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小説 六人の王妃と一人の女王——チューダー狂想曲  作者: はまゆう


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第5部 看取り人にして女王の母——キャサリン・パー 第十二章 最後の薔薇——1543年〜1548

キャサリン・パーは、三十一歳だった。


二度の結婚、二度の死別。最初の夫は病弱な老人で、早くに世を去った。二人目の夫ジョン・ネヴィルも、1543年、彼女を未亡人として残して逝った。宮廷ではすでに、王女メアリーの家政に関わる、分別のある女性として知られていた。


本当は、別の未来を思い描いていた。トーマス・シーモア——ジェーン・シーモアの兄で、宮廷でも評判の美男子。キャサリンは彼に心を寄せていた。


だが、王の関心が自分に向いていることを知った時、シーモアは静かに身を引いた。王の求婚を断れる者など、この国にはいない。


1543年7月12日、ハンプトン・コート宮殿。キャサリンはヘンリー八世の六人目の妻となった。


「おまえは、看護婦ではない。」


結婚式のあと、ヘンリーは彼女にそう言った。脚の潰瘍の臭いが漂う部屋で、彼の声だけは、まだ王らしい威厳を保っていた。


「おまえには、知恵がある。それを、俺は買っている。」


五十二歳の王は、もはや自分の足で長くは歩けなかった。だが、頭の中の権力は、少しも衰えていない。キャサリンはそのことを、誰よりも正確に理解していた。


「光栄に存じます、陛下。」


彼女は深く礼をした。だが頭の中では、すでに次のことを考えていた。


*この結婚を、私は病人の世話で終わらせない。*


---


1544年、ヘンリーはフランスへの遠征に発った。王不在のイングランドを、誰が治めるか——その答えは、キャサリンだった。


「摂政として、評議会とともに国政を預かっていただきます。」


その知らせを聞いた時、彼女は窓辺に立ち、しばらく動かなかった。


王妃であることは、ただ王の隣に座ることではない。この国そのものの重さを、一時でも肩に背負うことだった。


彼女は評議会の議事に耳を傾け、報告書を読み、判断を下した。誰も、彼女の決定に異を唱えられなかった。かつて「看護のために娶られた女」と陰口を叩いていた廷臣たちの声は、いつしか聞こえなくなっていた。


---


宮廷には、三人の子どもがいた。


エドワード。メアリー。エリザベス。それぞれ異なる母から生まれ、異なる運命を背負わされた王の子どもたち。


キャサリンは、彼らの継母となった。だが、ただの形式的な母ではなかった。


「キャサリン様、この一節の意味が——」


エリザベスは、よくキャサリンの部屋を訪れた。書物を抱え、質問を携えて。十歳そこそこの少女は、驚くほど鋭い知性を持っていた。


「あなたはどう思う?」


キャサリンは、答えをすぐには与えなかった。問いを、問いで返した。それが、彼女なりの教え方だった。


エリザベスは、その扱いを好んだ。誰も自分を「ただの王女」としてではなく、「考える人間」として見てくれなかったから。


後年、エリザベスはキャサリンにこう書き送っている。


*「あなたが父を愛してくださるので、私はあなたを深く敬います。あなたが私を愛してくださるので、私もあなたを愛さずにはいられません。」*


その言葉には、継母への敬愛と、対等な知性への信頼がにじんでいた。


---


キャサリン自身もまた、沈黙する女ではなかった。


彼女は宗教改革の思想に心を寄せ、英語で信仰について書いた。1545年、『祈り、あるいは瞑想』を世に出す。イングランドの王妃が、自らの名で英語の著作を公にしたのは、彼女が初めてだった。


