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小説 六人の王妃と一人の女王——チューダー狂想曲  作者: はまゆう


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プロローグ

祝祭の始まり——1509年、グリニッジ


雨が上がっていた。


ロンドン塔からウェストミンスター寺院へ続く道筋に、まだ陽の浅い朝靄がかかる六月の朝だった。通りには一晩中積み上げられた花弁が絨毯のように敷き詰められ、昨夜の雨で濡れた石畳が琥珀色の光を反射していた。


鐘が鳴っていた。シティのすべての教会が、一斉にその鐘を鳴り響かせていた。


「来るぞ、来るぞ!」


子どもの声が尖って通りを走る。群衆がざわめき、背伸びをし、押し合う。それでも衛兵の槍が線を引き、民衆はその線を越えられない——が、それで構わなかった。今日ばかりは、見えなくてもいい。この空気を吸っているだけで、誰もが祝祭の一部だった。


グリニッジ宮殿の門が開いた。


まず現れたのは護衛の騎馬隊。鎧を陽光にきらめかせ、緑と白のチューダー家の色を槍に結んでいる。そのあとを、教会の高位聖職者たちが続く。深紅の法衣が、香のような厳かさを運んだ。


そして——馬車は来なかった。


白馬が来た。


純白の馬に跨る若者は、まだ十八歳だった。背は高く、肩は広い。金褐色の髪は肩にかかり、陽光を受けている部分だけが蜂蜜のように輝く。彫刻家が愛するような均整のとれた顔立ちに、青い瞳が深く澄んでいた。彼があのヘンリー・チューダー、すなわちヘンリー八世だった。


「おお、なんという美しい王様……」


年増の女が息を呑む声が、群衆のざわめきを貫いた。その言葉に誰もがうなずいた。彼は確かに美しかった。なによりも——幸福そうだった。微笑みを絶やさず、時折手を挙げて群衆に応える。その仕草のひとつひとつに、生来の優雅さがあった。


しかし彼の隣で、もう一頭の白馬に跨る女性を見た者は、さらに深い息を吐いた。


キャサリン・オブ・アラゴン。


二十四歳。ヘンリーより六歳年上の王妃だった。金糸の刺繍が施された白銀のドレスは、彼女の落ち着いた風格を引き立てていた。顔立ちはスペインの強い陽射しを思わせるしっかりとした輪郭で、イギリスの女性にはめずらしい、燃えるような黒檀の髪を首のうしろで固く結っている。


彼女は微笑んでいた。民衆に向けてではなく——夫に向けて。


ヘンリーが何かをささやくと、彼女は静かにうなずき、優しい目を細めた。その一瞬のやり取りだけで、二人の間に特別なものが通い合っているのが見えた。傍目にもわかる信頼と敬意。


群衆の誰かが叫んだ。


「神よ、国王夫妻を祝福したまえ!」


その声を合図に、群衆が歓声を爆発させた。「国王万歳!」「王妃万歳!」の声が、通りを、広場を、橋を越えて、テムズ川の向こうまで響いた。


花が飛んだ。窓から、屋根から、子どもの手から。色とりどりの花びらが陽光の中を舞い、白馬のたてがみに、若い国王の肩に、王妃の膝の上の聖書に、そっと降り積もる。


ヘンリーが馬を止めた。彼は群衆のただ中で、唐突に、馬から飛び降りた。


「陛下——」


側近が慌てるのを無視して、彼は歩き出した。槍の列をかき分け、衛兵たちがどよめく中を、最も近くにいた老婆の前まで進んだ。


老婆はぼろをまとっていた。片方の目は濁り、しわくちゃの手には木の杖。彼女は恐怖で硬直した。王がこんなに近くに来るなど、夢にも思わなかったからだ。


しかしヘンリーは彼女の前に跪いた。


「あなたの祝福を、母よ」


その声は大きく、はっきりとしていた。周囲のすべての者が聞いた。


老婆の口がぽかんと開く。


「あなたは……王様ですぞ……」


「私はあなたの息子でもある。あなたはこの国の母だ。子は母の祝福なしに旅立てない。」


老婆の濁った目から、涙がこぼれ落ちた。彼女は震える手でヘンリーの金褐色の頭を撫でた。その手の皮膚は、干からびた木の樹皮のようだった。


「どうか……どうかお幸せに。お美しい王妃と共に、長く長く……」


ヘンリーは立ち上がり、彼女の額に口づけした。そして自分のポケットから金貨を取り出すと、そのぼろの手の中に握らせた。


「神があなたを祝福される。」


そう言って彼は馬に戻った。キャサリンが馬の上から、優しく、しかし少しばかり驚いたような顔でそれを見ていた。


彼女もまた、馬を降りた。


「私もあなたの祝福をいただけますか。」


彼女は老婆の前に跪き、両手を差し出した。身分をわきまえた慎み深い仕草ではなく、本当に祝福を乞う者のように。


老婆は今度こそ声を失った。ただ涙を流し、王妃の白い手を握りしめた。


やがて行列は再び動き出した。


キャサリンはもう一度振り返り、群衆の方を向いた。彼女の目は、単なる通過儀礼としてではなく、本当に彼らの顔を見ていた。見捨てられた者、病める者、貧しい者——彼ら一人ひとりの顔を。


ある歴史家は後にこう書く。

「あの日、誰もが思った。この結婚は神の祝福そのものだと。若き王は騎士のように美しく、王妃は聖母のように慈悲深い。この二人がイングランドに黄金の世紀をもたらすに違いない、と。」


また別の歴史家はこう記す。

「あの老婆に与えられた金貨は、後々まで語り草となった。しかし——その金貨の裏に刻まれていたのは、まだ誰も気づかなかった。それは後に発行される『国王至上法』の前触れのような、奇妙な紋章だったという。だれもそのことに触れない。あの日は誰もが盲目だったのだ。」


陽は高く昇った。


ウェストミンスター寺院の鐘が、最も荘厳な音を響かせる。内部では大司教ウィリアム・ウォーラムが聖油を準備している。あと数時間もすれば、ヘンリー八世とキャサリン・オブ・アラゴンの手は重ねられ、「カトリックの守護者」として戴冠の祝福を受けるだろう。


誰も知らない。


この結婚が、イングランドをカトリックから引き裂くことになるとは。


この美しい王妃が、やがて「捨てられた女」として誰の記憶からも消されることになるとは。


この幸福そうな若き王が、自ら妻を次々と処刑台に送る怪物になるとは。


そして——この祝祭の日から二十七年後、ある女の子が生まれる。彼女の母は「男児を産めなかった」罪で斬首される。その女の子の名はエリザベス。後のイングランドを黄金時代に導く、処女女王。


誰もまだ知らない。


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