのでは無く椅子から蹴落とそうと決めた。
死者無く余り波風立てず後腐れ無い方法が望ましい。領主として無能かどうか長々と審判する裁判は、論外だった。その間にどれ程の餓死者が出る事か。
適当な冤罪も良いが自分一人では無理なので、それなら罪を犯してもらおうと思った。
目の前の彼女に自分があの家に行って何らかの騒ぎを起こし危害を加えられる事や、指定した時刻までに戻らなかったら成功したと思って兵士を送って欲しい事などを頼み、頷いて頂けないなら一人でやりますと啖呵を切った。
殿下が来るのは予想外だったが、今生きているという事は時間が来たか、髭が走らせたらしい早馬でも捕まえたのだろう。
今頃残った兵士達が偶然あの家の捜索をして汚職の証拠でも見つけている筈だ。
国にとっても膿を出す事が出来る。お互い利が有ったし、だからこそ兵士を送ってくれたのだ。文句を受ける謂れはない。
それを言外に含ませて何のことやらと目を細めると、また一つ溜息をつかれた。
目に呆れと諦めを浮かべられるが、ゆっくりとその色
が冷めていく。部屋に重い雰囲気が満ちる。
「貴女本当に子供よね?ミュートちゃんが行く前に手をつけられなかった此方も此方だけど、末恐ろしい。
……何処まで知っているの?」
普段の声音なのにずっと硬くて冷たい。
碧い目に見つめられる。居心地が悪くなって笑いつつもたじろぐが、それで追及をやわらげる人でもない。
話す時に顔では無く目を真っ直ぐ見る所も、王妃様と殿下は似ている。何もかもを見透かされそうで本当に苦手だ。
目を閉じて先の質問を噛み締める。
何を何処まで知っているか。
少なくとも片手間で集めたオカルト話ではないだろう。
聞かれているのは、スパイになると宣言した日からの成果だ。
今までにも試されている、と思う事は多々有った。
さり気無い質問や会話の中にどれ程の事を知っているのかという思いが含まれていて、問われるままに人間関係でも噂でも答えた。
けれど、そんなのは子供のお飯事だ。
危険なくお喋りするだけならスパイとしての価値は無い。
けれどその向こう側にもっと深く、昏く、血生臭い所がある事に気付いた。
そこに堕ちるか、このまま進むのかを問われている。
この質問に応える事は、王家の人間にこの者が反逆者だと密告する事と同義だ。
認めてしまえば、声に出してしまえば、唯の公爵令嬢にはもう戻れない。
それでも。
心臓が痛い。震えを抑え込んで握り締めた手は、感覚が無くなるほど冷たい。
それでも笑う。
殺されかけた時、異教徒と言われた。
騒動で消された者の多くは熱心な信者だった。
社交の場で王家より教会の方が重要と暗に告げる貴族達が居た。
今日気絶する寸前に見た手紙の中身は、あの家と教会の取引だった。
数ヶ月間と首の痛みを引き換えに手に入れた答え。
フロロー教、と小さく呟く。
目の前の典麗な美貌を持つ人は、怖気立つ様にゆっくりと唇を歪めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昔はもっと酷かったのよ、と彼女は言う。
私が嫁いで来て直ぐなんて、毎日暗殺者が送り込まれて来たんだから、と。
この国の王は、傀儡だった。
ほんの数代前の王が大分無能だったらしく、これ以上無い位教会が権力を付けてしまった。
だった、と言うのはここ十年と少しで王家も力を取り戻し始めたからだ。
けれどまだまだ影響力があるのよねえ、と呟かれる。
権力は、地位や血筋に宿る物では無い。
金でも武力でも情報でも、己以外の物を支配する力に付随するのが権力だ。
首都の趣味悪く豪勢に装飾された教会の内装を思い出し、奥歯を噛んだ。
想像以上に危うい綱の上でこの国は揺れているらしい。しかも明言こそしないがこの前の暗殺騒動を見るに明らかに王家不利。
あちらが王家の者に手を出せるのに対し、こっちは捕まえ損ねたのだ。そもそもあれを防げなかった時点で実力差は知れている。
こんな暗い話だから殿下を外に出したのか。
城内の兵士やメイドが100%信用できる訳では無いがこの話が外に漏れる心配は無いかと目で問うと、ジャグリーンに問題有りませんと答えられる。彼女はセンサー機能でも装備してるのか、してても可笑しく無いな怖い。とりあえず盗み聞きの心配はしなくて良いらしい。
最初からこの話をするつもりで呼び寄せたな、ともう一度二人を見る。目の前の美女に普段の明るさは無く、どこまでも施政者だった。
貴女に此処までやってもらうつもりは無かったのだけれどね、と呟かれる。
少しだけ憐憫を含む瞳の瞳孔が細まるのを、他人事の様に見ていた。
その唇から、初めて明確に命令が下される。
王家に仇なす者に近づきなさい。
この国の為に。我が王家の為に。
貴女の身は王家の物です。必ず、成し遂げなさい。
けれどもし失敗した暁には。
貴女の失態によって王家が危機に陥るならば。
迷わずその身を、犠牲にしなさい。
戦争になりますか、と聞いた声が掠れる。
そうならない様に貴女が居るのよ、と返された。
どんな言葉で美化しようがこれは戦いなのだろう。
わあ過激派、と小さく唇を動かす。知らないうちに、口角が吊り上っていた。
ああ本当に、なんてこの女性は美しいのか!
許しは出た。これ以上無い大義名分だ。
ああ、間違い無く自分は笑っている。
安堵と高揚を隠して仰せのままに、と肯いた。
どこまでも冷静に教会関係者の名前や伝手を頭の中で纏め始める。
方法を考えて組み立てて無理と無駄を切り落とす。
チェスと違って自分を動かすルールなんて無い。どんな動きをしようか死なない限りは咎められない。
次の教会に行く日について考えていると、一瞬だけ痛ましいものを見る様に顔を顰めた彼女に宜しくね、とだけ返される。話が終わり、もう部屋を出て良いという事だろう。
直ぐに立ち上がり、礼だけして背中を向けた。
もうやだここ空気が痛い。
城を出ると既に夕方で、夕焼けが夜の紺に染まりつつあった。寄り道したいが何時迄も帰らない姉に泣くのは家の者としてもこりごりだろうし、大人しく明日行くか夜抜け出そう。
馬車の中で揺られながら今日の事を脳内で再生する。
………そういえば、如何して殿下が来たか聞くのを忘れていた。まあ良いか。子供は突然突拍子も無い行動を取る生物だ。いつか機会があったら聞こう。
暫く船を漕いでいるといつの間にか家に着いていて、辺りは闇に包まれていた。玄関を通ると涙目の弟が抱きついて来る。
遅くなっても帰って来ないから心配したらしい。
母に似た亜麻色の髪はボサボサしていて、同色の眼もすっかり赤くなっている。
可哀想な事をしてしまったと後悔しながら抱き締めて目元の雫を拭う。この眼の色が泣くのは、どうしたって慣れないらしい。
直ぐにメイドが飛んで来て両親の元に連れて行かれる。首の包帯はどうしたのかと問われて沈黙を返した。
髭は何らかの罰を負うだろうしその事は直に知れ渡るし、自分は巻き込まれて傷心中の少女だと思って適当に推測してくれるだろう。
親や弟に心配を掛けるのは本意では無いが暴露するわけにも行かない。難儀なものだ。
まあでも仕方ない。
大人しく叱られるか怒られようと、開かれる扉を眺めた。




