1—5:空中庭園にて
サンディアル殿下が、オーギュスティン大のキャンパスをあとにするまで待つ必要はなかった。
〈われらが太陽はホテル・エフェレコンへ向かう。先着して現場の安全を確認せよ〉
と、ザルザルな通信が聞こえたので。
……やっぱり警備上の問題があると思うんですが。傍受した上で連邦公安部はちゃんとフォローしてるのかなあ。
ホテル・エフェレコンがどこかはわからないので、ナビにお訊ねしてみると――
【ホテル・エフェレコンは、ドラゴンハート・インべスティゲーターによる平均評価4.66点獲得の優良宿泊施設です。現在位置からは、『オーギュスティン大中央キャンパス東門前』停泊所から『市営操船組合北部営業所』行きエアゴンドラに乗船し『摩天楼街27番ゲート』停泊所で下船。所要時間15分。予算的にオススメできません】
――親切!
こっちの懐具合まで考えてくれるんだね。でもいいよ案内して。高級ホテルにお泊まりしたり、最上階のレストランでディナーにするわけじゃないから。
妖精さんのうしろにつづいて、キャンパスの東門へ。
まさに空へ突き刺さらんばかりの高さでそびえる、摩天楼の群れへ向かうエアゴンドラに乗る。
エアゴンドラは全長20メトラ、幅4メトラほどの、文字どおりに空飛ぶ渡し船だ。もっとも、転落防止のためにキャビンは密閉型なので観光遊覧船という感じではない。
基本、通勤通学のための乗客輸送船である。夕方のラッシュにはまだ間があるので、余裕を持って座席に腰かけられた。
陽はちょっとかたむきはじめている。
夕食までに寮へ戻るには、あと三時間くらい。もしサンディアル殿下がエルミーラ嬢と会っている現場に出くわしたとしても、どんな話をしているかまでは確認できない。
もし、抑えきれない恋慕の情が伝わってきたりしたら、アナスタシア嬢に「アカンようです……」と報告することになるだろうか。
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地上800メトラまで伸びている基幹塔や、さらにその上に浮遊する空中庭園――ドラゴンハート市の摩天楼街は、遠目には垂直に切り立つ断崖絶壁だ。
はじめてきたけど……想像してた以上の眺望。
27番ゲートは南に面していて、首都の南半分はもとより、よく晴れていたおかげで、外洋から陸の内がわへ大きく切れ込んできているドラゴンハート湾の全域までよく見えた。
さすがにブルーアクアはさらに水平線の向こうか。きれいなところだっていうから、一度行ってみたい。
西側にまわれば、魔術師範学校の敷地も上から眺めることができる。オーギュスティン大の中央キャンパス以上に広いけど、この高さからだとチェッカー盤のひとマスくらいにしか見えないだろうな。
……おっと、それどころじゃない。ホテル・エフェレコンに行かなきゃ。教えて妖精ナビ!
【現在位置から、エンジェルロードを北へ260メトラ進むと、ホテル・エフェレコンのエントランスです】
どうも。この遊歩道エンジェルロードっていうんだ、しゃれた命名ですね。
あんまりきょろきょろしてると、お上りさんだってバレちゃうかな。……だいじょうぶか、いつもの見飽きた光景って感じで早足な勤め人はまだいなくって、まわりを見渡してははしゃいでいる観光客の姿が目立つ。
みなさん家族連れ、カップル、お友だちどうしで、ぼっちわたししかいないけど!
……はい、やっぱりさかさかと歩きます。これからバイトのシフトですって感じで行きます。
ドアボーイさんが待機している、ホテル・エフェレコンの玄関ポーチが見えてきた、ところで――
害意がわたしの耳朶を打った。
これは比喩であって、実際には聞こえるわけじゃない。耳がキーンとなる、いやな感じがするのだ。
あまりにも強い、これは殺気といえるレベル。わたしに向けられたものではないけど、だれかが狙われている。
心理術者には、強烈な感情の放射源がおおまかながらわかる。
遊歩道からはずれて、踏みつけ禁止であろう植栽の中へ。すみません。むしろ警報装置かなにかが作動してくれれば、保安員の人に異変が伝わるんだけど。
……とくに進入防止結界とか検知魔法とかしかけられてないなあ。政府施設でもないし銀行の敷地ってわけでもないから、こんなもんか。
たしかに不埒者が勝手に歩道を離れたところで、攻撃魔術は発動できないし、念動術にしろ非魔法的な弓矢や銃器にしろ、致傷レベル以上の運動エネルギーを持った物体の投射や落下は結界に阻止される。
低速であっても、有害であったり爆発したりする液体気体を散布することは不可能だから、目くじら立てすぎる必要はないのかもしれない。
それでも、この殺気は異様すぎる。
肩がぶつかってちょっとムカっときた、というような次元ではない。確信を持った排除の意志だ。
……凶器の準備までできている?