だが、信仰を語ることは、この宮廷では剣を抜くに等しかった。


ヘンリーの治世下、教義の違いは、命取りになり得た。キャサリンの改革派への傾倒を快く思わない者たちが、密かに動き始めた。


ある夜、彼女のもとに、ひそやかな忠告が届いた。


「王妃様、お気をつけください。あなたを異端として告発する準備が進んでいるとの噂が——逮捕の令状まで、すでに用意されているとも。」


キャサリンの顔から、一瞬で血の気が引いた。


*アン・ブーリン。キャサリン・ハワード。*


二人の先達の末路が、脳裏をよぎった。


彼女は一晩、考え抜いた。そして、恐怖に震える夜を、戦略を練る夜に変えた。


翌日、ヘンリーの病室で、二人は議論を交わしていた。キャサリンはいつものように、信仰について自分の考えを語った。


「おまえは、俺に教えを説くつもりか。」


ヘンリーの声に、刃のような響きが混じった。王妃が王に教えを垂れる——それは、許されざる傲慢と取られかねなかった。


キャサリンは、すぐに跪いた。


「陛下、とんでもないことでございます。私はただ——陛下のお心を少しでも楽にし、私自身が陛下の深いお知恵から学びたいと思い、議論をしかけたのです。女の浅知恵で、陛下をお導きしようなどと、どうして思いましょう。」


ヘンリーは、しばらく彼女を見つめていた。その目に、かすかな満足の色が浮かんだ。


「……それでこそ、我が妻だ。」


その一言で、嵐は去った。王妃を捕らえるために用意されていたという令状は、使われることなく消えた。


キャサリンは危機を切り抜けた。だが、その夜彼女が学んだことは、生涯忘れられなかった。


*この宮廷では、正しいことを言うだけでは生き残れない。言い方を間違えれば、それだけで首が飛ぶ。*


---


1547年1月28日、ホワイトホール宮殿。ヘンリー八世は息を引き取った。五十五歳だった。


その臨終の床にキャサリンがいたかどうか、確かな記録は残っていない。後世、彼女が病床の王に寄り添い続けた貞淑な妻として語られることもある。だが、彼女の生涯を、その一つの場面だけに閉じ込めてしまうのは、あまりに惜しい。


ヘンリーの遺言は、王位継承の順をエドワード、メアリー、エリザベスと定めていた。


かつて庶子の烙印を押され、王位継承から外されていた二人の王女が、再び継承の列に名を連ねていた。


それがキャサリンひとりの功績だと断じることはできない。だが、王女たちのそばに立ち続け、彼女たちの学びと居場所を支え続けたキャサリンの存在が、そこに確かにあったことは、誰にも否定できなかった。


---


ヘンリーの死後、キャサリンは宮廷を去った。そして、かつて諦めたはずの相手——トーマス・シーモアのもとへ嫁いだ。


彼はジェーン・シーモアの兄であり、幼い新王エドワード六世の摂政を務める兄エドワード・シーモアの、弟でもあった。


結婚した彼女は、父を失ったエリザベスを自分の屋敷に迎え入れた。王女にとってそれは、久しぶりに得た安らぎのはずだった。


だが、その屋敷で、トーマス・シーモアの振る舞いは次第に度を越していった。彼はエリザベスの部屋に無遠慮に踏み込み、朝の支度中の彼女をからかい、体に触れた。キャサリンがその場に同席し、戯れの延長であるかのように振る舞ったことさえあったと伝えられている。


やがて、それが戯れでは済まされないことに、キャサリン自身が気づく。1548年、エリザベスは屋敷を離れることになった。


二人がその後、直接顔を合わせることはなかった。


それでも、手紙は途切れなかった。


1548年の夏、出産を控え体調を崩していたキャサリンのもとに、エリザベスから便りが届いた。そこには、病を案じる言葉と、生まれてくる子への素直な親しみが綴られていた。別れの後も、二人の間に残っていたものが、その一通からうかがえる。


同年8月30日、キャサリンは娘を産んだ。名はメアリー。


その五日後——9月5日——キャサリン・パーは産褥熱のため、三十六歳で世を去った。


---


王妃として、著述家として、信仰を持つ女性として、そして継母として。


彼女は、一つの言葉では語り尽くせない人生を生きた。


ヘンリーの最後の妻。エドワード、メアリー、エリザベス——三人の、血のつながらぬ子どもたちを支えた女。そして、自らの名で英語の本を世に送り出した、イングランド最初の王妃。


彼女の物語は、老いた王の死をもって終わったのではない。


王の死後、彼女は自分の意志で相手を選び、母になり、そして最後の瞬間まで、言葉を書き続けた女だった。


最後の薔薇は、王の寝台のかたわらで咲いていたのではない。


彼女自身が綴った言葉の中に、今もなお咲いている。



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