都市圏で殺傷魔術は全部使えないし、銃も爆弾も作動しないから、刃物だろうか。でも包丁だって、厨房として登録されているエリアの外に出れば、なまくらになる。工作に使うナイフやはさみは「切断」の術が込めてある魔具で、生体に対しては発現しない。
もっと原始的に、鈍器やロープを使うか。あるいは直接素手という可能性もなくはない。どれほど気を使っても、暴力の完全な根絶は難しいものだ。
手段がないわけじゃないけど。心理術で人間すべてに他者を傷つけることを禁止すれば、理論上は殺人や傷害を撲滅できる。
だからこそ魔女は危険視されるとともに、時の為政者からは重宝されてきた。
もっとも、国中の人間すべてに強制をかけられるほどの心理術者はこれまで現れたことがないし、いまいる全員で手わけをしたところで足りないが。
「――お客さま、こちらは立ち入り禁止エリアになります」
人工の茂みをかきわけて庭園にたどり着いたわたしへ声をかけてきたのは、ホテル・エフェレコンの制服を着た男の人だった。
鍛え上げられた肩と胸の筋肉で、制服がはちきれんばかりになっている。
「すみません、ちょっと遊歩道からそれちゃって、どっちに行ったら戻れるのかわからなく……」
などと、とぼけたことをうそぶくわたしに対し、制服姿の男は野太いため息をついた。
残念ですけど、あなたがホテルの従業員じゃないってことはわかってます。
わたしを見た瞬間「どっからきやがったこのガキ、早く追っ払わねえと計画が台なしだ」って思いっきり悪態ついてましたね、心で。
「お帰りは、あち――」
庭園の外周を巡っている石畳の道が、ホテル本館方面につづいていくほうを右手でしめした男へ、わたしは無言で飛びかかる。
ホテルマンらしい動きをいくらかでも偽装しようという心がけが、彼の不幸になった。
いちおう「客」であるわたしの視線に合わせるために曲げていた、大男のひざを踏んで肩へ登り、両脚を頸にまわしてふくらはぎでホールド。
男の背中側へ身を投げ出し、手刀でひかがみ――ひざの裏――を一撃して体勢を崩し、両手が地面に届いたところを支点に、背筋を思いっきり効かせて、脚で首投げを打つ。
この間0.6秒。柔らかな、よく手入れされている花壇の土とはいえ、頭からたたきつけられて男は完全にのびた。
……表層の意識は飛んだけど生命活動には支障なし、と。たぶん、首投げ決まったときの頸椎捻挫のほうがダメージとしては長引くだろう。
さっき自分がとおってきた、茂みの中へ気絶した男を投げ込む。大声をあげるひまも与えなかったし、これで何分かは稼げるはずだ。
ひとりやっつけたけど、殺意ははっきりとこの庭園に満ちていた。
なんらかの組織が、まえもって襲撃を計画し、ここで実行しようとしていることはまちがいない。
ちなみに、自分より頭ふたつあまり背が高く、体重は2倍以上あっただろう巨漢を投げ飛ばしたり、軽く担いで茂みに放り込んだ秘訣は、心理術の応用である。
他人にかけちゃいけないけど、自分に使うのはいいのだ。
人間、ふだんは筋肉を最大出力で使うようには作られていない。無用の怪我防止、およびエネルギー節約のために、脳が安全マージンを取っている。
自己暗示で脳の抑制をはずして筋肉に限界稼働をさせ、反応速度を高めた。
わたしのような小娘でも、任意の瞬間に理論上最大のパワーを出せるなら、たいがいの人間をノックアウトできる。相手に油断があるかどうか、反撃や先制攻撃がどっちからくるかは読めているから、なおのことだ。
まあ、わたしの図体で可能な上限の力が発揮できるというだけで、超人になる魔法ではありません。あくまでも心理術ですから。
いちおうナビの端末を取り出し、緊急発信を選択。……予想はできてたけど、やっぱり妨害されてるか。
とはいえ通信障害をもたらす棄却術の発現自体が、市警の出動を促すだろう。
だれが狙われているのかまではわからないが、五分保たせればいいはずだ。




